大江・岩波沖縄戦裁判を傍聴してヤマトゥから戻ってきたら、某新聞社の記者から裁判について質問のメールが届いていた。質問内容は以下の4点である。
質問1:今回の高裁判決により、沖縄への一連の「攻撃」は収まるのか、収まらないのか。
質問2:高裁判決によって、「集団自決」に関する一連の議論は決させるのか、させないのか。
質問3:司法でのひとつの解決は、歴史論争との関連ではどのような意味があるのか。
質問4:判決の内容を都合良く解釈していくであろう原告側の言説に対し、沖縄はどう対抗していくべきか。
私の返信が遅くなって記事の役には立たなかったが、質問に答えながら裁判についての考えをまとめることはできた。せっかくなので、そのときの質問1~4を再度利用させてもらい、返信に加筆する形で私なりの考えを書いてみたい。
質問1:今回の高裁判決により、沖縄への一連の「攻撃」は収まるのか、収まらないのか。
収まるわけはありません。従軍慰安婦問題は10年かけて世論をひっくり返した。「集団自決」問題も10年かけて取り組む。すでに藤岡信勝氏はそう公言しています。原告や「靖国応援団」を自称する弁護団、その支援者らにとっては、裁判に勝つこと以上に、裁判を利用して政治キャンペーンをすることが目的なのですから、これからも執拗に「攻撃」をくり返すはずです。
ただ、裁判に負けることによるダメージは、彼らも相当大きなものがあるはずです。それによって彼らの「攻撃」の度合いや内容も変わってくるでしょう。それがどれくらいの程度、内容になるかは現段階でははっきりしませんが、少なくても「隊長の住民への直接命令は証明されなかった」=「隊長命令はなかった」=「軍の命令もなかった」という形での政治キャンペーンはやってくるでしょう。
昨年の9.29沖縄県民大会について、彼らは参加者の数を問題にし、必死にデマキャンペーンをやっていますが、自分たちには決して実現することのできない集会を見せつけられて、現実を直視する勇気がないのでしょう。南京大虐殺や従軍慰安婦問題など、これまで中国・韓国・北朝鮮を対象に行ってきた政治キャンペーンとは違う反発や抵抗を受け、沖縄は違う、という感触を彼らも持っているのではないでしょうか。
それだけに、追いつめられれば追いつめられるほど、彼らの攻撃もより悪質なものになっていくことが予想されます。現在も、左翼が支配する全体主義の島、というイメージ操作を行い、沖縄は特殊な場所なのでそこで語られている沖縄戦の認識も特殊なものなのだ(真逆史観)などという形で、沖縄戦の実相が全国に普遍化されるのを食い止めようとしています。そして、沖縄の特殊性を支えているものとして、沖縄の新聞などメディアへの不信煽りを執拗に行っています。さらに、裁判で証言に立った金城重明氏への、許しがたい個人攻撃をくり返しています。
沖縄を「本土」防衛のための「捨て石」にして十数万人の犠牲者を生み出したこと。「天皇メッセージ」やサンフランシスコ講話条約で沖縄を切り捨て、27年間にわたって米軍の支配下に置いてきたこと。1972年の施政権返還後も米軍専用施設の75%を沖縄に押しつけていること。「本土」の防衛と復興、経済繁栄のために沖縄に犠牲を強いてきた自分たちのあり方や責任は省みることなく、嘘を塗り重ねて「沖縄批判」なるものをやっているのが「靖国応援団」や藤岡グループ、小林よしのりらです。
彼らの最終目的は、日本軍の「名誉回復」という形で沖縄戦の実相を覆い隠すことであり、「集団自決」を殉国美談にすり替えていくことです。その目的を果たすために、彼らは長期的に攻撃を続けるはずです。それに対して受け身になるのではなく、彼らの沖縄戦に関する無知と論理のデタラメさ、「集団自決」の犠牲者と生存者の尊厳、心情を踏みにじる卑劣さなどを広く全国の市民に明らかにし、その政治目的を打ち砕いていく必要があります。控訴審で出された「藤岡意見書」など、こんなデタラメな文書を書く人物が作る「新しい歴史教科書」がどの程度のものか推して知るべきで、その無惨な姿を満天下にさらしてやるべきでしょう。
質問2:高裁判決によって、「集団自決」に関する一連の議論は決させるのか、させないのか。
多くの方が指摘されているように、裁判官は歴史研究者ではありません。また、裁判所に提出された書証の範囲でしか、裁判官は判断できません。「集団自決」(強制集団死)の問題に関しては、裁判で議論されていない点が多々あります。沖縄戦研究者をはじめ、多くの市民の真摯な事実究明と議論は、これからも続けられる必要があります。裁判所の判決によって、ある歴史問題の議論が決することはあり得ませんし、あってはならないことです。
本来、このような歴史上の問題を裁判所で論じること自体がおかしいのです。裁判に持ち込んだ原告や弁護団、支援者らがやってきたことを見れば、彼らは歴史の真実を究明しようというより、裁判を自らの政治キャンペーンに利用するための手段として使っているとしか思えません。実際、原告側の主張を一方的に取り上げて教科書検定がなされ、「集団自決」について記述の書き換えもなされています。この裁判が教科書検定と結びついていることや、憲法改悪、米軍再編、自衛隊強化とも結びついているというその政治性を、もっと批判して市民に伝えていく必要があります。
判決について言えば、それは裁判で争われた名誉毀損や出版停止に対しての結論ではあっても、「集団自決」(強制集団死)についての結論ではありません。判決文の内容もこれから考察の対象として扱われ、あくまで一つの見解として参考とすべきものです。それが公による判断として定説化されるとしたらおかしなことであり、「集団自決」についてはこれからさらに議論がなされ、考察が深められなければなりません。
今回の裁判において原告側は、立証不可能なように問題を「隊長の直接命令」に絞り込む法廷戦術を採っていました。渡嘉敷村・座間味村の沖縄戦当時の幹部が亡くなっていて、赤松・梅澤氏から直接に命令を聞いた人がいない中で、それを立証することは難しいはずだ、と彼らは読んでいたはずです。「集団自決」の全体構造から「隊長の直接命令」を切り離し、そこを一点突破することによって軍命令を否定し、「集団自決」を殉国美談にすり替えていく。その手法を彼らは今後も貫くでしょうし、マスコミやインターネットを利用し、梅澤・赤松隊長が住民に直接命令した事実は証明されなかった、だから軍命令はなかった、と政治キャンペーンしていくでしょう。
それに対しては、これまでも沖縄で論じられてきたように、軍の命令・強制に関して「隊長の直接命令」に限定することなく、もっと大きな構造の中で究明していく必要があります。手榴弾の配布や合囲地境、大詔奉戴日などでの訓示、住民証言など、裁判では隊長の命令を裏づける論拠が被告側から示されました。それ以外にも、沖縄戦に先行する他の地域の「玉砕」との比較検証、「玉砕」「特攻」についての考察など、慶良間諸島における「玉砕」の命令・指示に関連して追求されなければならないことはたくさんあります。
沖縄戦が「本土防衛」のための「捨て石作戦」として、あらかじめ住民をも巻き込んだ「玉砕」必至の作戦として位置付けられる中で、慶良間諸島に配置されたマルレの部隊は、その沖縄戦の緒戦において、米艦船に体当たりの特攻作戦を敢行する役目を負わされていました。赤松隊や梅澤隊が出撃し、作戦が成功していれば、当然のことながら米軍は第二波、第三波の攻撃を予想し、それを防ぐためにマルレの出撃拠点を突きとめ、そこを破壊する攻撃を行ったでしょう。そのときに島に残った日本軍の一部と防衛隊、朝鮮人軍夫、住民はわずかな武器で米軍と戦い「玉砕」する。すでに沖縄島との交通は途絶え、兵や物資の支援もあり得ないのですから、生き残って「捕虜」になるという選択肢が許されないとすれば、特攻で出撃した赤松部隊・梅澤部隊の後を追って、住民も軍とともに「玉砕」する、という選択肢以外にはあり得なかったはずです。
沖縄作戦が「玉砕」必至の作戦として立案され、その中でも緒戦における慶良間諸島の海上特攻作戦は、「玉砕」の皮切りの作戦として大本営・沖縄守備軍によって位置付けられていたのではないでしょうか。もちろん、文書には「玉砕」の命令・指示を記さないでしょう。しかし、大本営や第32軍の将校達にとって、それは明白な了解事項であり、沖縄にいた行政の幹部らもそう認識していたはずです。むしろ、軍の無責任体質を考えれば、「玉砕」命令という形で明示することなく、暗黙の認識、意思として伝え、「玉砕」以外の選択肢がない形で作戦を立て、そこに追いやった方が、上級機関は責任を逃れられます。そういう狡猾な仕組みも考えておくべきでしょう。
そのような大本営、第32軍の作戦方針・計画の全体構造から慶良間諸島の作戦をとらえ返し、縦の命令構造を究明するのにあわせて、軍組織の末端にいる島の日本軍が、米軍の沖縄攻撃が間近に迫る中で、村の幹部たちに「玉砕」に向けてどのような指導・命令を行っていったかを、より具体的に明らかにしていく必要があります。
すでに渡嘉敷島では3月20日に兵器軍曹から手榴弾が配られていたことや、座間味島でも村の幹部に米軍上陸の際には「玉砕」するよう命令が出ていたことが指摘されています。それらを含めて具体的な事実の掘り起こしと検証が必要だと思います。その先にはまた、「集団自決」の命令・強制の問題を、沖縄作戦を立案・実行した大本営や昭和天皇の責任問題として追求していく課題もあります。
「集団自決」と言われているものは沖縄のほかの地域でも起こっていますが、それらと慶良間諸島におけるそれとはどう違うのか。慶良間諸島に配備されていた部隊が特攻作戦を任務としていたこと、つまり「特攻」と「玉砕」が表裏一体のものとしてあり、軍官民の「共生共死」が最も先鋭な形で位置付けられていたことが、多くの住民の犠牲を生み出した要因ではないかと思いますが、そういう慶良間諸島における特殊性や他の「集団自決」との共通性などについて、比較検証が深められていく必要があります。
私の率直な印象ではこの十年余り、沖縄では「集団自決」か「強制集団死」か、という用語の問題が前面に出すぎて、もっと多様な角度から議論・検証していく作業が、十分になされてこなかったのではないかと思います。80年代の太田・曾野論争の際になされた太田良博氏の反論をさらに掘り下げて、曾野綾子氏の『ある神話の背景』を完膚無きまでに批判していれば、この裁判は起こらなかったかもしれません。無論、こういう言い方は後知恵にすぎませんが、それでも、裁判で原告側に利用された宮城晴美著『母の遺したもの』旧版や林博史著『沖縄戦と民衆』の「隊長命令」に関わる記述の問題、『ある神話の背景』に対する沖縄の知識人達の評価の問題など、これから検証・議論すべき課題でしょうし、この裁判を通して見えたこれまでの沖縄戦研究における意義と反省点は何なのかを考え、議論する必要があると思います。
(つづく)
質問1:今回の高裁判決により、沖縄への一連の「攻撃」は収まるのか、収まらないのか。
質問2:高裁判決によって、「集団自決」に関する一連の議論は決させるのか、させないのか。
質問3:司法でのひとつの解決は、歴史論争との関連ではどのような意味があるのか。
質問4:判決の内容を都合良く解釈していくであろう原告側の言説に対し、沖縄はどう対抗していくべきか。
私の返信が遅くなって記事の役には立たなかったが、質問に答えながら裁判についての考えをまとめることはできた。せっかくなので、そのときの質問1~4を再度利用させてもらい、返信に加筆する形で私なりの考えを書いてみたい。
質問1:今回の高裁判決により、沖縄への一連の「攻撃」は収まるのか、収まらないのか。
収まるわけはありません。従軍慰安婦問題は10年かけて世論をひっくり返した。「集団自決」問題も10年かけて取り組む。すでに藤岡信勝氏はそう公言しています。原告や「靖国応援団」を自称する弁護団、その支援者らにとっては、裁判に勝つこと以上に、裁判を利用して政治キャンペーンをすることが目的なのですから、これからも執拗に「攻撃」をくり返すはずです。
ただ、裁判に負けることによるダメージは、彼らも相当大きなものがあるはずです。それによって彼らの「攻撃」の度合いや内容も変わってくるでしょう。それがどれくらいの程度、内容になるかは現段階でははっきりしませんが、少なくても「隊長の住民への直接命令は証明されなかった」=「隊長命令はなかった」=「軍の命令もなかった」という形での政治キャンペーンはやってくるでしょう。
昨年の9.29沖縄県民大会について、彼らは参加者の数を問題にし、必死にデマキャンペーンをやっていますが、自分たちには決して実現することのできない集会を見せつけられて、現実を直視する勇気がないのでしょう。南京大虐殺や従軍慰安婦問題など、これまで中国・韓国・北朝鮮を対象に行ってきた政治キャンペーンとは違う反発や抵抗を受け、沖縄は違う、という感触を彼らも持っているのではないでしょうか。
それだけに、追いつめられれば追いつめられるほど、彼らの攻撃もより悪質なものになっていくことが予想されます。現在も、左翼が支配する全体主義の島、というイメージ操作を行い、沖縄は特殊な場所なのでそこで語られている沖縄戦の認識も特殊なものなのだ(真逆史観)などという形で、沖縄戦の実相が全国に普遍化されるのを食い止めようとしています。そして、沖縄の特殊性を支えているものとして、沖縄の新聞などメディアへの不信煽りを執拗に行っています。さらに、裁判で証言に立った金城重明氏への、許しがたい個人攻撃をくり返しています。
沖縄を「本土」防衛のための「捨て石」にして十数万人の犠牲者を生み出したこと。「天皇メッセージ」やサンフランシスコ講話条約で沖縄を切り捨て、27年間にわたって米軍の支配下に置いてきたこと。1972年の施政権返還後も米軍専用施設の75%を沖縄に押しつけていること。「本土」の防衛と復興、経済繁栄のために沖縄に犠牲を強いてきた自分たちのあり方や責任は省みることなく、嘘を塗り重ねて「沖縄批判」なるものをやっているのが「靖国応援団」や藤岡グループ、小林よしのりらです。
彼らの最終目的は、日本軍の「名誉回復」という形で沖縄戦の実相を覆い隠すことであり、「集団自決」を殉国美談にすり替えていくことです。その目的を果たすために、彼らは長期的に攻撃を続けるはずです。それに対して受け身になるのではなく、彼らの沖縄戦に関する無知と論理のデタラメさ、「集団自決」の犠牲者と生存者の尊厳、心情を踏みにじる卑劣さなどを広く全国の市民に明らかにし、その政治目的を打ち砕いていく必要があります。控訴審で出された「藤岡意見書」など、こんなデタラメな文書を書く人物が作る「新しい歴史教科書」がどの程度のものか推して知るべきで、その無惨な姿を満天下にさらしてやるべきでしょう。
質問2:高裁判決によって、「集団自決」に関する一連の議論は決させるのか、させないのか。
多くの方が指摘されているように、裁判官は歴史研究者ではありません。また、裁判所に提出された書証の範囲でしか、裁判官は判断できません。「集団自決」(強制集団死)の問題に関しては、裁判で議論されていない点が多々あります。沖縄戦研究者をはじめ、多くの市民の真摯な事実究明と議論は、これからも続けられる必要があります。裁判所の判決によって、ある歴史問題の議論が決することはあり得ませんし、あってはならないことです。
本来、このような歴史上の問題を裁判所で論じること自体がおかしいのです。裁判に持ち込んだ原告や弁護団、支援者らがやってきたことを見れば、彼らは歴史の真実を究明しようというより、裁判を自らの政治キャンペーンに利用するための手段として使っているとしか思えません。実際、原告側の主張を一方的に取り上げて教科書検定がなされ、「集団自決」について記述の書き換えもなされています。この裁判が教科書検定と結びついていることや、憲法改悪、米軍再編、自衛隊強化とも結びついているというその政治性を、もっと批判して市民に伝えていく必要があります。
判決について言えば、それは裁判で争われた名誉毀損や出版停止に対しての結論ではあっても、「集団自決」(強制集団死)についての結論ではありません。判決文の内容もこれから考察の対象として扱われ、あくまで一つの見解として参考とすべきものです。それが公による判断として定説化されるとしたらおかしなことであり、「集団自決」についてはこれからさらに議論がなされ、考察が深められなければなりません。
今回の裁判において原告側は、立証不可能なように問題を「隊長の直接命令」に絞り込む法廷戦術を採っていました。渡嘉敷村・座間味村の沖縄戦当時の幹部が亡くなっていて、赤松・梅澤氏から直接に命令を聞いた人がいない中で、それを立証することは難しいはずだ、と彼らは読んでいたはずです。「集団自決」の全体構造から「隊長の直接命令」を切り離し、そこを一点突破することによって軍命令を否定し、「集団自決」を殉国美談にすり替えていく。その手法を彼らは今後も貫くでしょうし、マスコミやインターネットを利用し、梅澤・赤松隊長が住民に直接命令した事実は証明されなかった、だから軍命令はなかった、と政治キャンペーンしていくでしょう。
それに対しては、これまでも沖縄で論じられてきたように、軍の命令・強制に関して「隊長の直接命令」に限定することなく、もっと大きな構造の中で究明していく必要があります。手榴弾の配布や合囲地境、大詔奉戴日などでの訓示、住民証言など、裁判では隊長の命令を裏づける論拠が被告側から示されました。それ以外にも、沖縄戦に先行する他の地域の「玉砕」との比較検証、「玉砕」「特攻」についての考察など、慶良間諸島における「玉砕」の命令・指示に関連して追求されなければならないことはたくさんあります。
沖縄戦が「本土防衛」のための「捨て石作戦」として、あらかじめ住民をも巻き込んだ「玉砕」必至の作戦として位置付けられる中で、慶良間諸島に配置されたマルレの部隊は、その沖縄戦の緒戦において、米艦船に体当たりの特攻作戦を敢行する役目を負わされていました。赤松隊や梅澤隊が出撃し、作戦が成功していれば、当然のことながら米軍は第二波、第三波の攻撃を予想し、それを防ぐためにマルレの出撃拠点を突きとめ、そこを破壊する攻撃を行ったでしょう。そのときに島に残った日本軍の一部と防衛隊、朝鮮人軍夫、住民はわずかな武器で米軍と戦い「玉砕」する。すでに沖縄島との交通は途絶え、兵や物資の支援もあり得ないのですから、生き残って「捕虜」になるという選択肢が許されないとすれば、特攻で出撃した赤松部隊・梅澤部隊の後を追って、住民も軍とともに「玉砕」する、という選択肢以外にはあり得なかったはずです。
沖縄作戦が「玉砕」必至の作戦として立案され、その中でも緒戦における慶良間諸島の海上特攻作戦は、「玉砕」の皮切りの作戦として大本営・沖縄守備軍によって位置付けられていたのではないでしょうか。もちろん、文書には「玉砕」の命令・指示を記さないでしょう。しかし、大本営や第32軍の将校達にとって、それは明白な了解事項であり、沖縄にいた行政の幹部らもそう認識していたはずです。むしろ、軍の無責任体質を考えれば、「玉砕」命令という形で明示することなく、暗黙の認識、意思として伝え、「玉砕」以外の選択肢がない形で作戦を立て、そこに追いやった方が、上級機関は責任を逃れられます。そういう狡猾な仕組みも考えておくべきでしょう。
そのような大本営、第32軍の作戦方針・計画の全体構造から慶良間諸島の作戦をとらえ返し、縦の命令構造を究明するのにあわせて、軍組織の末端にいる島の日本軍が、米軍の沖縄攻撃が間近に迫る中で、村の幹部たちに「玉砕」に向けてどのような指導・命令を行っていったかを、より具体的に明らかにしていく必要があります。
すでに渡嘉敷島では3月20日に兵器軍曹から手榴弾が配られていたことや、座間味島でも村の幹部に米軍上陸の際には「玉砕」するよう命令が出ていたことが指摘されています。それらを含めて具体的な事実の掘り起こしと検証が必要だと思います。その先にはまた、「集団自決」の命令・強制の問題を、沖縄作戦を立案・実行した大本営や昭和天皇の責任問題として追求していく課題もあります。
「集団自決」と言われているものは沖縄のほかの地域でも起こっていますが、それらと慶良間諸島におけるそれとはどう違うのか。慶良間諸島に配備されていた部隊が特攻作戦を任務としていたこと、つまり「特攻」と「玉砕」が表裏一体のものとしてあり、軍官民の「共生共死」が最も先鋭な形で位置付けられていたことが、多くの住民の犠牲を生み出した要因ではないかと思いますが、そういう慶良間諸島における特殊性や他の「集団自決」との共通性などについて、比較検証が深められていく必要があります。
私の率直な印象ではこの十年余り、沖縄では「集団自決」か「強制集団死」か、という用語の問題が前面に出すぎて、もっと多様な角度から議論・検証していく作業が、十分になされてこなかったのではないかと思います。80年代の太田・曾野論争の際になされた太田良博氏の反論をさらに掘り下げて、曾野綾子氏の『ある神話の背景』を完膚無きまでに批判していれば、この裁判は起こらなかったかもしれません。無論、こういう言い方は後知恵にすぎませんが、それでも、裁判で原告側に利用された宮城晴美著『母の遺したもの』旧版や林博史著『沖縄戦と民衆』の「隊長命令」に関わる記述の問題、『ある神話の背景』に対する沖縄の知識人達の評価の問題など、これから検証・議論すべき課題でしょうし、この裁判を通して見えたこれまでの沖縄戦研究における意義と反省点は何なのかを考え、議論する必要があると思います。
(つづく)
<6 官平秀幸の新しい供述及び関連証拠について>
とりいそぎ電子TEXTアップしましたのでお知らせします。
http://www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/1632.html
ノーマ・フィールドさんは「天皇の逝く国で」(1994年刊)の中で[compulsory group suicide・強制的集団自殺」だと考えていると記されている。丸木位里・俊さんのお二人は「沖縄戦の図」の中に「集団自決とは手を下さない虐殺である」と書き込まれた。「集団自決」を「強制集団死」と呼び換えても、なにかしっくりこないと感じるのは、強制した主体が言い表せていないからでないだろうか?いっそ、直接的に「軍命強制死」、または「軍命強制集団死」と称した方が分かりやすい呼称ではないだろうか。教科書への記載復帰要求運動にとっても,「軍命強制死」とはっきり記載して運動展開してゆく方が多くの人に分かりやすく、拡がりやすいのではないか。体験者とともに、そして若い人々とも一緒に、議論が広がり、早期にこの問題の大衆的合意がなされんことを願っている。
その中に、宮城晴美〈座間味島の「集団自決」ジェンダーの視点から(試論)〉が収められています。
「集団自決」という用語の問題にも論及していて、参考になります。
宮城氏が指摘していることでもありますが、「集団自決」という用語が孕んでいる問題はあるにしろ、慶良間諸島をはじめ生存者がその言葉を現在も使い、自らの体験を振り返り、語っていることに十分な配慮が必要です。
「集団自決」という言葉を禁句にし、その言葉を使うこと自体が問題であるかのような論調は、生存者に沈黙と苦痛を強いることになりかねません。
より適切な用語を考え、提起する際にも、それを一般化させる努力は、生存者や遺族の現状と心情を配慮しながらなされるべきだと思います。
この10年余、沖縄では「集団自決」か「強制集団死」かという用語問題が前面化し、そのために対立が生じたり、多様な視覚からの検証が遅れてしまった面もあるのではないかと思います。
この問題の「大衆的合意」を急ぐことが、生存者の沈黙や用語の強制とならないように注意が必要です。
「集団自決」という用語が別の用語に変わっていくにしろ、それは生存者や遺族の理解を得ながら、時間をかけて一般化していく必要があるのではないでしょうか。