「私は若い人たちに旅をすすめる。
注意深く観察し体験すれば、旅では実に多くのものが得られるからである。
それは書物などではとうてい得られないものである。
しかもその旅は若い時にもっとも多くしておくべきだと思う。
金がなければ稼ぎながらでもいいと思う。」
引用したのは民俗学者の宮本常一さんの短編集の文章です。
大学一年生で描いていた自分のやりたいフィールドワークが上手くはかどらず、ダラダラと時間が過ぎやっと行けると思えば早いものでもう二度目の春ですよ。
バイクも大型二輪に昇格して今の愛機は91年製のGSX-R1100になりました。
兼ねてからパワーに余裕があってストレスフリーな足を探していたので、実際有り余るほどのパワーで長距離移動が捗りそうです。
旅にトラブルはつきもので、せっかく奥多摩を超えて山梨に行こうとした時は積雪のせいで東京都の奥地檜原村から先に行けず。
しかしそこの温泉は人が誰も居なかったので貸切で雪景色を見ながら露天風呂に入れました。
もっとも、新幹線とか高速道路を使ってしまえばよかった話ですが。
俺は少し遠回りをしてでも、ゆっくりと行くほうが多くの物と出会い、発見があり、それが楽しいのでそうしています。
さて今回3度目の秋田県角館に行って参りました。
今年花見行ってなかったなぁと思ったので。
もちろんフィールドワークも兼ねてですが。
バイクではなく、高速バスを使って。
いつも通り、新宿西口からバスは発車します。
いつも通り、オンボロのフィルムカメラを持って。
ただフィルムが無かったので発車前にヨドバシでも寄ろうと思って少し早くに家を出ました。
自分はデジタル機器をあまり使いません。
デジタル一眼じゃなくフィルム一眼だったり、ナビタイムじゃなく時刻表だったり、じゃらんじゃくて地元の人に聞いたりとか。
なぜなら、その方が旅の質が深まるからです。
自分はボタン一つで易く叶ってしまう、ただ行ってただ帰るだけの旅を良しとしません。
それこそお金と時間の無駄だと思います。
カメラにせよ、デジタルであればボタン半押しでピントが決まり全部押せばシャッターが切れ誰でも写真が撮れます。
失敗すれば直ぐにデータを消せる。
とても便利です。
しかし旧式のフィルムカメラはシャッタースピードから絞りピント全てが手動設定でかつフィルムを一度填めてしまえば27枚ないし36枚撮り終えるまで明るさは変えられない。
上撮り直しや削除ができません。
故に、一刀入魂というのか、ファインダーを覗きながら一枚一枚失敗が無いように注意深く観察します。
その時ファインダーから、日照りの方向から方角が知れる。
塵の舞い具合で湿度がわかる。
人の動きが、風向きで数時間後の空模様が。
被写体の細かな傷ができた経緯が気にもなる。
人の多くはそういった細かなことを、先を急ぐあまり見落としがちではないだろうか。
こういった機会があったら、自分は事細かく調べてみたくなるものです。
埼京線を新宿駅で降りた時、おばあさんに声をかけられた。
バスターミナルの7番線から三重県の鳥羽に向かうのだけど場所がわからないのだという。
いつもならイヤホンをしているけど旅の時はそういったものは一切せず五感で感じてみようと試みる。
都会の人は広い世界の秩序に拘束され一人になれた時には必死で自分の空間を作ろうとする。
音楽を聞いたり、動画を見たりしながら通勤する。
自分も電車で通学するときはそうだ。
その境界に踏み込まれたくないし、踏み込んだら相手も嫌な思いをするだろうから、交流はなるべく控えるようにしている。
もしかしたら、そうした時に声をかけられていたかもしれないと思うと、なんとなくモヤモヤとした気持ちになる。
新宿駅は迷宮だ。
初めて来た人はもちろん数回来たくらいでは駅構造は理解し難い。
自分もフィルムを買うための時間が欲しかったけど前記の事を考えたら無視するわけにもいかなくなって結局バスターミナルまで案内した。
道すがらいろんな話をした。
実家が鳥羽にあり、今回川口の劇場を見に蕨の知り合いの家に来ていたのだという。
自宅から近いのと鳥羽には一昨年行ったので互いに話が進んであっという間にバスターミナルについてしまった。
大抵別れ際にはお気をつけてと労いの言葉をかける。
この時もそうだった。
ヨドバシカメラ向かうとするがカメラ以外何も無しでは流石に退屈だ。
駅からHALに向かう地下道の本屋で宮本常一さんの「民俗学の旅」という本を買った。
大学に入って、中山先生という山男の民俗宗教学者に出会い、フィールドワークを勧められて今に至る。
宮本常一は明治40年山口の周防大島に貧しい農家の家に生まれた。
子供ころ祖父や父から農作業や散歩の時に身につけた昔の日本人の感性や洞察力で、1981年に亡くなるまで16万キロ、地球約四週ほどの距離を日本の隅から隅まで歩き、その地の風土、民俗伝承を事細かく記録した。
その幼少期の記憶や半生を綴ったのがこの本だ。
「街道をゆく」の作家司馬遼太郎に「この人ほど日本の国土を知り尽くしている人はいない」と評価されている。
その人の感性に自分は通ずる点が多々ある。
彼の感性や洞察力をとても尊敬している。
ヨドバシカメラでいつも使っているフジカラーのプレミアム400を買って、夜行バスに乗る。
夜行バスは高速に乗ると車内は消灯してしまうので本は読めない。
ひたすら寝ようと努める。
思えば高速バスを使うのは、震災以来だった。
結局よく寝れぬまま大曲へ着き、バスを降りる。
毎度毎度思い付きの旅であるから下調べはしない。
とにかく行ってみて、そこから始める。
そう思った矢先、角館へ向かう田沢湖線がつい数分前出てしまっていた。
そして次の電車は5時間後だった。
こういったトラブルが、ああこんなとこまで来たんだなと自分に気づかせてくれるものだ。
バスターミナルの位置を駅の案内板で確認し向かう。
またそのバスも一時間に一本のため逃すわけにはいくまい。
角館は、秋田の南部に位置している、
奥の小京都と呼ばれる通り武家屋敷が並ぶ風情のある町だ。
ここへは前に二度ほど訪れた。
前は夏に、その前は冬に。
そして今回春に出向くことになる。
武家屋敷のしだれ桜を一度見てみたかったからだ。
そして民俗学的な観点から今一度訪れた事のある場を訪ねてみれば、また違った一面が見えてくるものだ。
結局、武家屋敷のしだれ桜は散りはじめだった。
でも桜はいいもので、散っても花吹雪は美しい。
本来花は咲いてこそ綺麗なものだけど、枯れてしまえばおしまいだ。
散るまで美しい花は他に知らない。
武家屋敷のしだれ桜は一本一本に番号がふられ、それは江戸の時に武家に嫁入りにきた女が京都の三条から持ってきた江戸彼岸の苗木が育ち、しだれたものだという。
天然記念物の枝垂桜は少ないようだ。
武家屋敷の通りから少し外れた所に桧木内川という川が流れていてそこには何百もの染井吉野の桜が並木になって川沿いに満開だった。
朝飯を入れてなかったので昼は地元の飯でも食おうかと適当にセブンイレブンで弁当を買った。
レジ打ちをしてくれた店長の女の人が写真を撮るにはどこのアングルがよいか、人の少ない時間はいつごろか、細かく教えてくれた。
花は綺麗だ。
雲一つない良い陽だ。
結局昼間はその川辺で寝てしまった。
2時くらいに目をさましてみると朝より見物人は減っていたので写真を撮って廻った。
デジタル一眼ではピントとボケさえ決めてしまえばものの数秒で写真ができる。
しかしアナログの自分のカメラは構図を決めるうえで手間がかかる。
故に被写体の事を注意深く見ることになる。
川辺で本を読む人、花を背に川を眺める人、浴衣美人、ベンチにすわる熟年カップル。
橋の下でイチャコラしてるのバレてないと思うなよ地元の高校生よ…
それぞれいろんな想いがあるのだと思う。
存在しているものにはすべて理由がある。
理由なしにここまで見事な桜を見に来るのはおかしな話だ。
自分は背後の満開の桜を背に川を眺めていたおばさんがとても印象に残った。
何か見たくない理由でもあるのだろうか。
桜を見ると思い出してしまうような苦い記憶でもあるのだろうか。
いろいろ考えた。
気づけば陽が落ち、人もまばらになってきたところで教えてもらったベストアングルな場所で陣を取る。
のぼりや案内表示が全くないので昔の街並みそのものが撮れるのだという。
交差点で対角線の構図だった。
しかし思うようにシャッターチャンスは訪れない。
こういう時の対処法はただ待つしかないのだ。
そもそも交差点だから車も人も人力車も通る。
人がはけること自体が珍しい話だ。
車や人の通りがなくなったと思えば別のカメラマンがスーツケースを地べたに倒し交差点で写真を撮っていた。
その間通りは全くなかったのでとても苛苛したけどそれも辛抱だ。
遂にそのカメラマンがどいたので、予め決めておいたシャッタースピードと絞り、ピントがあるので3枚ほど連写をして長い戦いは終わった。
ここで写真の出来がわかればよいものをフィルムは現像するまでわからない。
それが楽しみの一つでもある。
交差点越しの被写体のしだれ桜は見事なものだった。
隣に味噌こんにゃくを売っている屋台があったので一ついただいた。
店主のおじさんの話を聞くと、今年は咲が早く例年より見物人も多いのだという。
どちらから来られたかと聞かれ、埼玉だというと、30年ほど昔に上野に住んでいたからよくわかる。
その頃の東京でも上野公園は花見スポットで賑わっていたようだ。
今こそマナーが徹底されているもののそのころはやりたい放題だったらしい。
逆に、自分から今年の東京の桜の事を話した。
通っていた高校の近くに公園があってそこは春になると桜でいっぱいになる、とか、千鳥ヶ淵の桜は皇居の陰になっているから今年は3月の半ばには他の桜は咲いていたが少し遅れるので春休みと重なり大変にぎわった、とか。
一つ一つ、うんうん、わかるわかると嬉しそうに昔のことを思い出してくれていた。
また来るねと言うと、また話聞かせてねと言われてそこを去った。
桜の咲く季節には、桧木内川のそばで桜まつりが行われる。
いろいろな出店があり、都会に出ている者もこの祭りのために帰ってくるのだという。
お面屋さんで地元っ子に人気だったのは「なまはげ」の面。
ここらの子供は仮面ライダーやプリキュアなんかより身近な畏れる存在としてなまはげを捉え、その面を被ることで自分も畏れられる強いものになれると思っているのだろうか。
祭りは大変にぎわっていた。
初々しい中学生カップルが付き合ってるのを隠していたのに同級生に見つけられいじられていた。
地獄耳とはいやなものだ。
夕暮れ時風上のほうの空が怪しくなったので夜には降り出すんじゃないかと思いつつも、きれいな月だった。
川沿いの桜並木はランタンでライトアップされ不思議な雰囲気だった。
大曲へのローカル線はとうに過ぎていて、5駅分を新幹線の指定席を買い向かうしかなかった。
新幹線なんて物が無ければ、すべてローカル線であればそんないやな思いはしなかっただろう。
利便性を求めた結果、現代人は多くのものを見落としがちだ。
そこに大きな価値や深い歴史があることを忘れてはならない。
月は蔭り風も出てきてしだれ桜がさらに散る。
月に叢雲花に風、いやそんなのもいいもんだなと思い、角館を後にした。
これから日本のまだ知らないところをいろいろ掘り返していきたい。
自分には頼もしい足もある。
時間は作れる。
金は稼ごうと思えば稼げる。
それをどのようにして活用していくか、ようやく一筋の道が見いだせたような気がする。
最後にまた宮本常一さんの言葉を借りたい。
「私にとって旅は発見であった。
私自身の発見であり、日本の発見であった。
書物の中では得られないものを得た。
書物はそこに書かれていること以外の事実や世界を知ることはできない。
だがあるいてみると、その印象は実に広く深いものであり、体験はまた多くのものを教えられる」