七回忌の日。
朝は早起きをして、主人のお義姉さんたちとお料具(お供えするお料理のこと)やおだんごなどをこしらえます。
そして祭壇におまつりします
祭壇もお供え物も全て自分たちで作るのです。
しかもこちらの地方ではお料具もおだんごも全て「お大師様」=「弘法大師」と仏様の2人分ずつ作ります。
何しろ、お遍路も「同行二人」ですからね。
また、こちらではお盆入りに墓前で「おがら」を焚き、死者を迎えます。
「おがら」とは、「葦」を干したものです。
いわゆる「迎え火」ですね。
この日も、祭壇を作った後、おがらを焚きに早朝から一旦墓地へ行きました。
そして午前10時「おじゅっさん」到着。
徳島弁で「おじゅっさん」というのは、つまり「住職さん」のこと。
読経の後は全員で墓前にお参り。
…こうして七回忌法要は滞りなく終わりました。
ほっとしました
翌日にはもう埼玉に発たなければなりません。
東京行きフェリー予約がとれず、陸路で帰らざるを得ないからです
少しでも土日のラッシュを避けるため、また車での走行距離を縮めるため、まずは「南海フェリー」で和歌山港に
2時間の船旅の後、阪和、東名阪などを使って小牧JCTまで約4時間。
小牧にある「小牧天然温泉スパガーラ」で一泊
温泉に入って、マッサージもしてもらい、ぐっすり寝てリフレッシュ
翌日、東名のラッシュを避けて中央高速に乗り…
諏訪湖付近と談合坂トンネル付近で多少渋滞がありましたが、比較的スムーズに走れ、無事自宅へ到着したのでした
今回は、七回忌が目的の帰省でしたが、お蔭で久々に家族と共に多くの楽しい時間を過ごすことができました。
本当に、感謝、感謝
お義父さん、お義母さん、ありがとうございました
そして、昨日で夏期講習も終了
子どもたちに事故もなく無事終えられたことにも、感謝、感謝
入試本番まであと少し
ラストスパート、がんばりましょう
さて、帰り、別のフェリーで九州に向かった「風の旅人」
一人旅を終えて自宅に戻ってきたのは、それから13日後でした
娘の作文より
おきて!と、さけばれておきました。
ねぼけて一かいにおりると両親はおきてもう朝ごはんを食べていました。
お父さんはお兄ちゃんをおこしに二かいに上がっていきました。
すると、おかあさんに電話がきました。
「あぁ、そうですか。わかりました。」
「どうしたの?」
「ダッキーできないかも…」
「え~、どうして?」
「戸川さんによると、川の水りょう(ほうすい)が百五十トンい上ならできない、百五十トンい下だったらできるんだって。でも、いまの水りょうは…」
「いまの水りょうは?」
「百七十トン。」
(ガビーン!)
「きのうまではよかったけど、きのうあめがふったから今日の朝になってきゅうにふえたんだって。」
私はショックでした。
「でも、かも、だからできるかもしれないじゃん。」
「できるかどうか、またれんらくするって。」
「じゃあ、川を見に行ってみようか。」
私たちはいちおうダッキーのじゅんびをして川にいってみました。
やはり、水りょうは多いです。
れんらくをまつ間、「わしのさと」というところの池のこいにえさをやりました。
こいはすごい力でえさをとろうとしました。
そして、あきらめかけたそのとき!
電話が!
「あっ、本当ですか!じゃあ、十時に…」
「だれ?」
「戸川さん。水量が百五十トンになったって!」
「よっしゃ~!しらせてくる!」
走って車にもどり、お兄ちゃんにしらせました。
お兄ちゃんもよろこんでいました。
そもそも一番やりたいのはお兄ちゃんだからね。
ハッハッハッ。
しばらくすると戸川さんの車がやってきました。
みんなで戸川さんの車に乗ってスタート地点の野外活動センターにむかいました。
ついてから
「みなさん、下、水着ですよね?」
「いいえ。できないかと思って…」
「じゃあ、私の車の中で着がえますか。」
私とお母さんは先に戸川さんの車の中で着がえました。
着がえおわってそとにでたら、お父さんとおにいちゃんががいっしょうけんめいボートをふくらませていました。
そして、男も着がえてじゅんびたいそうをして、写真をとっていよいよ出発です。
はじめはれんしゅうをしました。
水にうかぶ、前こぎ、後こぎ、ターン、おちたとき、ボートがてんぷくしたとき、むこうぎしにわたるとき、などなど。
前こぎのれんしゅうのとき、私は両親と三人でボートにのっていました。
でも、お父さんがあまりにもほうこうおんちなので、私はきけんだと思い、戸川さんのボートにのることになりました。
そして、しゅっぱつです!
すぐにげきりゅうが見えてきました。
(はじまってすぐげきりゅうって、なしっしょ!)
一番目のげきりゅうは、流れがとても早かったです。
つぎのげきりゅうは、あんまりはくりょくがなかったです。
そして長い間こいでコースに二本あるはしのうちの一本目をくぐりました。
そして「子頭石」(こずいし)という子どもの頭の形をした石のげきりゅうのところでいちどきしに上がって昼食を食べました。
おにぎりはぬれていなかったけど、形がすごいことになっていました。
戸川さんがグレープフルーツをわけてくれました。
みんなが食べおわり、「子頭石」のところまで行ってれんしゅうをすることになりました。
「子頭石」はすぐそばにあるげきりゅうで、両親からちゃんと目のとどくところなのであんしんです。
一回目はてんぷくしそうになりましたが、うまくバランスをとって、すごい早さで流されていきました。
二回目は「子頭石」のちかくでてんぷくしてしまいました。
こんなリズムで。
「みぎ!みぎ!み…ブクブク…」
一回は転んでおいたほうがいいかなぁと思っていたしゅんかんてんぷくしたのです。
私は教えてもらったとおり、バタ足をしてボートにしがみついて乗りました。
でもそのとき、くつがぬげてしまいました。
パドルもはなしてしまいました。
でもはなしたさきにお兄ちゃんがいたのでとってくれました。
くつは二つともどんどん流されていきます。
戸川さんがいそいでボートに乗りこみ、くつをとりにいってくれました。
二つともとれました。
れんしゅうがおわってさいしゅっぱつしました。
流れがなくなっておだやかになりました。
みんなすこし休みました。
しばらくするとさいごのげきりゅうがでてきました。
(さいごだ。がんばらないと)
と思いました。
さいごのげきりゅうのまえにきて進んでいくとたかいなみがきました。
私たちは下へ、なみは上へいくので…
ザバ~~~~~ン!
戸川さんはよろこんでいるけど、私はとってもビックリしました。
そしてすぐにゴールにつきました。
ゴールについてボートをきしにあげました。
ウエットスーツをぬいでかわかしました。
いい天気だし、いい思い出になったし、ラフティングよりもスリルがあって楽しかったです。
今年の里帰りはなによりもうんとうんとおもしろいし、たのしい里帰りでした。
こんなにいい思い出になったのは、家族のおかげだと思いました。
※娘の作文はここで終わり(なんと、ノート48ページ分)
学校の宿題もせず、帰るなりダ~~~っと
里帰りの本来の目的は「七回忌」なんだけどなぁ…
主人の実家に帰る途中、海水浴場に寄りました。
その日はとにかく風が強く波も高かったので、娘は大喜び
ビート板でずーっっと波乗りをしていました
一方、「大歩危ラフティング」で急流下りにハマッた旅人…
海水浴はそっちのけ
自ら電話をかけまくり、明日の川下りの予約を取るのに必死でした
でも、この時期、どこもかしこも予約でいっぱい
あきらめかけたその時、旅人の執念が実り、やっと予約が取れました
それは…
実家のすぐ近くを流れる那賀川での
「ダッキーリバーツーリング」
「ダッキー」とは果たして、どんなものなのか
海水浴を終えた私たちは、主宰する「TOGAWAレクリエーションサービス」を訪ねることに…
「ダッキー」とは、空気を入れて膨らませるエアカヌーのことだということ。
普通のカヌーに比べて、転覆しても簡単にひっくり返せるので、川下り初心者でも比較的扱い易いのだそうです。
娘以外の3人は以前、那賀川でカヤックに挑戦したことがあり、それより簡単で面白そう
しかも、全長5.5キロのリバーツーリングなら旅人も満足するかも…
ということで、即申し込み
明日を楽しみに、雨の中、家路についたのでした
娘の作文より
今日はとくしまの海に行く日です。
みんなつかれていて八時におきました。
お母さんが
「朝食、おわっちゃうよ!九時までだから!」
と言いなんとかみんなをおこして二かいのバイキングに行きました。
私はトマトがすきなので
(トマトがあるかなぁ、あったらサイコー)
と思いました。
バイキングは好きな物をとっていいので、わたしは好きな物しかとりませんでした。
ミニトマトは…
なんとありました!
私はミニトマトはいくらでもいけるので、小ざらいっぱいにトマトをのせました。
しかも、それを二回も!
おなかいっぱいになりました。
帰るじゅんびをして、十時にチェックアウトしました。
これから海に行きます!
今日の一番の楽しみは海なのでワクワクしていました。
長い時間車を走らせました。
そしてやっとつきました!
まちにまった海です!
こういしつで水着になり、海にとびこみました。
風が強いのでなみが高いです。
ビートバンとついでに水中メガネも持っていきました。
そしてお父さんといっしょに水中メガネをかけ、なみにのるじゅんびかんりょう!
すぐに大きななみがきました。
すこしおくれたので、なみにのれませんでした。
でも次はちゃんと見ていたのでうまくのれました。
ついでに水の中に頭をつっこんでみました。
するとすなの色といっしょの色をした魚をみつけました。
お父さんにしらせたら、
「それはハゼだね。」
と教えてくれました。
しばらくおよいできゅうけいをしに海の家にもどると、お兄ちゃんが明日のカヌーの場所がみつかったっていいました。
わたしはそんなこときにしないでまたおよぎました。
いままでで一番楽しかったです。
海が終わってお兄ちゃんがみつけたカヌーのよやくをしにインストラクターさんのじむしょにいくことになりました。
それは「ダッキーハウス」とかていあるログハウスでした。
私は
(あそこでよやくするのかなぁ)
と思いました。
インストラクターの人は男の人で、どうやら戸川さんていう人らしい。
戸川さんはやっぱりとくしまべんです。
話がまとまったところで、ライフジャケットやウェットスーツのサイズあわせをすることになりました。
そして「あそびぐら」と書いたたてふだがかかったそうこのようなところに入りました。
その「あそびぐら」の中にはロッククライミングのかべがありました。
私は一回だけちょうせんしたけどムリでした。
お兄ちゃんはできました。
「ほな、ライフジャケットきめましょか。」
と言われたので、私はさっそく子ども用の小さい黄色のライフジャケットをきてみるとピッタリでした。
みんなもライフジャケット、ウェットスーツ、ヘルメット、グローブを決めてあみのふくろに入れました。
全員の服そうがきまってあとはあしたをまつだけです。
「あと、くつはクロックスだとかマジックテープのサンダルではぬげてしまうのでシューズてきなのにしてください。」
私たちはくつを買うことをわすれないように「あそびぐら」をでていきました。
もう外は夜になりかけていました。
私たちはあせって車を走らせました。
すると、ぐうぜんくつ屋がでてきました。
すぐにくつ屋にはいって「シューズてきなの」をさがしました。
お父さんとお兄ちゃんのはすぐにみつかりました。
そのあとお母さんもみつけました。
のこるは私です。
でもけんめいにさがしてもマジックテープのサンダルしかありません。
「戸川さんがマジックテープのだとぬげちゃうって言ったでしょ。」
「もうこれでいいってばっ!おなかすいてるんだから。」
「あっそう、じゃあいいよ。ぬげてもしらないから。」
そしてけっか、マジックテープのサンダルを買いました。
夜ごはんは塩ラーメンを食べました。
車を走らせ四十分。
ついたぞ!
なつかしい家につきました。
いまでもおぼえています。
家にはいるといとこたちがいました。
六年生と中三です。
私は早めにおふろにはいったけどみんなとあそんでいておそめにねました。
「あしたはダッキーだからはやくおきるよ。」
「ゲッ!じゃあはやくねなきゃ!」
私はふとんにもぐりました。
娘の作文より
さあ、いよいよラフティングです。
私たちはさっきのラフティングのうけつけのところまでもどりました。
「うけつけはできていますか?」
とお父さんが聞くと
「はい。おわっていますよ。二時になったらトイレをすませ、下に行ってください。全員あつまったら男女にわかれて水着にきがえます。川の水はとてもつめたいのでTシャツを上から来た方がいいと思います。」
と言われました。
いよいよラフティングの時間。
(※せつめいは書くと長くなるので書きません)
ラフティングはたいけんコースなので、たったの一キロメートルです。
インストラクターのみどり先生についてゆき、ラフティングの場所まであるきました。
けっこうあるきました。
そして…つきました。
みどり先生が
「みなさん、パドルをおいて、すこし水になれましょう。水にういてください。」
私はちいさい子ども用のパドルをすなの上において、いちもくさんに水にとびこみました。
すると、すぐにうきました。
ライフジャケットのおかげです。
なんだか、すごく気持ちがいいです。
「ふぁ~。気持ちいい。」
そして立とうと思い、たてになったら
(アレっ、そこがない…深いところにきた~アセッ深いとこきらい!)
私はきしにひっ死におよいでもどりました。
「みなさんも水になれたとおもうので、出発します。」
みどりチームは水色、ようへいチームは青のボートに乗ります。
私が一番前に乗りました。
私はインストラクターさんも前に乗るのかと思っていたのに、みどり先生は一番後ろに乗りました。
私は
「え~~~~~~~。」
といってしまいました。
前こぎ後こぎをれんしゅうし、いよいよ出発です!
みどり先生が
「ハイ!前こぎ!一、二、一、二…。」
みんなもいきをあわせて、
「一、二、一、二…。」
「ハイ、ストップ~。」
すると、目の前に一番目のげきりゅうがあらわれました。
「ハイ!つかまって~。」
とみどり先生が言ったので、わきにある黄色いひもをギュッっとつかみました。
かわの真水がかおにかかってきました。
(つめたっ!なんじゃ、これ~!)
と思いました。
「ハイ!前こぎ~。」
またみどり先生の声がきこえました。
なので、前こぎをしました。
すると、
「あそこにきしがありますね。あそこでとまります。」
と言ったので、
(なんでとまるの?)
と思いました。
するとみどり先生が
「とびこみ大会~~~。」
といったので、私の頭の中に花がさきました。
「イエ~~~~~~イ!」
みどり先生とようへい先生が、なんと、ボートをうらがえしにしました。
(え?)
と思いました。
「これをジャンプ台にします。」
もう一つの家族のお兄ちゃんがおわって、私の番がきました。
ドキドキしました。
私はさかからかけおり、ジャンプ台にとびのり、大の字になって川にとびこみました!
みんな、はく手をしました。
(ちょ~たのしい!もう一回!)
いそいできしにあがってもう一回しました。
そのときお母さんが
「一回転してごらん。」
といったので、私はおかあさんのきぼうで一回転をすることになりました。
さかをあるいており、すこし止まりました。
そしていきおいよくジャンプして一回転をしました。
みんなが
「すごい!すごい!」
といいました。
いそいできしに上がって
「どうだった?」
ときいたら、お母さんが
「きれいだったよ~」
といってくれました。
やがてとびこみ大会がおわり、さいスタートしました。
「ハイ、前こぎ-!」
私はこいでいるときに思いました。
(一番とびこんだ回数が多いのは私だろうな)
って。
しばらくして二番目のげきりゅうがみえてきました。
みどり先生が
「あそこが二番目のげきりゅうです。、じゃあ、前の二人!パドルを船の中において、身をのりだしてください。」
といいました。
私はパドルをおいてボートから身をのりだしました。
すると、げきりゅうの真水が体にかかってきました。
「うわっ!なんだ!このサービスは!」
やがてげきりゅうもおわり、ラフティングもおわりです。
みどり先生が
「あそこがゴールなので、ここからおよいで行ってください。」
といったので、私はゴーグルを目にかけて、とくいなクロールでいきました。
一度ながされそうになったけど、ながされればながされるほどおよぐ力が強くなっていくので、ぶじけがもなくつきました。
でも私は
(もうちょっときょりがあってもいいかなぁ。)
と思いました。
私ふくにきがえて車にのりこみました。
「あぁ、おもしろかった。」
「ながれがはやかったね~」
「でも一番目のげきりゅうの方が二番目のげきりゅうよりはくりょくがあったよね。」
「またこようね。」
「こんどはもっと長いコースがいいなぁ」
みんな車の中でいいたいことばっかいっていました。
ラフティングがおわって宿につきました。
宿の中はとってもきれいでけしきはまあまあよかったです。
おふろはごはんの前にはいりました。
ひろいおふろが一つ、サウナ、水風呂、ろてんぶろが一つありました。
ろてんぶろからは今日ラフティングでくだった川がみえます。
おふろからあがって、夕食を食べに二かいにおりました。
夕食はとてもごうかなうえ、とてもおいしかったです。
幸い翌朝は前日までの雨も上がり、「土柱」(どちゅう)まで徒歩で登ってみました
「阿波の土柱」
国の天然記念物だそうです。
イタリアのチロル地方とアメリカのロッキー山脈の土柱と並んで「世界3大土柱」と呼ばれているとか
…そりゃ、ちょっと言い過ぎだろっくらいの規模でした。
土柱の後は、「大歩危、小歩危」まで一直線
大歩危、小歩危…
さて、なんて読むでしょう?
正解は…
「おおぼけ」「こぼけ」
吉野川上流です。
瀬が早く危険な場所、という意味なのでしょう。
私たち家族は今回、この大歩危で「ラフティング」をしました。
まずは午前中予約を取り、先に「祖谷」までドライブ
祖谷(いや)の「かずら橋」
ひぇ~~~下を見ないほうが良いよ
見よ、このへっぴり腰
昼食に名物「祖谷そば」を食べ、いよいよ午後からはラフティングです。
それは次回…
ところで…
車の運転中で写真を撮りそびれた看板
その名も…
「おおぼけタクシー」
できれば乗りたくない…
でも、面白そうなので1回くらいは乗ってみたい気もする…
娘の作文より
今日はラフティングとかずら橋にいく予定です。
十時にチェックアウトして土柱を見にいきました。
きゅうな上りざかをのぼっててんぼう台につきました。
見ると、この大地をのっとるかのようにとても大きかったです。
私は、スゴイ!スゴイ!と思いました。
それからかずら橋に行くとちゅう。ラフティングのもうしこみをしました。
でも、小学生ができるかがもんだいです。
うけつけに行ってお母さんがきいたら、
「たいけんコースならだいじょうぶですよ。」
と言われたので、よっしゃ!とおもわずガッツポーズをしました。
「ラフティングは二時からですので先にかずら橋に行っているよゆうがありますが、どうしますか?」
と聞かれたので、お母さんはみんなとすこしそうだんしてから、
「じゃあ、そうします。先にかずら橋にいきます。」
ということで、かずら橋にいくことになりました。
車で二十分ぐらいのところにあるかずら橋につきました。
近くにあるうどん屋のおばちゃんが近道をおしえてくれました。
その近道はかいだんをおりるだけでした。
かずら橋のけんをもらって橋の前にきました。
お母さんが
「クロックスおとさないでね!」
といったので、クロックスをぬげないようにしました。
そしてかずら橋に一足ふみいれ、すぐに手すりにつかまりました。
また一足、また一足、下を見るたび、こわくなりました。
がまんしました。
クロックスもぶじです。
私はみんなをまちました。
はぁ、こわかった、と思いました。
むこうぎしにもどるがんじょうな橋をわたると中、かずら橋のしゃしんをとりました。
出口のかいだんをのぼってやっと出口に出ました。
かいだんのせいで、足がきんにくつうになりました。
次にお昼ごはんを食べようということになりました。
「そういえば、かずら橋に行くとちゅう、そば屋があったよ。」
「う~ん、そうだっけ?」
「まあ車をはしらせていればわかるよ。」
車をはしらせていたら、本当にそば屋がありました。
「あっ、本当だ。なんかここおいしそう~」
そこはとてもこんでいました。
みんながほとんど食べおわったころ、お父さんが
「そとにでてごらん!」
というので外にでたら、見たことのないぜっけいが見えました。
そして、しょうべんこぞうのタヌキばんみたいなやつがはるか下にある川にむかってしょうべんをしていました。
「いくよ!」
お母さんのこえです。
わたしはいそいで車にのりこみました。
四国八十八ヶ所の第一番から第二十三番までは徳島県内にあります。
第一番 霊山寺
第二番 極楽寺
第三番 金泉寺
第四番 大日寺
第五番 地蔵寺
第六番 安楽寺
第七番 十楽寺
第八番 熊谷寺
第九番 法輪寺
第十番 切幡寺
第十一番 藤井寺
第十二番 焼山寺
第十三番 大日寺
第十四番 常楽寺
第十五番 国分寺
第十六番 観音寺
第十七番 井戸寺
第十八番 恩山寺
第十九番 立江寺
第二十番 鶴林寺
第二十一番 太龍寺
第二十二番 平等寺
第二十三番 薬王寺
このうち、二十一番札所「太龍寺」(たいりゅうじ)は「西の高野」と呼ばれるほど、深山の山頂に位置しています
歩いてお遍路をする場合は、太龍寺山頂までの約3キロの急な山道を登っていくそうです
車で行っても、下りてから約1キロの急坂は歩いて登らなければなりません
ところが、今では山頂までロープウェーで簡単に行けるようになっていてとても便利です。
ロープウェーができた当初はお遍路さんだけでなく、多くの観光客が訪れていました。
主人の実家は、この太龍寺のふもと、那賀町(旧鷲敷=わじき)というところにあるのです。
いかに田舎か、がわかるでしょう
お遍路の中でも、四国4県を1県ずつ4回に分けて巡礼する方法を「一国参り」と言います。
徳島県内の二十三ヶ所を私たち夫婦と生前のお義父さんお義母さんの4人でお遍路したのはもうはるか昔の話。
私のお腹の中で亡くなった子の「弔い」のお遍路でした。
私の実家は神社、すなわち神道。
主人の実家は仏教、真言宗。
でも、「祈り」の気持ちに宗教や宗派は全く関係ない。
大切なのは「想い」なのです。
お遍路のきっかけも人それぞれなのです。
…ということで
今回、一番と二番だけですが、初めて子どもたちを連れて行きました。
「霊山寺」(りょうぜんじ)
左のお遍路さんはマネキンです。
ちょっと、コワイ
「極楽寺」
すぐ近くの…
「ドイツ館」
第一次大戦時のドイツ兵捕虜と地元住民たちとの敵味方を超えた交流を記念して建てられたものだとか…
四国一の宮 「大麻比古神社」(おおあさひこじんじゃ)
にも立ち寄ってみました。
夕食は…
阿波名物「たらいうどん」を食べに土成(どなり)まで。
「たらいうどん」(4人前)
使用前
使用中
食べたら、たらいで顔を洗います。
…うそです
使用後
「マス」の刺身には、やっぱり「すだち」
さしみ醤油にキュっとしぼって、サイコーですよ
娘の作文より
「霊山寺」というお寺に行きました。
そこでおまいりをして、百円玉が五まいはいる交通安全のランドセルのストラップを買ってもらいました。
次に二番目のお寺にいきました。
私はそのときねていたのでお父さんと車にいました。
あとのお兄ちゃんとお母さんは行きました。
しばらくして二人が帰ってきたとき、お母さんがいいました。
「聞いたよね?」
といったら、お兄ちゃんが
「うん、聞いたよ。」
私が
「なに?どうしたの?」
と聞いたら、お母さんが話しました。
「あのね、二人でおまいりしたあと話をしていたら、うしろでかねのなる音が聞こえたの。だれかがおまいりしているんだろうなあって思ってうしろをみてみたらだれもいなかったの。」
私はぞっとしました。
たぶんざしきわらしだろうなって。
それから私たちは予約していた宿にむかいました。
でもそのまえに、どなりという町のたらいうどんを食べにいきました。
たらいうどんのお店について四人前をたのんだら、すごいりょうのうどんが出てきました。
私は
「こんなに食べれないよ~」
と思いました。
でもみんなもくもくと食べていました。
なので私も食べました。
とてもおいしかったです。
次に車を走らせて宿につきました。
そこは、近くに土柱があります。
「土柱」とは、土でできた柱のことです。
部屋にはいったら、おもったより広かったです。
おふろはしつ内のおふろが一つとサウナが一つありました。
おふろは、とてもきもちがよかったです。
すこしおよいでしまいました。
出発前日、ブログを書いた後、ガソリンをタンにしなくちゃと思って車に乗ろうとした。
…ら、なんと、新車のバッテリーが上がっていた
オー、マイ、ガー
運転免許を取り、もう25年以上も運転しているけど、バッテリーが上がったのは初めて
原因は後部座席のルームランプつけっ放し
しかも、窓まで開けっ放し
新車だぞっ
だれの仕業かは大体見当がつく
すぐにディーラーに来てもらいエンジンをかけてもらった
歩いて1分、というのはこういう時にイイ
「30~40分、エンジン切らないで走っていてください」
オー、マイ、ガー
あ~ぁ
荷造り全然してないのに
結局三郷までドライブして帰ってきた
いつものガソリンスタンドで給油
洗車をしようと思ったら、もう8時を過ぎていてタイムアウト
オー、マイ、ガー
仕方がないので自分で新車をフキフキすること数十分
そんなこんなで9時に帰宅
ところが、帰ったら帰ったで、今度は娘の体が大変なことに…
体中にジンマシンのような赤いブツブツがいっぱい
オー、マイ、ガー
なんかヘンなもの食べた
ザリガニさわったからかな
明日は徳島に発つというのに…
ついてない時というのはことごとくついてないものだ
でも、翌朝、熱もなく元気な娘
計画通り出発することにした
往路は「オーシャン東九フェリー」
東京→徳島→九州(門司)を結ぶカーフェリー(風呂付き)
観光客でごった返すアクアシティお台場でお土産を買い込み、有明を夕方19時出港
徳島には翌日の13時に到着。
和室がいっぱいで取れなかったため、1等洋室4人部屋に。
でも家族で個室が取れたし、ベッドもいろいろ手間がなくて良かった
今回は特に大きな揺れもなく、疲れもあって泡の出る飲み物飲んだらぐっすり寝られました
朝
旅人は、まだ夢の中…
娘の作文より
里帰り
私は8月8日から8月15日までとくしまけんで生活をしました。
家を出るとき、家にのこるおばあちゃんのことがかわいそうに思えました。
家を出て、こうそくにのり、おだいばまではしりました。
こうそくは、ナビのおかげで1時間もかかりませんでした。
そうしておだいばでとくしまの人へおみやげを買いました。
カーフェリーにのるまで4~5時間くらいありました。
そして、やっとのことでカーフェリーにのる時間がやってきました。
夜の七時に出こうしました。
そのとき私はしばらく外に出て海をながめました。
私の見た海はすみでできているかのように真っ黒い海でした。
私はすこしぞっとしました。
カーフェリーでねるとき、船はとてもゆれました。
私はようほうなので、目がクラクラしました。
そして…朝がきました。
明るい光がまどからさしこみ、部屋がライトでてらされているかのようでした。
私が一番におきました。
それから二番目におきたお父さんと外に出ました。
あの黒い海は、そこにしずんでいるパールがらんらんと光っているかのように水色のきれいな海になっていました。
この時私は、ずっとこの海を見ていたい、と思いました。
しばらくして、船がとくしまにつきました。
ついたとき、きりのような雨がふっていました。
修学旅行のタクシーツアーで運転手にこう言われた。
「いっぱい見た事だし、満足したでしよ?今度来るときは大きくなってから思い出した時にしな(笑)」
いや、僕はまだ京都という街を充分にわかってはいない。
だから再び訪れた。
ちゃんと見て満足してから帰ろうと思ったから…
今、すごく気に入っている本がある。
宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」
孤独な少年ジョバンニがクラスの人気者のカムパネルラとともに夜の銀河特急に乗って旅をする話。
すごいノスタルジックな内容だけど、話が進むにつれてどんどん引き込まれて行く。
賢治自身の終焉間際に作られた未完成の作品。
僕のこの旅の終点はどこなんだろう…?
広島という街には様々なドラマがある。
明治時代には大本営が置かれ、事実上日本の首都に一時的になった事がある。
港は栄え、街は活気に溢れた。
1945 08 06
その街が一瞬で消えた。
信じられないくらいの衝撃と熱と共に。
市電は吹き飛んだ。
その時、祖母も広島の呉にいた。
学徒動員で徳島から連れて来られ海軍工廠で働いていた。
放射能を帯びた死の灰を浴びた。
だが被爆者としては認められなかった。
街は一年経っただけでかなりの復興を遂げた。
肉片、骨、炭と瓦礫だらけの街が。
旧制広島文理科大学は広島大学になった。
母は一年間の浪人を経て広島大学に合格し、大学生活を広島で送った。
その後、父と出会った。
父と一緒に広島で暮らした。
2010 08 19
ガンで死んだ祖母の七回忌を終えた自分が、戦争を知らない自分が、広島を訪れた。
市電の新しいのに乗った。
二回目の原爆資料館に行った。
生々しい標本や写真が展示されていた。
改めて核は許されない物だと知った。
宿が無い自分が平和公園のベンチで座っていると…
「バックパッカー…?」
と声をかけられた。
おじさんだった。
戸惑ったが話をした。
宿が見つからないと言うと、
「泊まってけ」
びっくりした。
こんな怪しいちょっと老けた中学生をいきなり泊めるなんて…
家にお邪魔して、また話をした。
ホテルの接客員をしていたらしい。
広島についていろいろ教えてくれた。
自らの姉も呉の軍需工場で働いていて、原爆でやられた時街に出て救護活動をしていたらしい。
爆心地に近かったため、もろ放射能を浴びて間接被爆者となった。
その人は大分に住んでいて、常人の三分の一しか白血球が無いらしい。
いわゆる、白血病。
そのおじさんは、広島に来るまだ宿の決まってないいろいろな外国人を泊めているらしい。
そんなのに比べたら、自分なんかを泊めるなんて楽だったのだろう。
ステーキを振る舞ってくれた。
一人旅が始まってからまともな飯すら食べてない自分が、初めて食べたご馳走だった。
格段に、旨かった。
広島という街には様々なドラマがある。
自分もまたその主人公の一人になれた気がする。
広島はいい街だ。
はやとの風
いさぶろう・しんぺい号
余りにも移動に華が無いので観光特急に乗ってみた 。
三千円でこれだけ違うとは…
オトクにも程がある。
ガキンチョと話をした。
熊本に住んでいるらしい。
なんかとても話が合った
小さい時の自分にそっくりだったから。
途中でその子の祖母であろう人と話をした 。
歳を告げたとき、
「大学生じゃないの?」
と、発狂寸前だった…
いろんな話をした。
最後に「将来は旅人だな」と言って汽車を降りた。
昨日、旅人の写真をアップしようとフォトチャンネルをカチャカチャしていたら、誤って今までの画像フォルダーの写真をぜーんぶ消してしまった
大、大、大ショックーーー
修復には相当の時間がかかるでしょう
いろんなところから写真を探さなくちゃならない
修復不可能なものもあるかも…
しかーし
良い機会なので今までの全記事を一度整理し直そう、と前向きに考えることにしました
しばらくはお見苦しいとは思いますが、ご容赦願います。
人は歴史を忘れた時、歴史を創成する事を辞める。
過去を捨てた人間には未来は来ない。
忘れない為にはオレ達の世代が語り継がないといけない。
またそれはオレ達にしかできない事でもある。
彼等は国の平和の為に自分の残された時間を捨てた。
でもオレ達にはまだ時間がある。
彼等の分まで生きる義務がある。
徳島の帰路、旅人は私たちとは真逆の方向に去っていった。
行き先は門司港。
九州縦断一人旅の始まりだ。
「死」から目をそらさずしっかりと見つめること。
それは、即ち「生」を考えること。
そんな旅になることを、親は願う…
原爆資料館、トーマスグラバー、大浦天主堂、市電、坂本龍馬、精霊流し。
初めての街にしては長崎は刺激が強すぎたかも…
「精霊流し」は、今年死んだ親族を弔うお盆祭の一種。
あの「精霊流し」の歌みたいに静かじゃなくて、駅前大通りで車とか路面電車いるのに昼間から打ち上げ花火(手に持つ)、爆竹(箱ごと)をブッ飛ばす。
一週間のご無沙汰でした
七回忌を終え、本日18時、自宅に無事到着
(ただし、「風の旅人」を除く)
久々に充実した「TRIP」でした
詳細は後ほどアップ…
(あっ、えーっと、アップする時間があれば…ということで)