11月21日に鹿児島県奄美市の奄美パークで「沖縄・鹿児島連携交流事業」(沖縄県、鹿児島県主催)の記念式典が開かれ、仲井真弘多沖縄県知事と伊藤祐一鹿児島県知事が「沖縄・鹿児島交流拡大宣言」に署名している。翌日の県内紙にその様子が報じられているが、会場前で市民団体による抗議行動があったことも触れられている。沖縄タイムスは短い記事ではあるが、別枠で抗議行動の様子を扱っている。
知人からメールで抗議行動と式典の様子を撮った写真が送られてきたので見ると、市民団体・「交流拡大宣言」の中止を要求する奄美の会(代表・仙田隆宣氏)は、〈奄美の歴史を隠蔽する「交流拡大宣言」の中止を要求する!〉という横断幕を掲げ、〈奄美をバカにするな!〉〈奄美の歴史にふたをするな!〉〈明らかにせよ「不幸な歴史」の事実とは?〉と書かれたプラカードを手にして、会場の玄関前で抗議の声を上げている。中には薩摩の奄美支配・搾取の象徴としてサトウキビを担いでいる人もいる。
同会が出した〈「沖縄・鹿児島連携交流事業」における「交流拡大宣言」の中止を要求する要請書〉は、「島唄まれまれ」「NPO法人ゆいまーる琉球の自治」などのブログに載っているので、ぜひ一読してほしい。それを読めば今回、奄美市でこの記念式典が持たれたことの欺瞞性と問題の根深さがよく分かる。
奄美諸島は琉球王国と薩摩藩の二重支配におかれた地域だ。そういう地で自らの支配・抑圧・差別の歴史を反省し、謝罪することもなく、このような記念式典を開く沖縄県・鹿児島県の無神経さ、傲慢さは抗議、批判されて当然だ。それは両県知事や県当局だけではない。このような記念式典があることに関心すら持っていない両県民も同じである。私にしても、記念式典があることを知って気にはなっていたが、事前に批判・抗議することはしなかった。そのことを反省している。
薩摩藩による琉球侵略400年ということで、今年はシンポジウムなどのイベントが奄美・沖縄でくり返し行われている。今回の記念式典は行政による取り組みだが、両知事によって署名された「宣言文」にはこうある。
〈薩摩による琉球出兵・侵攻400年という節目を迎えたこの年、過去の出来事や成果をしっかり踏まえつつ、両県が真の隣人としての関係を新たに構築するとともに、未来に向けて交流を拡大し、発展させることが重大である〉
未来志向を前面に出して過去をあっさり清算する、いかにも行政的な「宣言」である。だが、行政によるこの種の、未来志向という名の清算主義ほど注意しなければならないものはない。
11月22日付の県内紙に載っている「沖縄・鹿児島交流拡大宣言」を読むと、〈「琉球弧」〉〈「黒潮文化圏」〉〈海の道〉〈アジアや世界に開かれたこの二つの県〉などの言葉が躍っている。プラカードに書かれた「不幸な歴史」の一句はない。羅列される美辞麗句によって、奄美に対する琉球/沖縄、薩摩/鹿児島の支配・抑圧・差別などの歴史と現実は隠蔽される。それを検証、議論、告発することが、華やいだイベントが演出される中で、〈連携交流〉を阻害する後ろ向きの行為であるかのような雰囲気さえ作り出されていく。
行政による、未来志向という名の清算主義は、そのようにして歴史的問題は元より、今も継続する問題をも曖昧にしていく。だが、いくら曖昧にしても、問題が克服されない限り、それは人々を苦しめ続ける。「交流拡大宣言」の中止を要求する奄美の会の〈要請書〉は、主として薩摩の支配と鹿児島県の差別行政に対して批判が向けられているが、ウチナンチューの奄美の人たちに対する差別の問題もある。
今回の「沖縄・鹿児島連携交流事業」の記念式典に対して、ウチナンチューの多くは関心がなかったというのが実情だろう。沖縄県当局も記念式典について事前に熱心に宣伝していたようには見えない。にもかかわらず、奄美諸島があたかも沖縄県と鹿児島県の間にあって、双方を繋ぐものであるかのような演出だけが目立つ。自らの奄美諸島に対する歴史的かつ今日的問題は不問にして、記念式典の場として利用する御都合主義は、余りにも無神経かつ傲慢であり、沖縄においても、もっと問題にされるべきことだ。
知人からメールで抗議行動と式典の様子を撮った写真が送られてきたので見ると、市民団体・「交流拡大宣言」の中止を要求する奄美の会(代表・仙田隆宣氏)は、〈奄美の歴史を隠蔽する「交流拡大宣言」の中止を要求する!〉という横断幕を掲げ、〈奄美をバカにするな!〉〈奄美の歴史にふたをするな!〉〈明らかにせよ「不幸な歴史」の事実とは?〉と書かれたプラカードを手にして、会場の玄関前で抗議の声を上げている。中には薩摩の奄美支配・搾取の象徴としてサトウキビを担いでいる人もいる。
同会が出した〈「沖縄・鹿児島連携交流事業」における「交流拡大宣言」の中止を要求する要請書〉は、「島唄まれまれ」「NPO法人ゆいまーる琉球の自治」などのブログに載っているので、ぜひ一読してほしい。それを読めば今回、奄美市でこの記念式典が持たれたことの欺瞞性と問題の根深さがよく分かる。
奄美諸島は琉球王国と薩摩藩の二重支配におかれた地域だ。そういう地で自らの支配・抑圧・差別の歴史を反省し、謝罪することもなく、このような記念式典を開く沖縄県・鹿児島県の無神経さ、傲慢さは抗議、批判されて当然だ。それは両県知事や県当局だけではない。このような記念式典があることに関心すら持っていない両県民も同じである。私にしても、記念式典があることを知って気にはなっていたが、事前に批判・抗議することはしなかった。そのことを反省している。
薩摩藩による琉球侵略400年ということで、今年はシンポジウムなどのイベントが奄美・沖縄でくり返し行われている。今回の記念式典は行政による取り組みだが、両知事によって署名された「宣言文」にはこうある。
〈薩摩による琉球出兵・侵攻400年という節目を迎えたこの年、過去の出来事や成果をしっかり踏まえつつ、両県が真の隣人としての関係を新たに構築するとともに、未来に向けて交流を拡大し、発展させることが重大である〉
未来志向を前面に出して過去をあっさり清算する、いかにも行政的な「宣言」である。だが、行政によるこの種の、未来志向という名の清算主義ほど注意しなければならないものはない。
11月22日付の県内紙に載っている「沖縄・鹿児島交流拡大宣言」を読むと、〈「琉球弧」〉〈「黒潮文化圏」〉〈海の道〉〈アジアや世界に開かれたこの二つの県〉などの言葉が躍っている。プラカードに書かれた「不幸な歴史」の一句はない。羅列される美辞麗句によって、奄美に対する琉球/沖縄、薩摩/鹿児島の支配・抑圧・差別などの歴史と現実は隠蔽される。それを検証、議論、告発することが、華やいだイベントが演出される中で、〈連携交流〉を阻害する後ろ向きの行為であるかのような雰囲気さえ作り出されていく。
行政による、未来志向という名の清算主義は、そのようにして歴史的問題は元より、今も継続する問題をも曖昧にしていく。だが、いくら曖昧にしても、問題が克服されない限り、それは人々を苦しめ続ける。「交流拡大宣言」の中止を要求する奄美の会の〈要請書〉は、主として薩摩の支配と鹿児島県の差別行政に対して批判が向けられているが、ウチナンチューの奄美の人たちに対する差別の問題もある。
今回の「沖縄・鹿児島連携交流事業」の記念式典に対して、ウチナンチューの多くは関心がなかったというのが実情だろう。沖縄県当局も記念式典について事前に熱心に宣伝していたようには見えない。にもかかわらず、奄美諸島があたかも沖縄県と鹿児島県の間にあって、双方を繋ぐものであるかのような演出だけが目立つ。自らの奄美諸島に対する歴史的かつ今日的問題は不問にして、記念式典の場として利用する御都合主義は、余りにも無神経かつ傲慢であり、沖縄においても、もっと問題にされるべきことだ。
奄美の為政者も協力したのでしょうが、沖縄県知事がこれを奄美で行った事は、無神経な行為だと思います。多くの奄美の人が、自分の島を沖縄の買弁行政によって、利用されたと思うでしょう。
拝ん遠さりょっか
森本@あまみ庵だりょん
薩琉による「清算宣言」についてのご意見を拝読しました。怒りが消えないでいますが、俊さんのブログで少しやわらぎます。おぼこりありょうたぁ。
奄美の地元2紙の記事を当HPの「店頭より」と「与論島クオリア」で紹介、コメントしています。どうか、ご参照ください。
http://manyu.cocolog-nifty.com/yunnu/
ワンは今年を「1,609年問題元年」&「しまぬゆ元年」と位置づけています。来年は「2009年総括集会」などを考えています。
その折にはご案内いたしますので よろしくお願いいたします。
西欧時間ではガリレオがはじめて望遠鏡で月や木星を見てコペルニクスの地動説の正しさを確信したときからの400年。
400年という時間系は何世代をつなぐ命のリレーなのだろうかと、ふと思う。
11月22日、京都に出来た新しいカフェで新垣優子さん(ヤンバル出身)のゆんたくライブがあり関西沖縄文庫からPAのセットの依頼もあり出掛けた。島歌の合間にからくり人形を使って彼女のゆんたくがあった。
「チョンダラー人形とは、ああ!こういう物だったのか!」予想していない出会いに驚いた。
中世、流浪する旅芸人の中にくづつ師(人形使い)がいたとある。からくり人形を使って子どもたちを集め、飴などを売って生計を立てていたという。人形使いの京太郎(チョンダラー)といわれる人のことである。京太郎、鉢たたき(念仏踊り・エイサーの原型)の念仏者(ニンブチャー)、ハンセン病者、様々な人々が寄り添いそして集団を作り、弥勒世(みるくゆ・ニライカナイ)を求めて西方への旅を続け、中には琉球までたどり着いた人々がいたという。
沖縄・辺戸出身の彼女が子ども達の玩具として紹介しているのはチョンダラーが使っていたカラクリ人形そのものではないか!。これか!こういうものだったのか!。目の前で踊る人形のオモシロサと、沖縄に残っていたことに、驚き、そして感動した。
吾が命のリレーの400年前の先祖の方々。ニヘーデービル。
一度きりの人生とはいえ、無数の命に支えられて今あるこの命。責任は己の分だけでなく、未来にも継ぐものと肝に銘じて生きていこう。あきらめない限り、為すべきことは見えてくる。微力でもガンバリましょう!
薩摩、琉球による支配にしても、奄美、沖縄の内部における矛盾、問題にしても、あるいは今回のイベントにしても、議論すべき事柄は多いですね。
ただ、このコメント欄は投稿者同士の議論の場にはしないことにしています。
投稿に対するコメントもありましたが、保留にさせてもらいました。
森本さんらの行動によって、記念式典の問題も浮き彫りになったと思います。
抗議行動があったこと、それによって提起された問題を、沖縄でももっと知らせていかなければと思います。