2011 春 石巻ボランティア
「ボランティアレポートが校内に貼りだされているわよ、凄いわね!」
「へっ?」
学校にはできるだけ内密にしておきたかったので、同級生のママからそう聞いて、血の気が引いたハハ。
旅人は、そんなことは一言も言わないのです。
入学式から貼ってあったようです。
ならば、先週、PTA総会に行ったときにこっそり見てみよう、と思っていたら…。
もう撤去された後でした。
当然、先生方からお叱りを受けるのではないかとビクビクしていたハハでしたが…
複数の先生方から頂いたのは、親の立場を思う「ねぎらい」の言葉でした。
旅人の学校の先生方は、本当に温かい。
こんな旅人を、いつも優しいまなざしで見守ってくれているのです。
(一部抜粋)
自分は人を助けるためだけに動くなんて一度もしてない。
今回も、1/4は事実が知りたかったから、というのが本音だ。
が、とてもいい体験だったと思っている。
被災されている方々は全然体は弱っていなかった。
むしろ仕事がしたくて仕方がないというような状態。
事実、ボランティアにも地元の方が多いし、やはり自分の故郷が少しでも早く良くなってほしいという気持ちで動いているのだと思う。
あと、今回でよくわかった。
ボランティアほどいい人間の集団はない。
みんな人を救うためだけに遠いとこからわざわざ来て、お礼も何もないのにただ仕事をこなし、被災者が助かればそれでよし。
みんな職も趣味も出身も性別も違うのに、基本は「人を救う」ために来た人たち。
悪い人はいない。
アメリカから来たNPOグループもいた。
ダークな職業の方もいた。
「人様救ってなんぼや、あかんちゅーことないやろ?(どやっ)」
と言っていた。
自分が行った石巻は2000人以上の死亡が確認されている。
行方不明はまだ確認されていないので死者が増えるかもしれない。
他人事みたいだが、結果は結果なので変える事はできない。
発見されていないだけで公式な数値になっていないだけ。
それを受け入れて事実と確かめこれからを生きていくという辛い選択を被災者は満身創痍の状態の中で迫られている。
自分も依頼主の夫が亡くなった所に行った。
そういう話を聞くのは失礼かなと思っていても、相手から「事実」を話してくれた。
そこで初めて共感できてこの災害がどんなものだったかと知ることができた。
「あの方亡くなった」
「そっちも死んだんだって」
そんな会話があちこちで日常じゃない日常で普通にされる異常。
それが事実だ。
被災者の方はそれを真摯に受け止め、真実なんだ現実なんだと解釈し、新しい一歩に踏み出している。
動かないと進まないのは当たり前。
ずっと止まっていたら、そりゃその結果のまま。
写真。
自分はボランティアをしに来たのに、客観的に「スゲー」の一言で写メで留めていいものか。
そしたらすっごく失礼じゃないかと戸惑っていた。
が、後で進みだした時にこういうことがあったと忘れないようにシャッターを切った。
結論!
被災地に今必要なのは飯でも服でもなく、「人手」。
飯とかはずっと支援をしていかないといずれは途絶えるのでずっと続ける事が必要。
だが被災地がずっとそのままだとブラックホールそのもの。
社会としての基礎ができさえすれば自力で復興できる。
一番必要なことは、いままでの街と同じに戻す力だ。
被災してない人が被災者だけに痛みを押し付けて傍観でいいのか。
どんな小さい事でもいい。
でもデカい事の方がいい。
やれることをやろう。
いち早い被災地の復興を願います!