今日は14年前の3月2日に亡くなった父の誕生日でした。
生きていたら満97歳でした。
その父からかどうか定かではありませんが、多分、父の後押しもあったと思われます。
何故ならばそれは私の悲願だったからです。
その言葉をある方から思いがけずお聞きして私は号泣してしまいました。
魂の慟哭でした。
また、私の取り寄せている月刊誌の「到知」のメルマガより、あまりにも感動して涙が溢れましたのでシェアさせて頂きます。
From: 致知一日一言
Sent: Sunday, May 22, 2016 8:34 PM
Subject: 赤とんぼになった大輔
【今日の言葉プラスα】
■「大輔が遺したメッセージ」
福嶋正信(東京都立小山台高校野球部監督)
忘れもしない、あの事故が起こったのは、私が野球班(部)監督として東京都立小山台高校に赴任し、2年ほど経った2006年6月3日のことでした。
「福嶋先生、夏の大会も一か月に迫ったので新しいバットを買いに行きたいのですが、大輔も連れていっていいですか?」
市川大輔は、当時2年生唯一のレギュラー。派手さはないけれど、何事にもコツコツと一所懸命に取り組む、誰からも信頼される選手でした。私は、「いいぞ、大輔も先輩といっしょに行ってこいよ」と、練習が終わった後に、子供たちを近くのスポーツ店に送り出したのです。
しかし、それが大輔との今生の別れになるとは、夢にも思いませんでした。皆で購入したバットを手に帰宅の途に就いた大輔は、自宅マンションに設置されていたシンドラー社製のエレベーターに挟まれる事故に遭い、帰らぬ人となったのです。大輔は手にバットを握り締めたまま亡くなっていたといいます。
あの時、大輔を買いに行かせなかったなら……。事故後、私も生徒たちも、大輔のことが悔しくて、悲しくて、大粒の涙が止めどなく溢れ、練習することさえままなりませんでした。
そんな私たちに、再び前を向いて一歩を踏み出す力を与えてくれたのが、大輔のお母さんから届いた、
「皆さん、悲しい顔で練習をしていたら大輔が泣きます。だから笑顔で練習してくださいね」というお手紙。そして大輔が野球日誌に書き残した次のような言葉の数々でした。
「当たり前のことを当たり前にやる。でもそれが難しい」
「一分一秒を悔いのないように生きる。精いっぱい生きる」
「エブリ デイ マイ ラスト」
泣いていてはいけない、大輔のためにも笑顔でプレーしよう、毎日を精いっぱい生き、絶対に甲子園にいこう 。小山台は都内有数の進学校で、練習スペースも時間も限られており、甲子園はおろか上位進出さえ難しいのが現実でしたが、大輔の事故をきっかけにして、チームとしての絆が深まり、必死に練習に励むようになったのです。
そのような「大輔のために」という私たちの思いが、天国の大輔に届いたのでしょうか。
事故から4か月後に行われた千葉経大附高との試合中、ベンチに座っていると一匹の赤トンボが私の膝に止まり、じっと動こうとしません。私はハッとして、思わず「大輔か?」と手を伸ばすと、赤トンボは私の指にしっかり止まったのでした。
さらに指から離れていった赤トンボに
「おい、大輔!」
と呼び掛けると、またぴゅーっとベンチに舞い戻ってくる。その瞬間、私も選手たちも涙が溢れて止まらなくなりました。奇しくも大輔が最初に活躍してレギュラーを勝ち取ったのがこの千葉経大附高のグラウンド。大輔は赤トンボに姿を変え、私たちのもとに戻ってきたのです。
「大輔は生きている。私たちと一緒に戦ってくれている」
やがて、何事にも一所懸命取り組み決して手を抜かない、大輔が教えてくれた生き方は、小山台野球班の伝統精神として根づき、目に見える結果として表れるようになっていきました。
・ ・ ・ ・ ・
そんな最中の2014年1月に、嬉しい知らせが私たちのもとに飛び込んできます。これまでの実績、他校や地域によい影響を与えてきたことなどを考慮して選ばれる春の選抜高等学校野球大会(甲子園)の出場枠「二十一世紀枠」に、小山台が都立として初選出されたのです。
万全の準備をして迎えた甲子園の初舞台でしたが、結果は初戦敗退という厳しいものでした。しかし、その悔しさを胸に、二十一世紀枠出場校に相応しい実力、品格を備えたチームになろうと改めて皆で誓い合うことができました。
そして、そんな私たちを大輔は身近で見守ってくれていたようです。ある選手のお母さんが甲子園で着用したユニフォームを洗濯しようとポケットに手を入れてみると、赤トンボの絵がびっしりと刺しゅうされたえんじ色の布切れが出てきたのです。
しかも、関係者の誰一人として、その布切れのことを知らないと言います。いまも真相は分かりませんが、おそらく大輔はいてもたってもいられず、空から舞い降りてきて私たちを応援してくれていたのでしょう。
大輔が亡くなってから早九年が経ちました。しかし、小山台野球班の一人ひとりが一日一日を精いっぱい生き、全力でプレーする姿を見せ続けていく限り、大輔が遺した思い、メッセージは、永遠に人々の心の中に生き続けていくはずです。そのためにも、私はこれからも力の限りグラウンドに立ち続けます。
※月刊『致知』2016年4月号より
今日はいつもご馳走になっているので、友人を呼んでおうちランチをしました。
サラダ揚げ麺とフルーツのヨーグルト和え。
ネクターとお芋は友人が買ってきてくれました。
食後はコーヒー。
でも、おなかがいっぱいでおやつまでは入りませんでした。
それから、シュシュのバーゲンが始まりましたので行って来ました。
西川沿いは緑が多くて癒されます
そのそばに稲荷神社がありました。
英語の先生が喜ばれると思い撮影。
予想通り喜ばれてあれこれ質問されましたが、難しい~~~
昨日は孔子と儒教について話しました。
ついつい普通のマニュアルから脱線して、このような話になります。
興味の対象が似ているせいだと思います。
本日の購入品です。
夏に向けて青色を選びました。