智を開く

本当の「生きる力」を求めて…

母 逝去

2020-11-17 23:02:04 | ハハ
ハハの母、実母が11月13日(金)17時7分、永眠いたしました。
享年84歳(数え年)。
そして昨日、「告別式」及び「火葬式」を無事執り行うことができました。
母は神職だったので神道形式にて身内のみの家族葬です。
現在実家の後を継ぎ神主をしている実弟は元自民党鳥取県連支部長でしたので、内閣総理大臣菅義偉氏や自民党幹事長二階俊博氏らからも弔電をいただきました。
アヤアカデミーの保護者の方々からはお花をいただき、皆さまの温かいお気遣いにより華やかな神葬祭となりました。
喪主として、改めまして御礼申し上げます。
 
約3か月半の手術&入院生活の間、コロナの影響で家族は面会にも行けず、家に帰れる日をずーっと待ちわびていた母でした。
11月2日に退院して家に帰ったのもつかの間、11日後に亡くなりました。
しかし、その間、念願のカラー&カットまでして、実妹(私の叔母)と一晩ゆっくり過ごすこともできました。
今思えば、自宅に戻ってからまるで「旅立ち」の準備を自ら段取りしたかのようでした。
 
亡くなった後、看護師さんたちが入れ替わり立ち替わり病室に来て涙を流してくださいました。
「ここまでよく頑張ったね」
「あんなにおうちに帰りたがっていたから、最後に帰れてよかったね」
「いつも笑顔でありがとう、って言ってくれて嬉しかったよ、ありがとう」
「最期は苦しまなくて良かったね」
「新人の私に色々教えてくれてありがとう」
「やっと楽になったね」
大動脈解離で倒れたあの「節分の奇跡」以来1年9か月もの間、入退院を繰り返してきた母。
ここまで多くの方々に支えられ、また逆に支えてきたのかと思うと、心が熱くなりました。

何度も命の危機を乗り越えてきましたが、今回は奇跡は起こりませんでした。
最後は「心室頻拍」という不整脈で、病院に連れて行ってからわずか3時間、あっという間に亡くなりました。
あまりに急で、茫然自失です。
娘として最期を看取ることができたことが、何よりの救いです。
生前、母のことをいつも心配、応援していただいた皆様には、心より感謝申し上げます。
ありがとうございました。
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還暦

2020-11-03 19:00:43 | ハハ

10月31日、ついに「還暦」を迎えました~
毎年恒例の「バースデー人間ドック」からスタートして、昨日の母の退院までこの3日間はイベントの目白押し
たくさんの方々に祝福していただき、感謝感激雨あられ(古っ)

子どもたちのビデオメッセージにはウルウル…
ここまで頑張ってきて良かった~
歳も撮ってみるものですね~
「一期一会」…これからも人とのご縁に感謝しながら、残りの人生生きていきます
在宅介護も頑張ります

 

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大掃除&大断捨離

2020-05-18 14:35:53 | ハハ

母が退院してもうすぐ2ヶ月経過。
コロナの影響で通院できず、ずーっと自宅介護の日々です
2週間に一度来ていただく往診の医師によると、退院して2~3週間で病院に逆戻りする患者さんが多いとか…
そんな中、長い入院生活で足腰は弱っており足元はフラフラですが、人工ペースメーカーのお陰で何とか母は元気にやっています

さて、この2か月間ハハは介護の傍ら「おうち時間」を使って家じゅうの「掃除」「模様替え」「断捨離」を決行
母の部屋だけでなく家じゅうがスーっきりして、気持ちもリセット&リフレッシュ

まずは、母の部屋から出るわ出るわ…骨董品の数々…
ハハの祖父、つまり母のお父さんがコレクションしていた骨董品を遺品分けでもらったものだそうです。
玉手箱とか壷とか…全くもって価値がわからないけど

そして、ベランダに出した粗大ゴミの数々…


これらも、ゴールデンウィーク中に全て処分

家の中もベランダも、今までやりたいやりたいと思って先延ばしになっていた大掃除と模様替え。
実は、そういうの大好きなのです
毎日模様替えしても良いくらい
娘もチチも「まだやるのもういいんじゃない」とあきれ顔
やり始めると中途半端で止められない、徹底してやらないと気が済まない、そんな性格なのでありますワタクシ(笑)

片付いたリビングには、母の日に貰ったお花
望小に行っている女の子の家から毎年贈られてくる胡蝶蘭と家族からもらったカーネーション

還暦を迎える今年は、まさに全てのことが「リセット」され「ゼロ」に戻る「再スタート」の年回りだと思っています。
色々なことを見直し改めて初心に戻る、そんな原点回帰の年になるでしょう。

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正真正銘の在宅介護スタート

2020-03-28 13:57:16 | ハハ

3月23日月曜日、母が無事に退院しました
今回は入院中に介護認定の更新があり、結果「要介護4」となりました
「要支援」と「要介護」とでは、様々な面で雲泥の差があります。
また、「要介護」でも4と5は、1や2や3とはまたサービス内容が大きく異なります。
介護初心者としては、何もかも驚きの連続…

82歳のお婆さんが退院するのに…
・病院の看護師2人
・病院の事務
・居宅介護事業所のケアマネージャー2人
・訪問看護師2人
…と本人と私の、総勢9名で打ち合わせ
自宅では部屋を大掃除し、危険なことが無いように動線を確保

・介護ベッド
・廊下の手すり2本
・風呂場の介護用椅子
・トイレのひじ掛け
・車イス
…と、様々なものを購入&レンタル
在宅介護とはこんなに大変だということは、当事者になってみないと、知る由もありませんでした

しかし、お陰様で今のところ母は元気…
ペースメーカーを入れてからは心臓も落ち着き、血圧もOK
3ヶ月以上の入院で病院食に飽きていたため「あれ食べたい」「これ食べたい」と、結構なワガママを言っています
ただ、やはり、長い入院生活で完全に足腰が弱ってしまっているので、立つこともまだままならない状態です。

父親からほぼ児童虐待に近い育て方をされた私を暗闇から救ってくれたのは、母でした。
仕事をしている私に代わって、息子や娘が赤ちゃんの時から色々お世話してくれたのも、母でした。
せっかく多くの方々の尽力で救っていただいた命を大切にして、これからは恩返しと思って頑張りすぎない程度に介護を頑張りたいと思います。

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母…「奇跡」再び

2020-02-13 19:43:44 | ハハ

1月28日 火曜日
リハビリ中に再度、徐脈(脈拍が落ちること)を起こした母。
昨日、主治医から連絡あり。
「このままではいつまで経っても埒があきません。
ちょうど明日、同じ患者数名の手術が入っているので、急ですが人工ペースメーカー植え込み手術を行いましょう。」
そして午後、無事に植え込み手術終了。

1月29日 水曜日
看護師さんから衝撃の事実。
昨夜、母が錯乱してカラダについている管を全部外し、真っ裸になって廊下に立っていた、とのこと。
すわっ「認知症」発症か?と焦ったが、入院が長いと高齢者にはよくある「せん妄」らしい。
再び肺に水が貯まっていて、今日からまた点滴再開。

1月30日 木曜日
肺炎を起こしている可能性があるので、抗生剤の点滴と酸素マスクを装着するため、再びHCUに移動。
もう何回目のHCUか…

1月31日 金曜日
肺の水は少し引いたが、尿が出ない状態。
貧血の症状もあり、輸血。

2月1日 土曜日
このまま尿が出ないと危険な状態。
急遽「大動脈バルーンパンピング」カテーテル手術を行うことに。
大動脈(下行)に風船を入れて、患者の心臓の動きに合わせてバルーンを膨らませたり縮めたりして、血液を全身に送る力を補助する方法。
これでダメなら、もう打つ手はないです、とのこと。

2月2日 日曜日
呼吸苦、尿も出ず、吐き気もあり、お見舞い行ってもほとんど会話できず。
再び人工透析。
あとは、本人の生命力に賭けるしかない。

2月3日 月曜日
相変わらず尿は出ない。
肺の水を3リットル抜く。
医師からは…
「また感染症になる危険性があるので、今のまま管を入れた状態では1週間が限界。
もし、容体の改善が見られなければもう打つ手はありません。
その場合、ご本人は延命治療を望んでいないので、痛みや苦しみを自然に取っていく薬を使う方向で、よろしいでしょうか…」とのこと。
ついに覚悟の時が来たのか…もう祈るより他に手はない。

2月4日 火曜日
腎臓の値も少し改善して、尿が少しずつ出始める。
不整脈も少しずつ改善してきて薬も減る。
酸素マスクも軽めに変更。
吐き気も少し治まる。
そして、午後、医師から電話。
腎臓も落ち着き、血圧も安定しているので、今、機械が入っているうちにカテーテルアブレーション手術を行いたい、とのこと。
もちろん、このままゆっくり症状が改善するのを待つという方法もある。
でも、不整脈の根本は治っていないので、またいつかどうなるか保証はない。
一方、
・バルーンパンピング
・ペースメーカー
を装着しているので、普通のアブレーションよりもリスクは高い。
でも、アブレーションをやらないで後悔するくらいなら、トライしてみてダメだったら諦めもつく。
結論、やる!しかも明日。
最後の賭けに出る。
でも、何とか「節分」を乗り越え「立春」を迎えられた!

2月5日 水曜日
8時に病院にて説明を受ける。
昨日のうちに血栓の検査が終わり、問題ないので、午前中別の患者2件の後、本日予定通りカテーテルアブレーションを行う。
リスクが高い患者さんではあるが、細心の注意を払って行います、とのこと。
17時30分、無事終了、との電話。
今晩、何も起こらないことを祈るのみ。
入院して、ちょうど2か月経過。

(精神的にも肉体的にも疲れ切った私自身、この後、散発的に発熱し、週末ダウン)

2月8日 土曜日
点滴はほぼ外れて、呼吸苦も無し。
しかし、不整脈がまだ見られる。
術後には良くあることなので、不整脈を抑える薬で様子を見たい、とのこと。

2月13日 木曜日
久々にお見舞いに行くと、一般病棟に移動。
不整脈は依然として残ってはいるが、ベッドから起き上がることができ、食事も可能。
退院に向けてリハビリ中。

 

 

今回、終末期医療の話が出た時、初めて母の「死」を覚悟しました
葬儀社も3件、回りました
ところが、結果、予定していた人工ペースメーカーの植え込みも、カテーテルアブレーションも完了
今、母はベッドから起き上がり、リハビリをしています
生きているのです

手を尽くしてくださった主治医をはじめ医療関係者の方々には、もうどんな事態に陥っても「感謝」の言葉しかありませんでした
大動脈解離の時と同様、医師の方々のプロの判断とその腕には、本当に感銘を受けました
アヤアカのママたちも、万が一授業中に呼び出された時のためにと、母子同室授業に協力してくださいました
たくさんのママ友やお友だちが、年末からの風邪が長引き心身ともに疲れ果てた私のカラダを気遣ってくださいました
本当に本当に、涙が出るほどうれしかったです
母の命を救ってくださった「神様」や「ご先祖様たち」にも、感謝です
とにかく、感謝、感謝、の二文字しか、今は、ありません。

今回、お陰様で命を救っていただいた母にも、いつかは必ずお迎えの時が来ます。
その時が来ても、きっと皆さまに「感謝」の気持ちで見送ることができるような気が、今しています

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守護霊

2020-01-17 14:41:58 | ハハ

私の母の容体について、皆様からご心配をしていただいております
緊急入院してからまもなく1か月半が経とうとしています。
命の危機が何度も訪れましたが、お陰様で死に至ることなく現在も入院・治療中です

では、Facebookの備忘録より、昨年12月5日からの出来事をドキュメンタリーでご報告いたします

12月5日 木曜日
朝「呼吸苦」を訴えたため、かかりつけの「かわぐち心臓呼吸器病院」に私の車で搬送、即入院。
8月の退院以降、薬で経過観察してきたがそれは対症療法に過ぎず「不整脈」自体の改善はできていない。
腎臓の機能が落ちているとのこと。

12月6日 金曜日
心臓の調律を発する洞房結節または洞結節下流の電導系が原因で、徐脈(脈拍が落ちること)を起こした、とのこと。
何度も入退院を繰り返すようなら、人工ペースメーカーを植え込んだほうが良いとの医師の見解。

12月7日 土曜日
夜中に8秒間の脈停止。

12月8日 日曜日
急遽「テンポラリーペースメーカー」(外付けペースメーカー)装着。
しかし…夕方、「心室頻拍」による意識障害を起こす。
心臓に電気ショックを与え、心臓マッサージ5分。

12月9日 月曜日
症状が少し落ち着いたら人工ペースメーカーの植え込み手術を行うことで同意。

12月10日 火曜日
胸の痛みを訴えたため、カテーテル検査を行う。
結果、右の心臓の冠動脈の詰まり=「心筋梗塞」を発見。
詰まった血栓を吸引。

12月11日 水曜日
元々不整脈でできた血栓が少し詰まっていた可能性は否定できない。
が、12月9日から急激に採血データの値が上がっているので、そこから梗塞を起こした可能性が大、とのこと。

12月14日 土曜日
貧血があり、280ml×2パック輸血。
腎臓の機能も落ちているので、利尿剤を処方。
また、便とガスがお腹に溜まっていたので、浣腸。
呼吸苦のために酸素マスク装着。

12月17日 月曜日
心臓がまだ充分働いていないため、肺に水が溜まり呼吸苦。

12月20日 金曜日
尿の出が悪く、さらに肺に水が溜まり呼吸苦。
薬だけでは限界のため、人工透析に切り替え。

12月21日 土曜日
高熱。
血液検査の結果、炎症反応が高く、感染症に罹患。
抗生剤投与。

12月22日 日曜日
人工透析を行っているが肺の水がなかなか取れない。
胸腔穿刺により600mlの水を抜く。

12月23日 月曜日
医師から別室に呼ばれ、別の看護師も同席の中、経過説明。
レントゲン画像を見ると、水が溜まっていて肺はまっ白。
今の状態は良くなるか悪くなるかの瀬戸際。
正直どっちに転ぶかわからないので、意識があって話ができるうちにご家族・親類に会っておいたほうが良いかもしれません、とのこと。
追い討ちをかけるように、看護師さんからは…
「今後もし、命に関わるようなことがあった場合、どういう治療を望むのか、ご本人様と話をしてみて欲しいのです。」と。

帰宅後、我が家の家族LINEで家族全員、そして鳥取の弟、北千住の叔母に連絡。
夕方の航空チケットが取れた弟が夜遅くに上京。

12月24日 火曜日
私、ダンナ、娘の家族3人(後で息子も)と、弟と叔母の大所帯でお見舞いに。
母、酸素マスクを外しベッドを起こしてもらって開口一番…
「み、ん、な、きて…くれ…たのね…それ、では…みな、さま…さようなら…」(笑)
聞けば、抗生剤が効いて熱も少し落ち着いている、とのこと。
2月大動脈解離を起こしたまさにその日に書いた「アドバンスケアプランニング」のノートを看護師に渡す。
さらに弟から本人に、万が一の時の葬式や墓について話をしてもらう。

12月25日 水曜日
炎症反応が少し治まる。
神主である弟の顔を見られたこと、終末期治療や葬式&墓の話をしたことで安心し、逆に生きる力が湧いてきたのかもしれない。

12月26日 木曜日
人工透析の管も酸素マスクも外れる。

12月27日 金曜日
肺の水がほとんど取れ、呼吸苦無し。

12月29日 日曜日
鼻の酸素の管も取れ、簡易トイレで便も出る。
その生命力に驚くばかり。

1月4日 土曜日
車椅子に座って病室の外に出る。
私が風邪を引いてダウンしていた年末年始にさらに元気になる。

1月12日 日曜日
38.6℃の発熱。
一時外していた点滴も復活。

1月16日 木曜日
発熱の原因は点滴の管からバイ菌が入ったことによるもの。
熱も37.4℃まで下がり、尿も良く出ているとのこと。
ロビーで昼食をとれる。

以上、怒濤の年末年始でした

「大動脈解離」
「洞不全症候群」
「心室頻拍」
「心筋梗塞」
「うっ血性心不全」
心臓病のオンパレードで、昨年来、何度も何度も危機的状況を乗り越えてきた母
金色の「ほそーい線みたいなもの」が目の前をス―、スーっと行ったり来たりするのが見えるそう
母自身も神職。
ハハ「きっとそれは守護霊だね…」
神様、ご先祖様が守っていてくださっているのだと、思います

感謝、感謝、パンパン

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感謝

2019-10-31 23:17:41 | ハハ

50代最後の誕生日

サイコーのプレゼント

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クラス幹事

2019-05-13 07:27:05 | ハハ

1学期がスタートして、早や1か月余り
娘は相変わらず夜9時まで学校に残って自習しています
ハンドボールも、練習だけでなく公式戦や練習試合にも行っています
元はと言えば
高等部の部活なので、高等部の子たちは3年の夏まで部活があるのです
一貫部の子たちは5年の2学期で原則引退ですが、硬式野球部や娘のような特別な場合は、3年まで続けて良いのです

他のお友だちも皆、火がついて受験モードに突入して頑張っているようです
昼間授業受けて、放課後「特講」に出て、さらに夜まで「自習」
校で思い切り勉強してくるので、家ではグダ~っ(笑)

しかし、実は、娘は「特講」を受けていません。
せっかく無料で実施してくれているのに…
大学の過去問中心の内容が、IELTSとスウェーデン語に特化して勉強している娘のニーズとずれているからです
同じ英語の勉強なので、過去問を解くことは無駄ではないけれど、自分のペースで勉強を進めたいとのこと
でも、そういう選択ができるところも、開智の良さですね

さて、そんな中、ハハはなんかやり残したことがあるような気が、ずーっとしていました
そして、クラス幹事のアンケート用紙を見た瞬間、気が付いたのです
「そう言えば、今まで一度もクラス幹事をやったことがなかった~
息子の時は幼稚園、小学校、高校と、そして娘の時は幼稚園と、役員さんをやっていたのに…
…というわけで、開智12年目にして初のクラス幹事をやることになりました~

開智の保護者会は「くすのき会」と言います。
保護者会会長をトップに、第1ステージ(1.2年)第2ステージ(3.4年)第3ステージ(5.6年)から保護者会副会長3名。
それに会計、書記、監査と、1年~6年までの学年代表6名。
以上が本部役員。
その下に、各クラス幹事が2名ずつ、の組織となっています。

担任の先生によると、「やっても良い」に〇をつけて提出した保護者は二人しかいなかったようで…
自動的にハハともう一人のママに決まったそうです
そのママさんは、上のお子さんで幹事を経験されているので、と~っても心強く、安心です

クラス幹事の仕事
①「くすのき会」総会出席
②総会後のクラス懇談会出席
③開智発表会でのバザーのお手伝い(6年は無し)
④埼玉県私学振興会への参加(6年は無し)
⑤クラス懇親会の幹事
⑥卒業対策委員として「卒業を祝う会」の主催(6年幹事のみ)
6年幹事は、バザーや私学振興の会合に出席しなくて良い代わりに、「卒業対策委員」という重大な任務を兼ねています
「卒業を祝う会」とは、卒業式後の「謝恩会」のこと、子どもたちを祝い、先生に感謝し、保護者をもてなすお仕事。
企画から、記念品選定、当日の会場セッティング、会食手配…など、結構大変そうですが、やりがいもありそう
開智生活の締めくくりに、開智への恩返しも兼ねて、いっちょ頑張ってみようかな~と思ってま~す

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介護生活終わり(笑)

2019-04-13 12:43:44 | ハハ

ハハの母=私の母(ややこしや~)が大動脈解離になり、大手術をした「節分の奇跡」
あれから2か月ちょっとが過ぎました。

退院した当初は、まだまだ足取りもおぼつかなくて、病院も車イスを使っていました。
ハハは夜の授業を終えて帰宅すると、夕飯を済ませ洗い物をしてから、入浴
入浴中に洗濯機を回して、上がったら洗濯物を干し、その後、翌日の食事の準備
そんなこんなであっという間に夜中の2時、という日々が続きました

実は、母の入院中に利用した「医療タクシー」
なんと15,000円以上もかかって、目玉がビヨヨヨ~~~んと飛び出してしまいました~
そこで、知人の勧めもあり、入院中にすぐ「介護認定」の申請をしていました。
「介護認定」を受けると様々なサービスが受けられたり、割引が効いたりするのです
ところが、市役所から職員さんが自宅に来てくださったのは、申請してから1か月も経ってからでした
やはり今、介護認定を受ける高齢者が多いのだそうです

「介護認定」は、申請をした本人はもちろん、普段身の周りの世話をしている誰かが、必ず立ち会うことになっています
高齢者の方は、色々聞かれると、ついつい頑張ってしまう方が多いとか…
「老い」を認めたくなくて、特に男性は、できないことをできると、カッコつけて言ってしまったりするそうです
時として、高齢者が「認知症」の症状を持っている場合もあります。
そこで、認定の場に身内の誰かがいなければならないのだそうです

母はと言えば、退院して3週間も経っているので、その頃はもう自分のことは大抵自分で何とかできるようになっていました
ハハ「明日、認定する人か家に来てくださるんだけど、頑張らなくても良いんだよちゃんと正直にできないことはできないって言ってね
母「わかった
ハハ「元気をアピールすると介護認定してもらえないのよ、少しは病人のフリをしてね
わかった
母「はぁい

しかーし、次の日…
朝起きてリビングに行ってみると…
なんとよそ行きの服を着て、お化粧までした母が、リビングにチョコンと座っていました
ハハ「なにお化粧してんの服まで着てるし
母「え、だって、人が来るから…」
ハハ「今日は、介護認定の人が来るのよ早くお化粧を落としてジャマに着替えてベッドに寝て~
母「あら、そう…」
母は、やはり、いわゆる「昔の
人間」でした

いよいよ市役所の介護福祉課の方がいらして、認定のための質問開始
「独りで歯を磨けますか」など、約60問程度の質問が、矢継ぎ早に飛んできます
母「はいできます
母はそのたびに元気に答え…しまいには…
職員「では、大変申し訳ないのですが、こんな具合に両腕を前に上げていただけますか
母「はい」シャキーン
ハハ(キョンシーかっ)
職員「ありがとうございます。では、お手数ですが、今度はベッドに座って両脚を上に上げていただけますか
母「はいピッ
ハハ(バレリーナかっ)
職員「最後にお願いばかりで申し訳ないのですが、ここからおトイレまで歩いていただいてもよろしいですか
母「はい」スタスタスタスタ…
ハハ(あ~あ、やっちまった)

…ということで、正直、介護認定は難しいなと思っていました
それから3週間後、
介護認定通知が来ました
手術から2か月弱、時間かかりすぎ~
結果
「要支援1」
日常生活上の基本動作については、ほぼ自分で行うことが可能ですが、要介護状態への進行を予防するために、IADL(手段的日常生活動作)において何らかの支援が必要な状態。
・居室の掃除や身の回りの世話の一部に何らかの介助(見守りや手助け)を必要とする。
・立ち上がりや片足での立位保持などの複雑な動作に何らかの支えを必要とすることがある。
・排泄や食事はほとんど自分ひとりでできる。

介護認定には、要介護1~5、要支援1・2があります。
「要介護5」が最も重く、寝たきりの状態。
「支援」は「介護」が必要ないレベルで「要支援1」は最も軽いものです。

要支援も無理かと思っていたので、意外~~~
ただし、一年間、介護サービスを一度も利用しないと、認定は取り消されるそうです
ていうか、一番必要だった退院直後にサービスを利用できなかったことが残念
日本の福祉は、まだまだ課題があるなと、実感しました


今年82歳になる母。
今では良く食べ良く動くので、もう、サービスも要らないかも…ハッハッハ
それどころか、大動脈瘤という爆弾を取り除いたために、かえって以前より元気になったカンジ
人工血管の場合は人工弁と違って「身体障がい」にはならないそうで、障がい者手帳ももらえません
近所のデイサービス施設での大正琴ボランティアも、今日から再開
同年代のおじいちゃん、おばあちゃんたちが母のことを首を長くして待っているのだそう
まさに「老老介護」(笑)


入試まであと5ヶ月あまり
そろそろ繁忙期に突入するハハ(私)ですが…
ひとまずホッと一安心です

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ついに介護生活スタート

2019-03-03 10:58:08 | ハハ

火曜日、母が退院して家に戻ってきました。
あまりに忙しすぎて、わけがわからぬまま過ぎ去った2月。
気が付いたら、もう「ひな祭り」なんですね

入院途中、出血がみられ、婦人科受診のために医療センターまで医療タクシーで往復したり…
退院当日も、検査結果説明と再検査のために自家用車で医療センターまで送迎したり…
自宅に帰ったら帰ったで、世話のために色々やらなければならないこともあり…
地域包括支援センターに行って介護認定を申請したり…
とにかく、仕事以外に、家事、通院、介護という重責が双肩にのしかかってきます。

家族も、掃除やゴミ出しや洗い物や洗濯物の取り込みなどを手伝ってはくれるものの…
家事には、そんな大きなくくりでは言えないような細かい部分の仕事があり…
その全ては結局主婦の肩にかかってくるのです。
それが現実です。 


実は、横浜の湯まで母をわざわざ連れて行ったのには、訳がありました。
年末のNHKスペシャル「人生100年時代を生きる」2回シリーズ。
その番組内で取り上げられていた「アドバンスケアプランニング」。

まだ聞きなれない言葉で、世間での認知度は低いと思います。
「終末期医療計画」とでも言うのでしょうか。
予期せぬことが突然起こる前に、また認知症になって本人の意思が確認できなくなる前に、終末期にどんな医療を望むのか、本人の意思を事前に確かめて文書に残しておくこと
です。

もともと心臓疾患(不整脈)と上行大動脈瘤という爆弾を抱えていた母。
なぜかそのNHKの録画を見た時、私は一刻も早く「アドバンスケアプランニング」を書かなくては…という思いに駆られたのでした。
そこで、少し遠出をして旅行気分で、いつもとは違う温泉でゆっくりしながら、私と一緒に「アドバンスケアプランニング」を書く場をセッティングしたのでした。
ついでに「エンディングノート」も紹介し、これから一緒に少しずつ記入して行こうね、そう切り出そうという計画だったのです。

ところが、こちらの気遣いは杞憂で、母は「アドバンスケアプランニング」も「エンディングノート」も意外にもすんなり受け入れてくれました。
そして、広~いお食事処の一角で、楽しく食事をしながら、母娘でああだこうだと言いながら一緒に書いたのでした。

まさに、その帰り道
母は大動脈解離で倒れたのです
あまりのタイミングの良さに、絶句
虫の知らせか第六感か…何か「予見」が働いていたのかもしれません
あのまま横浜で倒れていたら…
私と一緒でなかったら…
考えただけで、恐ろしいです

 

…ということで覚悟をしていた「介護生活」がついに始まりました
入院している時は、病院から着信があるたびに母の身に何かあったのではと…
ドキドキして気も休まらなかったので、とにかく早く退院しないかと思っていました。
ところが、退院したら退院したで、精神的負担は減りましたが、肉体的負担がぐっと増えるんですね。

でも、奇跡の連続で生かされた母の命
神様に感謝して、大切に守っていかなければなりません
母の年齢にしては医師や看護師も驚く
回復力。
今回の病気で障害が残ったり、今のところ認知症でもなく…
まだまだ日常生活の介助・介護は必要ですが…
本当に有り難いと思わなければ…
そう思って、毎日頑張っています


そんな時、年長さんがくれたお手紙と花束は、本当に有り難く、心に深く染みます
ありがとう~~~

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節分の奇跡

2019-02-08 20:26:55 | ハハ

2月2日、節分の前日。
81歳の母と一緒に、横浜の「万葉の湯」に行く。
その帰り道、南浦和駅直前で胸の痛みを訴え始めた母。
もともと母は「上行大動脈瘤」という持病を抱えていたので、すぐにハッと気づいた私。

「救急車を呼んでください!」南浦和駅の駅長室に駆け込む。
10分後、救急隊が到着。
「母には大動脈瘤があるんです!かわぐち心臓呼吸器病院がかかりつけなので、そこに運んでください!」
10分後、かわぐち心臓呼吸器病院到着。
すぐに検査開始。
当直の医師から「急性大動脈解離」との説明。
大動脈の血管が裂けて出血、命に関わる危険な状態なので今から緊急手術をする。
最低6時間はかかる手術、とのこと。

日付が変わり、2月3日、節分の日。
0時30分頃 手術開始。
私はICUの面会室のソファーで仮眠。
7時00分頃 手術終了。
執刀医から説明。
大動脈は「解離」というより、ほとんど「破裂」に近かった。
ただ、下の方で血液がたまっていたので、広がらなかったのが幸いした。
脳内に出血していないのも幸いだった。
患部の血管を切除し人工血管に置換、人工弁も付けた。
手術は成功したが、心臓を3時間止めていたので、今後、脳梗塞などの後遺症、心臓そのものの機能不全、他臓器への影響などの心配は残る、とのこと。

なんと!
その当直医!
母の大動脈瘤が万が一破裂した時に執刀してもらう予定の医師だったのです!
かわぐち心臓呼吸器病院」は大動脈手術で2017年症例数全国6位の病院です。

その後の経過。

7時20分頃
ICUへ入り、顔を見る。
たくさん管がついているけど、生きている!
良かった~!

2月4日(月)ICU1日目
手をさすっても、ほとんど反応ない。
が、何回か語りかけるうちに、ほんの少し手を動かす!

2月5日(火)ICU2日目
目はほとんど開かないが、こちらの問いかけに、首をふったりうなづいたりできる!

2月6日(水)ICU3日目
管が外れて、目を開けている!
会話もちゃんとできる!
意識もハッキリしている!
ただ、救急車で運ばれてから昨日までの記憶は無いらしい。

2月7日(木)
授業中、スマホに電話あり、何か異変か?とドキドキして出ると…
「今日から一般病棟に移りました」
ナニぃ~~
普通は1週間くらいICUです、って、看護師さんから言われてたけど!
授業終了後にお見舞いへ行くと、本当に一般病棟にいた!
しかも、お粥も食べて、クスリも飲めて、介助付きでゆっくりだけどトイレにも行ったらしい!

驚異の回復力に、ただただ驚く。
驚きを通り越して笑いが出るくらい。
看護師さんたちもビックリしているのよ!と本人とも、大笑い
本当に81歳の老人

ただ、タンを出すとき咳き込むと傷が痛むらしい。
その傷を見せてもらったら、なんと30センチ以上切開していた!

 

 

いつかは来る道、と覚悟はしていました。
2012年の年末、不整脈治療のため心臓カテーテルを受けた後、脳梗塞になって1ヶ月入院したこともある母。
しかし、奇跡的に後遺症は残りませんでした。
今振り返ると、今回も色々な奇跡が重なっていました。
・私と一緒にいる時だったこと
もしも私が授業中で母が家で1人だったら、もしも外出先だったら、手遅れだったかも!
・かかりつけの病院の近くまで帰って来ていたこと
あのまま横浜の湯に泊まっていたら、別の病院に搬送されていた!
・何かあった時に執刀する予定だった医師が、たまたまその日の当直医だったこと
加えて
・学生時代、水泳で鍛えた母自身の強靭な体力
・神職の免許を持ち、神道に帰依している母の信仰心
・私自身、温泉に泊まらず帰る決断をした「虫の知らせ」

ともかく、母は「生きている」!
会話をして笑っている!
そのことに、今は安堵と感謝の気持ちしかありません。

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ありがとう♡

2018-10-31 01:33:04 | ハハ

みんな、ありがとう

        

サイコーの誕生日です

                       

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第100回全国高校野球南埼玉大会

2018-07-08 22:44:37 | ハハ

市営大宮球場へ、元高校球児のチチ(ダンナ)と一緒に開智高校の応援に行って来ました

大宮南高校
序盤はシーソーゲームで、なかなか見応えのある試合でした

結果は4-12で敗戦

一貫部の部活は全て、高校2年生で引退となります。
しかし、開智高校の硬式野球部は母体が高等部なので、希望すれば一貫部の生徒も3年生の夏までプレーができるのです。
ちなみに娘の女子ハンドボール部も同様です。
娘は、高校3年の大会までヤル気満々

実は、一貫部は明日から期末試験なので、今回はブラバンもチアも応援がなく
私たち保護者と先生方と卒業生で頑張って応援しました
鳴り物がないとやっぱ、チョー寂しいですね…
そんな中、選手たちは良く頑張ってくれました
小学生の時、娘と一緒にスポッチャに遊びに連れて行ったりとかしていた同級生たちもいて
高校2年生となった頼もしい姿とその活躍が見られて感動しました
来年は彼らが主力になるので、大いに期待したいと思いま

ちなみに娘は現在「イギリスロス」状態
よほどイギリスフィールドワークが楽しかったらしい
ワールドカップ観戦や時差ボケも相まって、テスト勉強にとんと身が入っておらず

 

とにもかくにも、高校野球の「夏」は早くも終わってしまった
でも、もうすぐハハの「夏」が始まります
夏期講習、年長クラスはついに8クラス30名越えになってしまいました~
選手たちに負けないよう、今年もハハは頑張ります

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傘寿の祝い

2017-09-05 11:58:24 | ハハ

昨日、ハハの母が、80歳になりました

傘寿とは…素晴らしい言葉

八十という漢数字の中にたくさん人がいる漢字の「傘」

母も多くの人とのご縁で80歳まで生かされ、また同時に私たち家族を支えてくれているのです

今年は夏期講習がハードスケジュールだったうえ、最終日が振り替えで日曜日になってしまい、なかなかプレゼントを買いに行けず…

「これで好きなものを買ってね~」とバースデーランチに金一封

ハハが思い切り仕事ができるのも、この母のおかげです

感謝の気持ちは「カタチ」にしなければね

いつもありがとう

健康で長生きしてね

 

 

夏期講習も無事終了し、入試まであと一か月足らず

気合いだぁ~

 

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高校野球

2017-07-12 13:50:39 | ハハ

昨日はアヤアカの授業が始まるギリギリまで2回戦を追っていましたが…
延長になったところで授業が始まってしまい…
9時過ぎにパソコン開けて確認したら…
延長11回「サヨナラ負け」
ガク~
残念…悲しい

でも、敗れはしたものの、あの炎天下で延長戦まで死闘を繰り広げた選手たち
その闘志に、心から拍手を送りたいと思います
この夏のハハの楽しみが一つ減ってしまったけど…
そんなことより何より、勝たせてあげたかったなぁ…
高校生の時、流した悔し涙が、彷彿としました

また今日は、硬式野球部になって初出場の開智未来高校も1回戦に登場~
12-2の6回コールドで志木高に敗退したものの、少ない部員数でよく頑張りました

開智も開智未来も、また来年頑張って欲しいものです
高1の娘の同級生にもたくさん野球部員がいるので、また応援に行きます
「開智愛」が止まらない~~~(笑)

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