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海鳴りの島から

沖縄・ヤンバルより…目取真俊

梅澤氏の「あいつら、あの連中」発言

2008-11-12 17:25:09 | 「集団自決」(強制集団死)
 ユーチューブで「集団自決」を検索すると、〈「沖縄集団自決」原告側のコメント〉という投稿が出てくる。大江・岩波沖縄戦裁判の一審判決が下りた08年3月28日夜のテレビ朝日・報道ステーションの映像なのだが、判決直後の原告・被告双方の記者会見の様子が番組では放映されていて、梅澤裕氏の次のような発言場面を見ることができる。

 〈私は死ぬなんて思ってないよ、あいつら、あの連中が。だから、もしも、俺の部下で、民に手榴弾なんか渡した者があるとしたら、それは命令違反だね〉

 梅澤氏が〈あいつら、あの連中〉と呼んでいるのは、座間味島の島民である。記者会見の場でテレビカメラを前にして、そう言い放つ梅澤氏の姿には、座間味島の人たちを見下す傲慢さが現れている。これは判決直後の興奮がもたらした一時的なものだろうか。私にはそうは思えない。むしろ梅澤氏の本音・素顔が現れたと見るべきだろう。
 大阪地裁に傍聴に行き、初めて梅澤氏の姿を目にしたとき、九十歳というのにがっしりとした体つきで、かくしゃくとしているのに驚いた。若い頃は、かなりいい体格だったのだろう。1944(昭和19)年の9月、軍服に身をつつみ軍刀を提げた青年将校の梅澤隊長が、若い特幹兵を率いて座間味島にやってきたとき、島の人たちは畏敬と憧れの目でその姿を眺めたはずだ。兵役に就いた者をのぞけば、日本軍の若い将校の姿を間近に見る機会などなかったであろう島の人たちに、梅澤隊長の一言一句が絶大な影響を与えたことは想像に難くない。
 裁判の時に梅澤氏は、いつもキャリーバッグを引っぱって法廷に入り、弁護士たちの後ろの壁際の椅子に赤松氏と並んで腰を下ろした。それから、かぶっていたベレー帽を取り、傍聴席を眺め回す。審理が始まると目を閉じて発言を聞き、気になる発言があると目を開けて証言者や被告側弁護士らを見つめ、時折、傍聴席に視線をめぐらしていた。白髪の短髪に顎髭をたくわえた風貌や、胸を反らして法定内を睥睨する所作には、いかにも元軍人という雰囲気が漂っていた。
 戦後60年余を経てもその精神構造は変わっていないのだろう。梅澤氏の言動を目にしながら度々そう思った。座間味島の人たちを「あいつら、あの連中」と呼ぶ姿にも、陸軍士官学校を出た職業軍人が民間人に対するときのエリート意識が、今もそのまま残っているのを感じさせる。
 宮城晴美著『母が遺したもの』(高文研)に著者とその母の初枝氏が、梅澤氏を座間味島に案内したときの様子が記されている。自分の部下が死んだ場所では号泣したのに、村の幹部や住民が「自決」した場所では大した関心を示さない梅澤氏を見て、著者は〈私はそのとき、住民に「玉砕」を命令したのは梅澤氏ではないことを確信した。もし、自分の命令で大勢の住民が死んだとなれば、たとえ〃人を殺す〃ことを職業とする軍人であれ、気持ちがおだやかであるはずはない〉(旧版265ページ)と記している。
 2008年に出された新版では、この部分は削除されているのだが、旧版を読んで著者と逆の印象・感想を持つ人もいるだろう。こういうふうに住民の死に冷淡な職業軍人であったからこそ玉砕命令を出せたし、今になって否定することもできるのではないか。くり返し読む中で私はそう感じたのだが、印象や感想は主観的なものだから、人によって捉え方は多様だろう。しかし、裁判を傍聴して梅澤氏の姿や証言を直接目にし、改めていま『母が遺したもの』旧版のその部分を読んで、私の印象・感想は変わらないどころか、むしろ強まっている。
 それは梅澤氏が特別に無慈悲な人物であったということではない。「一億特攻・一億玉砕」が呼号されていた時代に、水上特攻艇のマルレで米艦船に体当たりする任務を負った戦隊長にとって、自分たちが出撃したあとに出撃拠点破壊のためにやってくるであろう米軍に対し、島に残る整備中隊の一部や防衛隊らと共に住民も戦い、最後は玉砕することを事前に村の幹部に命令・指示しておくことは、当然のことだったと思うのだ(この「当然」という言い方には誤解が生じやすいと思うが、無論、命令・指示を肯定するものではない)。逆に言えば、住民が生き延びることは米軍の捕虜となる可能性が高い状況下で、玉砕せずに生き延びよ、という命令・指示を村の幹部たちに隊長という立場で出し得るのか。
 慶良間諸島に配置されていた海上挺身第一・二・三戦隊の役割は、沖縄島西海岸に上陸しようとする米軍艦船を攻撃することだった。つまり、沖縄戦の緒戦の段階で梅澤隊長らは出撃することになっていたのであり、そういう段階で住民が大量に「捕虜」になればどうなるか。秘密基地の置かれていた慶良間諸島の情報はもちろん、沖縄島の情報も米軍は住民から聴取するだろう。それはこれから本格化する戦闘において米軍を利することであり、島の最高指揮官という立場にある隊長が、そういう事態が生じることを認めるはずがないのだ。
 もし仮に、そのような隊長としての立場に私情をはさみ、住民が米軍の捕虜となることを承知して座間味村の幹部らに「死ぬでない」「生き延びよ」と言うほど、梅澤氏が島民のことを思いやったというなら、記者会見で「あいつら、あの連中」と言い放つ姿とのギャップは何なのだろうか。それはたんに言葉だけの問題ではない。裁判で「集団自決」は自分が命令したのではない、と主張するにしても、島の最高指揮官として生じた事態への責任はあるはずだし、良心の呵責を感じるのが普通だろう。梅澤氏はそれさえ全面的に否定し、宮里盛秀氏ら村の幹部や県にすべての責任をおっかぶせて恥じることがない。そこには座間味島の住民への配慮や思いやりは微塵も感じられず、ただ、住民を見下すエリート意識と自らを免罪し正当化することにのみ熱心な無責任さがあるだけだ。
 島で起こった住民の悲惨な死に対して、島の最高指揮官としての責任さえ一切否定している梅澤氏の姿は、日本の軍人の悪しき典型としか私には見えない。今朝の県内紙には、梅澤氏らが昨日、高裁判決を不服として上告したという記事が載っているが、原告側はさらに新たな嘘を重ねて政治キャンペーンをやってくるだろう。それを許してはならないし、教科書検定意見撤回と「強制」記述の完全復活を実現する運動とあわせて、沖縄から裁判支援の運動をもっと広げていかねばと思う。

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