梅雨の晴れ間で、風が強くて家の中を吹き抜けていきましたが、暑い一日でした。
お陰で、洗濯物がよく乾きましたので、又、あれこれ洗いました。
シューズも一気に洗ってもすぐに乾くので有難いです。
夕方のヘルパーさんが「今日は車の中はフライパンのようだった」と言われていました。
朝一で、真紅のバラが咲いていましたが、お昼には2輪目も咲いていました。
ガーデニアが2輪、咲き始めていました。
🍋レモンは良く見ると7つ、実が生っていました
今のところ、健在です
朝のお散歩へ
スマホ撮影は鮮明ですが、少し鮮明過ぎますね
タイサンボクが咲いていましたが、スマホでは高くて遠すぎて綺麗に撮れませんでした。
昨日、カメラが新しくなって帰ってくるというご連絡を頂きましたので、もうしばらくの辛抱かな。
教会の紫陽花
御聖堂(おみどう)の中にも紫陽花。
公園を抜けて
ママ友ガーデンの光と影のコントラストを楽しみに
最後に再び我が家のお花達です。
八重のジャスミンが咲きそうです。
今朝の果物
今日の母は朝から揺れが少しありました。
揺れているということは目は閉じていても覚めています。
今日から食前のお薬を2種類飲むようになりました。
痰切りの漢方と便秘改善のお薬。
でも、「喉が詰まって飲めない」と言います。
何回か試みましたが、飲ますことが出来ず
ヘルパーさんを待つことにしました。
ヘルパーさんも母が出してしまうので悪戦苦闘。
漢方は諦め。
今日は「しんどいし足が立たないしベッドから動かない」と言いましたが、そうは言ってもパンを食べ始めると元気になることが多いので、ヘルパーさんが食卓に連れて来て下さいました。
全介助とはなりましたが、母の食欲はやはりすごいなと思いました。
いつものレーズンバターロール2個、カフェオーレ・マグ1杯。
それに今日は食欲がないと言いましたのでワンプレートに卵料理やサラダ、フルーツなどをまとめました。
結局、リーフレタスを残したくらいで完食しました。
いつもよりは少ない量ですが、メイバランスも飲んでいましたしまずまず。
お昼は煮込みうどんにしました。
これも美味しいと言って食べてはくれたのですが(ベッドで)、その後、やっぱりパンが食べたいと言って、レーズンパン1枚半をミロと一緒に食べました。
昨日の看護師さんは摘便。
今日の看護師さんはもうひとりの別の方でしたが(看護師さんは多くおられますが、我が家に関わって下さるのは大体お二人)、前回お腹を押して出して下さいました。
母は申し訳ないやら感謝やら。
ヘルパーさんにも今朝、同じように言っていました。
やはり、体の自由が利かなくなり、皆さんによくして頂いているので、最近ではこういった言葉がよく聞かれるようになってきました。
少し前までは母の辞書には感謝とか謝罪の言葉はないのかと思っていましたが、段々と変わってきました。
今日は結局、朝ずっとずっとベッドで過ごしました。
寝たり、歌ったり、夜は池上彰さんのTV番組を観たりしていましたが、いまいち活力がありませんでした。
★致知一日一言 【今日の言葉】2023.0603
年齢を重ねるほど分かる読書の醍醐味
読書は歳をとればとるほど
味わい深くなるし、
人生を豊かにしてくれるものになります
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前田速夫(元『新潮』編集長)
○月刊『致知』2023年7月号
特集「学を為す、故に書を読む」【最新号】より
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●がんの闘病を体験したことで、
読書の深みが増したと語る前田氏。
記事のピックアップはこちらから
●前田氏が突然ステージ4のがんを
宣告されたのは10年前。
若い頃に読んだ本を再読しながら、
前田氏はこのように実感したといいます。
「若い頃に読んだ本でも、
こうして実際に老いを迎え、
死を前にしてみると、
身の沁み方や響き方が全然違うんです。
当時は教養として読んで、それで満足していた。
知識は吸収できたかもしれませんが、
自分自身の問題として
切実には読んでいなかったなと反省しました。
ですから、読書は歳をとればとるほど味わい深くなるし、
人生を豊かにしてくれるものになる」
●特集、連載の豪華ラインナップはこちら
紫陽花群の上品さに
朝からうっとり気分になりました!ありがとうございました☺
お母さまの辞書の話、そうなんですね。
私も、義理の祖母が、90代を超えた時に、みるみる変わり
「私が間違っていた。
大事なこと、今はわかる。」
と、力をふりしぼって言ってくれたことが印象に残っています。
若い時は外国暮らしでとても豪華絢爛な方だったようです。
感謝だったり、なんでもない日常だったり、
私も今から、忘れずに伝えて生きたいと
思えました。
今日も又、ついつい写真をたくさん撮ってしまいました~
時代にもよるのかなとも思います。
今朝、母がヘルパーさんと3人で話していた時に「姑の辞書には感謝と言う言葉がなかった」と言っていました(笑)。
確かに祖母はそういう人だったと記憶しています。
明治生まれですから。
もしかしたら慶応?
母の年代の人も皆、強いです。
それで息子さんが離婚に至ったケースも多いようです。
未だにお姑さんで苦労している友人もいますし。
戦前、戦中、戦後、物のない時代で、お姑さんが絶対的な力を持っていた時代に生きてきましたからそうならざるを得なかったのかもしれませんね。
私の年代は過渡期の中間期のような気がします。
若い世代は又、強いですから、友人達と「挟まれてる~」とよく話します
義理のおばあさま、その年代で外国暮らしだなんてすごいですね
いずれにしましても、私も謙虚に感謝を忘れないで、そして、それを伝えていきたいと思っています。
風さん、コメントをありがとうございました