今日の母は眠り姫

2023年07月07日 22時30分10秒 | 介護

 予報通り、3時頃から雨が降り始めました。

梅雨の明ける前は大雨が降りますが、ここ数日雨が続いたあとは梅雨明けでしょうか。

 

 

 今朝のお散歩

 

これ、蝉の抜け殻

まだ蝉は鳴いていませんが・・・

 

木槿、やはりかわいい

 

 

ガーデニア、ヤブカンゾウ、紫陽花、どれも今年はもう終わりですね。

 

 

我が家のバラは今は「プリンセス・ドゥ・モナコ」

あとは赤いバラが二輪咲いています。

 

今朝の果物

母はもうお魚を食べなくなりました

それどころか、果物までも。

食べるのはパン、パン、パン

もちろん食べないよりは断然いいのですが。

今日は緑内障の為の眼科受診の日でしたが、とてもではないですが連れて行けるような状態ではありませんでした。

 

 

 あさイチで、八重のユリが出たので観ていたところ、先日買ったユリは「オリエンタルリリーの八重」とわかりました。

 

写真を撮っている途中で「ピンポ~ン」

友人となったヘルパーさんが、受診日をしっかり覚えて下さっていました。

2時間ほど、我が家でモーニングを食べて帰られました。

が、途中で母がヘルパーさんと勘違いして「トイレに行きたい」

連れて行って下さいました。

感謝。

流石にお上手です。

 

 

 

『ガンは5年以内に日本から消える!』で有名な宗像久男先生の本。

今やこの本は非常に高値になっています。

このドクター、コロナで亡くなったようです。

この本はまだ普通のお値段です。

整骨院のドクターが「白い食べ物はよくない」といつも言われていますが、そのようなことが書かれてあるような。

白い食べ物を止め、体温を上げ、ステージ3(4)のガンを治した方の話をして下さいました。

 

 

 

 今日の母は活力もなく眠り姫状態。

心配ですが、パーキンソンや年齢を考えると致し方ないようです。

非常に悪い状態ですので、もうこのまま死んでしまうのではないかと思いますが、食欲はあり朝、パンを沢山食べました。

後は食べません。

看護師さんが「元気な時を見たことがない」と言われていました。

リハの方は「こんな状態でも又、急に元気になったりするし、バイタルもいいから大丈夫」と。

途中で起こして水分やお薬、食べられそうなものを勧めます。

これから起こして、又、水分補給とお薬を飲ませたら今日も終わりです。

 

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】2023.0707


★壁紙プレゼント 情熱は年齢ではない

 

※本日の言葉を壁紙仕様でプレゼント

情熱は年齢ではなく、
燃ゆる心の力である
━━━━━━━━━━━━━━
平澤興(京都大学元総長)
『生きよう今日も喜んで』(致知出版社)より
━━━━━━━━━━━━━━

●今回の壁紙は、
京都大学元総長・平澤興先生の言葉です。

平澤先生は神経解剖学の世界的権威であり、
偉大な教育者でもありました。
他にも次のような名言を
残されています。
(『生きよう今日も喜んで』より)

「情熱は喜びであり、希望があれば人は疲れない」

「なによりも大切なことは、人を生かすことである。
そして、その人に喜びと勇気と
希望を与えることである」

「人に喜びを与えることが、最高である。
感謝することが、喜びを与えることである」

「人の長所が見えるようにならねば
成長はない」

「考えてみれば今日こうして生きておること。
健康であることは、
きわめればきわめる程不思議で、
これが本当にわかれば人生は素晴らしい」

●SNSのシェアボタンから
お知り合いにシェアしていただけたら幸いです。

●福岡ソフトバンクホークスの甲斐拓也選手も
『生きよう今日も喜んで』の愛読者です
こちらから

 

━━━━━━━━━━━━━━

●きょうの致知一首

口喧嘩気落ちしながら『致知』読めば
いつも見つかる和解の言葉
(新潟県/東幸夫様)

 

 

 

 

 

 

★致知出版社の「ご縁メール」 

 

 ≪「私はこうしてポジティブスイッチを手にいれた」≫

 

最新号では、ウェブデザインやネット広告を武器に
関西のベンチャー企業の雄として名を上げる
ワントゥーテン社長の澤邊芳明さんにご登場いただきました。

澤邊さんは18歳の頃、バイク事故によって
頸椎を損傷、四肢不自由の身体になりました。

手足の動かない自分に
生きる価値があるのか…

そんな葛藤・苦しみを抜け出すきっかけになったのが、
澤邊さんが生み出した
「ポジティブスイッチ」(人生を好転させる考え方)です。

本日はこの考えに至ったきっかけと、
ポジティブスイッチの入れ方について
一部ご紹介します。


取材の様子はこちら
─────────────────


この体でどうやって生きていくんだ……。

自殺しようにも一人では死ねなくて、
籠の中の鳥のように病室の窓から
外を眺めていました。

あの時は退屈で仕方なく、
手足の動かない自分に生きる価値があるのかと、
数か月ずっと悶々としていました。

でもある日、
「待てよ、障がい者であることを
受け容れる必要があるのか?」
と考えたんです。

医学が進歩して治る日が来るとしたら、
いまは治るまでの過程でしかない。

自分の体ではなく環境を変えよう。
俺は絶対に受け容れない! 

そう思い立った瞬間、
闇が開けた感覚がありました。


──心に転換を起こしたのですね。


ポジティブスイッチが入った瞬間です。

体を治すためのリハビリは一切やめ、
怪我で失った未来をこの体で取り戻すには
どうするかと考え始めました。

それには大学に戻り、
授業を受けて卒業する必要があって、
文字が書けないと話になりません。

それで作業療法士の先生に頼んで
ワープロソフトの勉強を始めたわけです。


(中略)


──人として、経営者として様々な悲しみ、
愁いを味わってきた澤邊さんですが、
それらを乗り越え、人生のポジティブスイッチを
入れるにはどうすべきでしょうか。


まず大事なのは
「ネガティブに浸り切る」ということです。

人間、いきなりポジティブにはなれません。
しばらくは悶々としている(笑)。

その中で1つでも、これだったら頑張れる、
という対象を見つけて没頭すればいい。

怪我をしてもコロナで困っていても、
何かに没頭できれば、ネガティブにはなりません。

逆に退屈だと心に穴が開いてしまう。
人間がネガティブになる一番の原因、
問題は退屈であることなんです。

もう一つは...


※続きは本誌をお読みください

 

 

 

 

 

 

★バラ十字会メールマガジン(毎週金曜日配信)


ヘラクレスの柱


バラ十字会日本本部AMORC


【ぜひお友達にもこのメルマガを教えてあげてください】⇒

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1058517&c=3304&d=ed84

 

こんにちは、バラ十字会の本庄です。


━…………………━

文章を以下に転載していますが、今回は、現地で撮影した写真、17世紀の本の挿絵、当会の保管文書の図版、参考記事などが掲載されていますので、できれば下記のリンクをクリックして、公式ブログでお読みください。

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1058518&c=3304&d=ed84

━…………………━


今日は七夕ですね。

皆さんの願いは何でしょうか。

東京板橋は暑い一日になっています。


いかがお過ごしでしょうか。



さて、見慣れた状況から脱出して、新しいどこかに達するためには、何か門のようなものを通過しなければならないという考え方があります。

この考え方はごく自然なものに思われますし、実際に、新しいものではなく古代からあります。



ご存じの通りギリシャ神話のヘラクレスは、あらゆる乱暴者の中でも最も乱暴な勇者でした。

彼はあるとき、西の海のかなた、落日の光の中にある島にいる牛を、ミュケーナイ(現在のギリシャにある超古代国家)の王のもとに連れてくるように命じられます。


西の海に出るためにはアトラス山を超えなければなりません。

そこでヘラクレスは山に登る代わりに、こん棒によってこの山を打ち砕きます。

消えてなくなった山の両側には2つの柱が残ったとされ、ヘラクレスの柱と呼ばれています。


アトラスは元々巨人族タイタンのリーダーだったのですが、神々の間の争いに負けて山に変えられ、天空を支える役割を果たすようになりました。

乱暴者ヘラクレスのせいで、なぜ天空が落ちてこなかったのかは、神話では説明されていません。



古代ギリシャの哲学者プラトンは、2つの対話篇「ティマイオス」と「クリティアス」で、失われた理想郷アトランティスについて書いており、アトランティスはヘラクレスの柱の向こう側、つまりオーケアノス(大西洋)にあるとされています。

アトランティスはアトラスの女性形が語源で、アトラスの娘を意味するとされます。


この絵を見てください。これは、フランシス・ベーコンが書いた「ノヴム・オルガヌム」(1620年)という本の挿絵です。

両側に見えているのがヘラクレスの柱で、その間には、帆に風を受けている美しい帆船が二隻描かれています。

ちなみにフランシス・ベーコンは、当時の英国のバラ十字会(薔薇十字団)の代表だったという説があります。



「ノヴム・オルガヌム」とは、「新しい(考えるための)道具」を意味します。

古代ギリシャの哲学者アリストテレスの唱えた古いオルガヌム(論理学)はもう捨てて、新しい考え方によって新しい学問を築こうというのがこの本の趣旨で、近代科学や産業革命が生じるために役割を果たしたと言われています。


フランシス・ベーコンが書いた「ニュー・アトランティス」という別の有名な本があります。

彼の絶筆で未完原稿ですが、死後に発表されました。

この本で語られているのは、ペルーを出発して、中国と日本を目指し大西洋を航海していた人たちが、漂流してベンサム島という平和なユートピア(理想郷)にたどり着き、その地の極めて優れた科学、社会制度、慣習について聞くという逸話です。


参考記事:「フランシス・ベーコンについて」

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1058519&c=3304&d=ed84



17世紀の後半に、ヨーロッパから多くの人がアメリカ大陸に渡りました。

移住者の多くは、これらの本に触発されて、新しい土地で、新しい考え方によって平和な理想郷を築くことを夢見ていました。


当時のヨーロッパは、17世紀の前半に起こった「三十年戦争」でひどく荒廃していました。

この戦争のきっかけはドイツで起こったプロテスタントとカトリックの争いです。

そこにヨーロッパの国々が介入した結果、ヨーロッパ全体を巻き込む大戦争になってしまったのです。

特に被害が大きかったのはドイツとモラビア(現在のチェコ共和国)で、ドイツでは全人口の3割の人が亡くなり、モラビアでは何と、300万人の人口が80万人に減ったと言われています。



ドイツからアメリカに渡った人のひとりにヨハネス・ケルピウスがいます。

ケルピウスは当時のプロテスタントの一派で、ドイツ敬虔派と呼ばれる集団に属していた人物ですが、同時にバラ十字会員であったと多くの人が推測しています。


現代では、バラ十字会はいかなる宗教からも独立した団体ですが、当時のドイツでは、プロテスタントとの関係が深かったようです。



ケルピウスは1693年にオランダのロッテルダム港を船で出発し、ロンドンを経由して、数ヵ月後に現在の米国のフィラデルフィアに到着しています。


ケルピウスが率いた人物の多くは、バラ十字思想から深い影響を受けていたと考えられています。

またヤコブ・ベーメの思想、ヘルメス思想、錬金術、カバラも研究していたと考えられています。

これらテーマのすべてはバラ十字思想の形成に寄与した重要な要素であり、現在でも当会の学習課程に含まれています。



何世紀も前のある人物がバラ十字会員であったかどうかを確定するのは、名簿のようなものが残されているわけではないので常に難しいことです。

ケルピウスがバラ十字会の指導者であったという推測の根拠は、船にバラ十字会の文書を持参していたことと、17世紀の有名な3冊のバラ十字宣言書が作られた中心地であるチュービンゲン大学で学んだ時期があったことなどです。


当会バラ十字会AMORCは、フランスのツールーズで活動していた薔薇十字団を受け継ぎ、1915年に米国で創設されたのですが、そのときの代表であったスペンサー・ルイスはヨハネス・ケルピウスのことを、アメリカ大陸で最初にバラ十字会の活動を始めた人物として深く尊敬していました。



ケルピウスの集団の活動が下火になってから10年ほどがたった1720年には、パン職人であったコンラッド・バイセル(Conrad Beissel)が率いるドイツ敬虔派の人々がペンシルバニア州に移住し、エフラタ・コミュニティと呼ばれる、神秘学(mysticism:神秘思想)の傾向の強い共同体を構成しています。


彼らは極めて実際的な人たちであり、製粉所や製材所や製紙工場、印刷機などの諸施設を建設し、教育にも力を注ぎ、ペンシルバニア州の文化の発展に大きく貢献しました。

彼らが作曲した合唱曲は、独特の和音と旋律を持ち、今でも研究が続けられています。


参考サイト:https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1058520&c=3304&d=ed84



これらの人たちは、ヨーロッパで荒れ狂った宗教戦争を反面教師にして、平和と友愛精神によって統治される社会をアメリカに建設しようとしました。

エフラタ・コミュニティの人々は、アメリカ独立戦争中も戦うことを拒否し、負傷した兵士を助け、その治療の技術で賞賛されていました。


スペンサー・ルイスによれば、エフラタ・コミュニティの人たちは当時のクエーカー運動の人たちと親しく交流し、影響を与え合っていました。

また、ケルピウスの集団の人たちの一部もクエーカー運動に加わったことが知られています。

クエーカー運動とは、ヤコブ・ベーメの著作などをもとにウィリアム・ペン(ペンシルバニア州の名前の由来になった人です)によって始められた、神秘学的な傾向の強い、キリスト教の改革運動です


クエーカーの人たちは、アメリカ先住民の人たちを決して迫害せず尊重していました。

平和に関する奉仕や世界中の教育への支援を理由に1949年にノーベル平和賞を受賞しています。



ユネスコ(UNESCO:国際連合教育科学文化機関)の精神の生みの親とされているコメニウスを、このメルマガでも何度か話題にしたことがあります。

彼は三十年戦争の直後の荒廃したモラビアで、妻と二人の子供を疫病で亡くし、長い苦悩と思索の果てに、真の教育こそが、戦争という愚行を終わらせる手段だと考えるようになります。


参考記事:「子供の教育について」

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1058521&c=3304&d=ed84


参考記事:「マララ・ユスフザイさんとコメニウス」

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1058522&c=3304&d=ed84



今回取り上げた、フランシス・ベーコン、ヨハネス・ケルピウス、コメニウスがその実例ですが、バラ十字思想からの強い影響を受けた著名人の多くが、教育と平和のために力を尽くす生涯を送っています。


しかし日々のニュースを見て、分かる通り、平和を世界全体に行き渡らせるというバラ十字会の昔からの目標は、まだまだ達成にほど遠い状態にあります。


21世紀に入り、おおむね四半世紀が過ぎた今、科学と資本主義の経済システムだけでは、多くの人の道徳心を支えるためには役に立たないことが分かってきたのではないでしょうか。



宗教ではない道徳心を支える手段は、コメニウスが理想だと考えた「真の教育」しかないように思われます。


そして、真の教育という名に値するとまでは行かなくても、それにできるだけ近いものを多くの皆さんに提供するということは、当会の活動の重要な目標になっています。



今回の話は長文でした。結末がやや固くなりましたが、最後までお読みいただき、ありがとうございます。


またお付き合いください(^^)/~


◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇

■編集後記

大きなフヨウの花が咲いています

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1058523&c=3304&d=ed84

◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇


コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« やはり大変! | トップ | 今日の母は好調&初物の桃 »

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
星光輝さんへ (ピエリナ)
2023-07-08 10:27:52
おはようございます、星光輝さん(^^)/

調べてみましたら、「ポジティブスイッチ 絶望からの思考革命」という本を書いておられますね。

心理学では人間の本質は不安であり、放っておくとネガティヴになるようです。
この安全装置がないと人類は生き延びて来ることは出来なかったと言われたら、確かにそうですよね。
危機管理には必要な感情ですから。

結局は意志の力で「にもかかわらず」、「それでも人生にイエスと言う」(フランクル)、前向きに、ポジティヴに生きることが大切なのでしょうね。

人生、いろいろなことがありますが、やはり「にもかかわらず」が重要なような・・・。

コメントをありがとうございました。
返信する
Unknown (星光輝)
2023-07-08 07:47:19
おはようございます!

澤邊芳明さん
「私はこうしてポジティブスイッチを手にいれた」
凄いですね
にんげん ポジティブに生きる
できるようで、できない
残された可能性
できることに可能性をみつける

もう一つは何か
気になります
一度手にして読んでみたい、と思います

澤邊芳明さん、致知出版社 のワードで
検索すればわかるでしょうか
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。