海鳴りの島から

沖縄・ヤンバルより…目取真俊

沖縄戦「集団自決」訴訟という虚構 2

2009-03-28 01:15:56 | 「集団自決」(強制集団死)
[ 〈虚言〉の合作 ]

 以上見たように〈秀幸新証言〉は、控訴審では秀幸氏の過去の証言との〈矛盾〉、〈不自然な変遷〉〈多くの証拠との齟齬〉などを根拠として、〈虚言〉との判断が下されたのだが、それはまた次の点からも明らかである。
 控訴人である梅澤氏が、〈本部壕の場面に宮平がいたことの記憶がない〉としていることは先に触れた。おそらく、それを聞いて藤岡氏はかなり困惑したはずだ。せっかく梅澤証言の信用性を高める目撃者を見つけ出したのに、当の梅澤氏に否定されたのでは元も子もない。そこで藤岡氏が考え出したのが、秀幸氏がすぐ近くで聞いていたのに、梅澤氏はそれに気づいていなかった、とすることである。
 一月二六日の〃偶然〃の出会いの際にチャンネル桜のスタッフが撮影した映像では、秀幸氏は〈自分はその場にいて、隊長とは2メートルくらいしか離れていないところで隊長の話を聞いた〉(控訴審判決文)としていた。あたかも梅澤隊長や座間味村の幹部らと同じ場にいて、その話を聞いていたかのように語っていた。
 しかし、三月二十日に沖縄県庁内でマスコミに発表された「座間味村集団自決の『隊長命令』について」という文書では、次の様に変わっている。
 〈壕の入口にはアメリカ軍の火炎放射器で焼かれるのを防ぐため、水で濡らした毛布を吊していました。その陰で、私は話の一部始終を聞いていました。隊長とは2メートルぐらいしか離れていません。当時私は15歳で、防衛隊員として戦隊本部付きの伝令要員をしていました〉(『WILL』08年8月号増刊136頁)。
 二カ月の間に秀幸氏の証言は、本部壕の入口に吊された毛布の陰で話を聞いた、と変わっているのである。この変化はなぜ生じたのか。実は沖縄県庁でのマスコミ会見の少し前に発売された『正論』4月号の藤岡レポートで、すでに次のように証言の変更がなされていたのだ。
 〈なお、梅澤は本部壕の場面に宮平がいた記憶がない。私は、宮平に本部壕の略図を描いてもらい、それぞれの人物の居た場所を描き込んでもらった。壕の入口には、火炎放射器による火災を防ぐため、何列もの物干し竿をしつらえ、それに水を浸した毛布を掛けていた。宮平はその陰で梅澤の声を聞いていた。そういう位置関係も梅澤が宮平の存在について記憶がない一因となっている可能性はある〉(二三一頁)。
 これを見れば、梅澤氏が〈宮平がいた記憶がない〉と語ったことと辻褄を合わせるため、藤岡氏が主導して秀幸氏の[証言]を引き出し、本部壕の入口に吊された毛布の陰で話を聞いた、という「記憶」が新たに創り出されたことがうかがえる。
 さらにそれに、母・貞子氏の証言への批判、辻褄合わせも加味されて、九月一日に裁判所に提出された秀明氏の「陳述書2」では以下のように脚色されていくのである。三月二五日の夜、整備中隊の壕にいた秀幸氏は、兵隊に促されて家族のもとに戻ろうと整備中隊の壕を出る。その途中の出来事である。
 〈独りで高月山の道までやっと登ってきましたら、折しもものすごい艦砲射撃が始まり、前に進むことができません。そこで、高月山の稜線を南に進み、第一戦隊の本部壕のわきに転がり込むようにしてたどり着きました。それが午後9時頃のことであったと思います。
 本部壕は外から分からないような偽装がほどこされていました。入口は、琉球マツの枝で覆われています。見ると、そこに乾パンが一袋、引っかかっていました。私は急に空腹を覚えて、その乾パンを食べ始めました。
 すると、壕の入口から、人の声が聞こえてきます。何事かとマツの枝をそっと広げてみると、宮里盛秀助役が梅澤隊長に盛んに何かをお願いしているところでした。私は、そっと近づいて聞き耳を立てました。壕の入口には水に濡らした毛布が何枚も掛けられています。あとで知ったことですが、艦砲射撃や火炎放射器で壕が火事にならないよう防火のために掛けていたものでした。 
 私はその毛布の陰に身を潜めました。私と梅澤隊長との距離はわずか2メートル程度しか離れていません。しかし、毛布がちょうど死角となって、私の姿は、梅澤隊長からも盛秀助役からも見えません。こうして私は、その場の話の一部始終を聞いてしまいました〉(五頁)。
 一月二十六日の証言から、何と詳細な内容に変わっていることか。まるで映画の一場面を見るような細かい情景描写だ。しかし、これは見てきたような嘘の見本と言ってもいい代物なのである。 
 沖縄戦において第三二軍が厳しい防諜体制を敷き、住民のスパイ活動を監視していたことはよく知られている。とりわけ、海上特攻隊の秘密基地が置かれた慶良間諸島においてそれは一段と厳しかった。宮城晴美著『母が遺したもの』によれば、マルレと呼ばれた海上特攻艇の訓練の見学は絶対禁止され、サバニ(小舟)を使っての農作業や漁業、那覇や隣島との往来も軍の許可制になった。さらに、スパイ防止用の図案が押された布切れを島民は持たされ、外出するときは服の胸元に付けるようになっていたという。
 そのような座間味島で、米軍上陸を翌日に控えて緊張が高まる二五日の夜に、重要な軍事拠点である本部壕の周辺や入り口付近に警戒にあたる兵が一人も配置されず、秀幸氏はやすやすと梅澤隊長の話を盗み聞きできたというのか。そこで梅澤氏が話した内容は、陳述書によれば〈軍は陸戦の止むなきに至った。我々は持久戦により持ちこたえる〉という作戦に関わることも含まれる。このような軍事機密がいとも簡単に盗み聞きされるとすれば、防諜も何もあったものではない。梅澤隊長は米軍の攻撃開始後も歩哨(衛兵・番兵)を配置することさえ考えつかない阿呆であったと、秀幸氏や藤岡氏は言うつもりか。
事実はまったく違う。三月二五日の夜に本部壕を訪ねた初枝氏は、手記「血塗られた座間味島」にこう書いている。
 〈艦砲射撃の中をくぐってやがて隊長の居られる本部の壕へたどり着きました。入口には衛兵が立って居り、私たちの気配を察したのか、いきなり「誰だ」と叫びました。
 「はい役場の者たちです。部隊長に用事があって参りました」と誰かが答えると、兵は「しばらくお待ちください」と言って壕の中へ消えて行きました。 
 それからまもなくして、隊長が出て来られたのです〉(引用は『母が遺したもの』新・旧版三八~三九頁より)。
 本部壕入口には衛兵が警戒にあたっていて、近づいた村の幹部らは「誰何」され、さらに衛兵が梅澤隊長に取り次いだという。この初枝氏の「手記」と秀幸氏の「陳述書2」を読み比べてみれば、どれが戦場の事実を語っているかは一目瞭然であろう。
 秀幸氏や藤岡氏は、衛兵の目の前で盗み聞きしました、とでも言うつもりだろうか。そもそも、秀幸氏が防衛隊員として「戦隊本部壕付きの伝令要員」であったのなら、本来そこにいるのが役割なのだから、堂々と本部壕の中に入ればいいではないか。毛布の陰に隠れること自体が不自然ではないか。
 すべては藤岡氏と秀幸氏が合作して創り出した嘘だったのだ。ただ、両氏には本部壕の警戒態勢についての視点が欠落していた。それは両氏の沖縄戦についての無知を示している。どんなに場面描写を緻密にし、辻褄を合わせたつもりでも、嘘はいたる所から露顕するのだ。 

[ 梅澤氏の偽りの記憶 ]

 控訴審判決においてはさらに、梅澤氏の証言についても注目すべき判断が下されている。〈原告梅澤の供述等は、初枝の記憶を越える部分について、信用し難い〉という一審の判断を踏襲した上で、控訴審判決では、一九八〇年十二月十六日に初枝氏と梅澤氏が再会し、初枝氏から三五年前の三月二五日夜の出来事を告げられるまで、梅澤氏は座間味村幹部との面会自体を忘れていたする。そして、〈ここで検討を要するのは、控訴人梅澤が本部壕でのことを憶えていなかったとすれば、それはなぜかということである〉(二一四頁)と問題設定して、梅澤氏の忘却の理由を分析する。その上で梅澤氏の証言について、次のように判断を述べるのである。
 〈控訴人梅澤の語る本部壕での出来事は、一見極めて詳細でかつ具体的ではあるが、初枝から聞いた話や初枝から提供されたノート等によって35年後から喚起されたものであり、記憶の合理化や補足、潜在意識による改変その他の証言心理学上よく知られた記憶の変容と創造の過程を免れ得ないものであり、その後さらに繰り返し想起されることにより確信度だけが増したものとみるしかない〉(二一六頁)。
 〈控訴人梅澤は、本部壕で「自決するでない。」などとは命じておらず、かねてからの軍との協議に従って防衛隊長兼兵事主任の助役ら村の幹部が揃って軍に協力するために自決すると申し出て爆薬等の提供を要請したのに対し、要請には応じなかったものの、玉砕方針自体を否定することもなく、ただ、「今晩は一応お帰り下さい。お帰り下さい」として帰しただけであったと認めるほかはない〉(同)。
 「自決するでない」と言ったという梅澤氏の記憶は、戦後三五年経って初枝氏と再会してから〈喚起〉されたものであり、その後自らに都合のいいように〈記憶の合理化や補足〉〈潜在意識による改変〉〈記憶の変容と創造〉がなされ、自分でそう信じ込んでいるだけなのだという。そして、梅澤氏は事前に出されていた〈玉砕方針自体を否定することもなく〉、ただ弾薬を渡さないで帰しただけだとするのだ。
 つまり、座間味村における「集団自決」は、梅澤隊長が止めたのに村の幹部らが勝手に行ったのではなく、〈「今晩は一応お帰り下さい。お帰り下さい」として決断しない部隊長に帰されて、村の幹部らが従来の方針に従い日本軍の意を体して信念に従って集団自決を決行したものと考えるほうがはるかに自然である〉(二一七頁)とするのである。この控訴審判決の判断が、梅澤氏の証言・主張を根本から否定するものであることは言うまでもない。
 〈秀幸新証言〉だけが〈虚言〉=虚構であったのではない。「梅澤陳述書」についても、判決文は慎重な言い回しであるが、自らに都合良く創り出した偽りの記憶に基づく虚構であると言っているに等しい。梅澤氏の証言が虚構であるなら、秀幸氏の新証言が〈虚言〉でしかないのは当然であろう。
 控訴審判決が梅澤証言についてここまで踏みこんだ判断を示したことは、「集団自決」の日本軍による強制という記述を削除した教科書検定問題との関連でも重要である。同検定において文部科学省は、削除の理由の一つとして梅澤氏らによる提訴について触れ、梅澤氏の証言にも言及していた。その証言が虚構でしかないことが、控訴審判決では梅澤氏の記憶や証言心理の問題にまで踏みこんで明らかにされたことを、文部科学省は無視できないはずだ。

[ 虚構の証言の裏に ]

 大江・岩波沖縄戦裁判は、「集団自決」の日本軍による強制という教科書記述を削除させる政治目的を持って、「靖国応援団」の弁護士グループや自由主義史観研究会が主導して起こしたことが明らかとなっている。そのことを示すように控訴審では藤岡氏が前面に出た。しかし、多くの虚構、〈虚言〉、嘘を重ねて沖縄戦の史実を歪曲しようとするその目論見は、控訴審においても完全に破綻した。
 渡嘉敷島・座間味島において、部下や住民に捕虜になるなと厳命し、住民に「集団自決」(強制集団死)を強いた赤松嘉次隊長と梅澤裕隊長は、自らは自決することなく捕虜となり、生きて故郷に帰った。特に梅澤隊長は〈米軍将兵の好意好遇〉(「梅澤隊長手記」)に感激し、積極的に米軍に協力して、阿嘉島で戦っていた第二戦隊の野田義彦隊長に米軍に投降するよう説得活動も行っている。梅澤氏の虚構の証言の裏にあるこの事実を最後に指摘しておく。

(初出『世界』2009年2月号 一部加筆修正)

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3 コメント

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慰霊の日 (ni0615)
2009-03-28 21:24:07
こんにちは
お久しぶりです。

去年はあれだけ報道があった慰霊の日なのに、WEBのニュース検索欄は静かです。

目取真さんのエントリーを読んで、紹介のリンクを貼らせていただきました。
http://ni0615.iza.ne.jp/blog/entry/971137/
返信する
「策」 (いず)
2009-03-28 23:34:04
「...「集団自決」の日本軍による強制という教科書記述を削除させる政治目的...」

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明白。ただそれだけのこと。

学生時代の家庭教師先の生徒のおばあちゃんが、私に話してくれた内容をここに記す。

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「うみ」といったら「やま」
「さいごう」といったら「たかもり」
というように、わかりやすかったが、暗号のもとで豪の出入りをしていた。
私は水汲みの当番だった。
友人と二人でいつものように早朝、明け方、水を汲みに行った。水を汲み終わり帰路の途中、突然、空襲がはじまった。
走って豪に向かった。
後ろで爆発音。私は、後方の友人が気になり、振り返る。友人の姿は見えない。 
だが、友人の彼女がいつも首から提げていた小さな財布が木の高いところに引っかかっているのを見た。よく見ると周辺に肉片らしき塊があちらこちらに飛び散っていた。
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もう10年以上前に聞いた話だが当時の私には非常に衝撃的で、失礼だが何より怖いホラー話を聞かされたような気持ちになった。
このあまりのリアリティーさは何なんだろうと考えたことがあるが、それは彼女が語り部でない点かもしれないと思った。

「友軍(日本軍)は特に怖かった」と最後に言っていた。
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「真実は己の心の中だけにある」と私は常々思っている。だから、いわゆる「証言」という「全ての」ものに関して何かしら羽やら尾ひれやら何かしらがついてくると思っている。
語った時点で「事実」は「事実でなくなる」。

でもそうした考えでは、特に「歴史の検証」という点では一向になされないと考える。

被害者が何かしら訴えると、すぐ「被害妄想」「ヒステリー」などの言葉、あんまり意味の分からない「自己責任」とかいう四文字熟語(?)で片付けられたり。
そういうの、私は非常に許しがたい。

ただでさえ辛い経験をし、それをフラッシュバックやPTSDの中、記憶を辿り、語り、最後にこんな仕打ちをくらうのは完全な二次被害であり、こんな卑劣な仕打ちはあってはならない。

これは、DV(ドメスティックバイオレンス)とよく似ていると私は思う。

「証拠を出せ」というから証言をしても「証拠」として取り扱わない。そもそも密室で行われている様々な暴力行為は、はじめっから加害者の意図的のもと遂行され、こんなパニック状況の中で、録音や録画など無理に決まっている。そんなことが出来るような冷静な判断力があれば起こらないのでは??

すみません。ちょっとDVの方へ脱線気味です。

様々な「証言の検証」は非常に難しいが大切なことである。
ホロコーストは無かった。
南京大虐殺は無かった。
集団自決は無かった。
...語り部を含み、おばあちゃんやおじいちゃんらの証言を「嘘」だと??
私は、一部の政治家らや団体らの「策」であることと認識している。



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宮平秀幸氏の証言について (目取真)
2009-03-29 04:14:06
『世界』の評論では、宮平秀幸氏の証言について書いたのですが、これは『沖縄県史』9・10巻、市町村史その他で集められた沖縄戦の証言とは性格を異にする、極めて特殊な証言だと思っています。
最初から大江・岩波沖縄戦裁判に証拠として出すことを前提にし、原告・梅澤氏の証言を補足して裁判を有利に導くという目的を持ったものであり、藤岡氏との合作によって作り出されたものです。
私は宮平証言が持つそのような特殊性をふまえて、それが〈虚言〉でしかないことを証明するためにこの評論を書いていますので、証言が持つ一般的な問題性は、別のところで論じたいと考えています。
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