2月2日、節分の前日。
81歳の母と一緒に、横浜の「万葉の湯」に行く。
その帰り道、南浦和駅直前で胸の痛みを訴え始めた母。
もともと母は「上行大動脈瘤」という持病を抱えていたので、すぐにハッと気づいた私。
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「救急車を呼んでください!」南浦和駅の駅長室に駆け込む。
10分後、救急隊が到着。
「母には大動脈瘤があるんです!かわぐち心臓呼吸器病院がかかりつけなので、そこに運んでください!」
10分後、かわぐち心臓呼吸器病院到着。
すぐに検査開始。
当直の医師から「急性大動脈解離」との説明。
大動脈の血管が裂けて出血、命に関わる危険な状態なので今から緊急手術をする。
最低6時間はかかる手術、とのこと。
日付が変わり、2月3日、節分の日。
0時30分頃 手術開始。
私はICUの面会室のソファーで仮眠。
7時00分頃 手術終了。
執刀医から説明。
大動脈は「解離」というより、ほとんど「破裂」に近かった。
ただ、下の方で血液がたまっていたので、広がらなかったのが幸いした。
脳内に出血していないのも幸いだった。
患部の血管を切除し人工血管に置換、人工弁も付けた。
手術は成功したが、心臓を3時間止めていたので、今後、脳梗塞などの後遺症、心臓そのものの機能不全、他臓器への影響などの心配は残る、とのこと。
なんと!
その当直医!
母の大動脈瘤が万が一破裂した時に執刀してもらう予定の医師だったのです!
「かわぐち心臓呼吸器病院」は大動脈手術で2017年症例数全国6位の病院です。
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その後の経過。
7時20分頃
ICUへ入り、顔を見る。
たくさん管がついているけど、生きている!
良かった~!
2月4日(月)ICU1日目
手をさすっても、ほとんど反応ない。
が、何回か語りかけるうちに、ほんの少し手を動かす!
2月5日(火)ICU2日目
目はほとんど開かないが、こちらの問いかけに、首をふったりうなづいたりできる!
2月6日(水)ICU3日目
管が外れて、目を開けている!
会話もちゃんとできる!
意識もハッキリしている!
ただ、救急車で運ばれてから昨日までの記憶は無いらしい。
2月7日(木)
授業中、スマホに電話あり、何か異変か?とドキドキして出ると…
「今日から一般病棟に移りました」
ナニぃ~~![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0084.gif)
普通は1週間くらいICUです、って、看護師さんから言われてたけど!
授業終了後にお見舞いへ行くと、本当に一般病棟にいた!
しかも、お粥も食べて、クスリも飲めて、介助付きでゆっくりだけどトイレにも行ったらしい!
驚異の回復力に、ただただ驚く。
驚きを通り越して笑いが出るくらい。
看護師さんたちもビックリしているのよ!と本人とも、大笑い![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0207.gif)
本当に81歳の老人![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0159.gif)
ただ、タンを出すとき咳き込むと傷が痛むらしい。
その傷を見せてもらったら、なんと30センチ以上切開していた!
いつかは来る道、と覚悟はしていました。
2012年の年末、不整脈治療のため心臓カテーテルを受けた後、脳梗塞になって1ヶ月入院したこともある母。
しかし、奇跡的に後遺症は残りませんでした。
今振り返ると、今回も色々な奇跡が重なっていました。
・私と一緒にいる時だったこと
もしも私が授業中で母が家で1人だったら、もしも外出先だったら、手遅れだったかも!
・かかりつけの病院の近くまで帰って来ていたこと
あのまま横浜の湯に泊まっていたら、別の病院に搬送されていた!
・何かあった時に執刀する予定だった医師が、たまたまその日の当直医だったこと
加えて
・学生時代、水泳で鍛えた母自身の強靭な体力
・神職の免許を持ち、神道に帰依している母の信仰心
・私自身、温泉に泊まらず帰る決断をした「虫の知らせ」
ともかく、母は「生きている」!
会話をして笑っている!
そのことに、今は安堵と感謝の気持ちしかありません。