10月31日の大江・岩波沖縄戦裁判の控訴審判決は、車椅子で傍聴されたT氏の介護という形で傍聴することができた。昨年来、大阪に同裁判の傍聴で足を運んだのだが、傍聴券の抽選に外れたときにも、多くの方の親切で毎回傍聴することができた。大変有り難いことで、便宜を図っていただいた皆さんに、この場を借りて感謝申し上げます。
裁判は二分間のテレビ撮影のあと、小田裁判長の判決言い渡しは一分程度であっさりと終わり。もちろん、勝訴の瞬間は嬉しかったのだが、余りにも短くて拍子抜けするほどだった。一審に続き大江・岩波側の全面勝訴と言っていい判決であるとはいえ、問題なしとはしない。控訴人側が、隊長命令を絞り込んで焦点にしたこともあり、今後の課題も残っている。細かい点については、判決文の全文を読んでから考えてみたい。
せっかく関西に来たので、神戸市立博物館で「コロー展」を見たり、京都に足を伸ばして東寺、相国寺、廬山寺、京都国立近代美術館、西本願寺、東本願寺などを見て回った。廬山寺は御所の近くにあり、紫式部の住居跡に建てられているということで、『源氏物語』千年紀を記念しての展示も行われていた。以前訪れたときは桔梗の花が咲いていて、庭の風情がとても良かった。今回は紅葉を期待していたのだが、まだ葉が青くて残念だった。
ヤマトゥに行った際には、沖縄戦関連の資料探しもやっている。今回、大阪朝日新聞をはじめとした昭和初期の新聞の号外を見つけたので購入した。百枚近くあると思うが、2.26事件や血盟団事件、永田鉄山暗殺、満州国建国、上海事変など歴史の重要局面の号外が多く、整理してじっくり読んでみたいと思っている。
裁判は二分間のテレビ撮影のあと、小田裁判長の判決言い渡しは一分程度であっさりと終わり。もちろん、勝訴の瞬間は嬉しかったのだが、余りにも短くて拍子抜けするほどだった。一審に続き大江・岩波側の全面勝訴と言っていい判決であるとはいえ、問題なしとはしない。控訴人側が、隊長命令を絞り込んで焦点にしたこともあり、今後の課題も残っている。細かい点については、判決文の全文を読んでから考えてみたい。
せっかく関西に来たので、神戸市立博物館で「コロー展」を見たり、京都に足を伸ばして東寺、相国寺、廬山寺、京都国立近代美術館、西本願寺、東本願寺などを見て回った。廬山寺は御所の近くにあり、紫式部の住居跡に建てられているということで、『源氏物語』千年紀を記念しての展示も行われていた。以前訪れたときは桔梗の花が咲いていて、庭の風情がとても良かった。今回は紅葉を期待していたのだが、まだ葉が青くて残念だった。
ヤマトゥに行った際には、沖縄戦関連の資料探しもやっている。今回、大阪朝日新聞をはじめとした昭和初期の新聞の号外を見つけたので購入した。百枚近くあると思うが、2.26事件や血盟団事件、永田鉄山暗殺、満州国建国、上海事変など歴史の重要局面の号外が多く、整理してじっくり読んでみたいと思っている。
こんにちは
梅澤、赤松戦隊長側は昨日11日に上告したようです。
裁判が続いていて、みんなの関心が薄れないうちになすべき課題は、
1、曽野綾子「ある神話の背景」の徹底分析
そしてもう一つが、京太郎さんがおっしゃる
2、「自決方針=命令」の実態解明
だと思います。
私も是非、永井和さんの講演はききたいのですが京都まで参上できません。内容ご報告くだされば幸いです。
私は、渡嘉敷にしても座間味にしても阿嘉島にしても、「かねて申し合わせのとおり・・・」という軍・官・民の米軍襲来時の「自決方針」が厳然と有ったと思っています。
しかし、あらゆる記録は3月23日からしかありません。それ以前がありません。奇妙です。赤松隊「陣中日誌」にしても、2月の基地大隊の本島引き上げから3月22日までがすっぽり抜けているのです。
座間味島では村の指導者が皆『自決』しており、「かねて申し合わせのとおり・・・」の中身を今も知っているのはおそらく、梅澤元戦隊長ひとりなのではないでしょうか?渡嘉敷では、古波蔵元村長と元防衛隊長は知っていたかもしれませんが。
いずれにしても、
硫黄島玉砕後の決戦態勢は整えていたはずですが、記録が公表されていません。焼却廃棄されてしまったのでしょうか?
・米機動艦隊のウルシー発進を大本営が掴んだのは3月15日です。
・九州の海軍航空隊がそれを迎撃し最終兵器「桜花」まで出陣させて全滅したのが3月22日です。
・32軍高級参謀八原博通はこう書いています。
<三月二十一日夜、軍参謀長の命なりと、坂口副官から次の伝言があった。 「明早暁内地へ連絡機が出発する。おそらく最後の便と思われるから、故国に送る書信のある者は、今夜中に参謀長宿舎に提出せよ」>
・また、3.23空襲のとき座間味では、10センチキャノン砲の陸揚げ作業中でした。
海上挺進隊のマルレ出撃とその後の「手筈」は周到に計画されていたでしょう。(例によって「負け戦」の想定はしないとしても)・・・・私の推理です。
(永井先生にお尋ねください。第9師団の送り出し後の32軍の戦備変更に関する軍関係文書の存在の如何を)
永井和さんの講演はビデオに記録しておきますが、今回の講演は特に沖縄戦に絞っての依頼ではありません。まだ細かい打ち合わせは出来ていません。(レジメ制作のお願いをしていますのでレジメがでれば講演内容の骨子がはっきりすると思います。)演題は「天皇の統帥権」ですので当然沖縄戦での天皇の戦争責任も語っていただけるものと期待しています。講演集会内の質問時間か、講演終了後の交流会時にni0615さんのご質問をお尋ねしておきます。しかし12月23日はまだ先ですので、永井さんのブログの方へ直接ご質問されたほうがいいのではないでしょうか。
ni0615さんの資料やその他のpdfデーターをやっと(pdfのダウンロードソフトを3時間かかっていれました。)見ることが出来ました。ni0615さんの様々な資料の収集に敬服いたしております。しかし残念なことに、私のパソコンでは第一次資料は画像が荒くて判読出来ません。本当に厚かましいお願いなのですが、収集された第一次資料のコピーを関西沖縄文庫などへ寄贈して頂くことはできないでしょうか?。様々な人々に学習利用することを呼びかけ出来るようになると思うのですが。
八原高級参謀の沖縄作戦(水際ではなく内陸に米軍を引きずり込んでの時間稼ぎ(国体護持のための)の戦略持久戦)をえがいた琉球放送制作の「遅すぎた聖断」というビデオ作品があります。その中で沖縄の第32軍と大本営とで作戦の不一致があったことが分かりやすくえがかれています。沖縄を考える会では沖縄戦ビデオ作品を平和学習会用に貸し出しています。貸し出しは無料です。ご利用下さい。連絡先やビデオリストなどは以前にこのコーナーに載せて頂いています。ご参照下さい。永井さんの記録ビデオ(dvd)も連絡先がわかればお送り致します。関西沖縄文庫等へ届けておく方がいいでしょうか。
>私のパソコンでは第一次資料は画像が荒くて判読出来ません。本当に厚かましいお願いなのですが、収集された第一次資料のコピーを関西沖縄文庫などへ寄贈して頂くことはできないでしょうか?。様々な人々に学習利用することを呼びかけ出来るようになると思うのですが。
例えばどのようなものでしょうか?
http://tree.atbbs.jp/pipopipo/index.php?mode=expn
ご意見ありがとうございます。
私の資料庫につきまして
http://www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/5.html
目取真さんのスペースを無断拝借ですがお答えします。
私が集めているものは、おっしゃるような「1次資料」ではありません。図書館などで断片的に拾い集めた「コピー」などです。これをまた第3者にお渡しできるように編集してお送りする、ということはいささか難しいかと存じます。なにしろはじめから、資力無きものが唯一可能なWEB上での考察もしくは自己学習用としか意識しておりませんので。
なお、「赤松・梅沢」関連の古い新聞記事・週刊誌記事・その他「赤松・梅沢」のインタビュー掲載雑誌記事など、これらは国会図書館に通って集めた「コピー」です。
WEB公開したものの中から、具体的に、「いつの」「だれの」「あれを」「これを」とおっしゃっていただけば、改めてコピーをとってお送りすることもできますが、大部ですと費用的に無理です。
基本的には、私が考察編集の手を加えてWEB公開したものは、ご自由にダウンロードあるいは印刷して、また「活字媒体」として必要な再編集してご使用くださることもご自由です。資料の典拠なども私のサイトでは活字で記すことが出来ます。足らない事項があれば、ご遠慮なく掲示板にてご指摘ください。
http://tree.atbbs.jp/pipopipo/index.php?mode=tree
WEB情報は、相互応答しながら情報が送れる利点があります。しかも通信費がかからず・・・私にはこれを最大限活かす以外に術はありません。
私の資料収集の第1義は費用をかけないことですが、関西沖縄文庫さんのご好意で送っていただいた資料については僅かではありましたが御礼お送り申し上げました。その成果がこれです。http://www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/1420.html
無理なことはお願いできませんので、この件は忘れて下さい。よろしくお願い致します。
私は9月に、関西沖縄文庫で伊敷氏の資料をコピーさせて頂きました。そのお礼という訳でもないですが、私も僅かばかりの、赤松嘉次関係の雑誌等の報道コピーを持っているので、関西沖縄文庫に無さそうなものを勝手に、又コピーで送らせて頂きます。あの膨大な蔵書の一部と成れば嬉しい限りです。
これらは、ni0615さんやその他の情報等で、図書館などで入手したものです。
「赤松氏デビュー1968.4.6週刊新潮」
「赤松氏デビュー1968.4.8琉球新報 」
「《私記》私は自決を命令していない・潮1971年11月号 」
「赤松資料:陣中日誌 海上挺進第三戦隊 昭和45(1970)年作成」
以上のものを徐々に関西沖縄文庫宛郵送します。
>ni0615さん、ご了解下さい。
それ以外の資料の要望が関西からあれば、お応えして頂きたいです。
目取真さんのコメント欄を勝手に使わせて申し訳ありませんでした。
ご存じかと思いますが、『青い海』の赤松手記も県内の図書館にはけっこうバックナンバーがありますからコピーできます。
未来社から出ている『沖縄暴力論』には70年3月の那覇空港での赤松発言が載っています。