I Will Survive 〜クローン病の息子と共に〜

10年かけモラ夫から脱出、離婚して再婚、
新しい夫と義理の息子との新生活。2025年息子がクローン病に。

2008-10-30 16:13:43

2008年10月30日 | インポート

27.うつ入る

すぐに新しく出来たデパートで働いてみたりするが、

夫は自分の休みに私が仕事を入れたりするのをとても怒り、

『家族は一緒にいるべき』という観念を押し付けてくるので、

よくもめていた。夫に合わせて土日祝日が休みになる、

オフィス向けのお弁当販売の仕事を始めたが、体力的にも

きつくて続けられなかった。夫に遠慮しないで自分のやりたい

仕事をしよう、と思った。

何しろ保育所にとても助けられていたので、

仕事を辞めるとそのうち退所しなくてはならなかったのが

辛かった。この頃は精神的にもしんどくて、

保育所の先生との面接でも泣いてしまった。

夫はとにかく仕事優先で、娘が生まれてから朝食すら

一緒に食べてこなかったのに、私にだけ家族を大事にしろ、

とはちゃんちゃらおかしい。


モラ夫はともかく、『俺様一番』子ども可哀想、だとか

妻を責めても、結局自分を一番大事にしろ、というのが本音。


離婚を考えるようになったが、母子家庭で帰る実家もないし、

子どもも小さいので断念するも、悔しくて精神的に落ち込む。

娘を保育園に送って、布団に寝てしまい、夕方迎えに行く時間に

何とか起きて夕食を作ったり。今思えば立派にうつだった。

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2008-10-30 16:12:41

2008年10月30日 | インポート

26.大喧嘩

その後、夫の横柄な態度に私の母が切れて、大喧嘩に。


『こんなひどい扱いなら娘を返してください、

お嫁になんかやるんじゃなかった』と母が泣きながら

言っても、モラな夫には暖簾に腕押し。

『離婚はしません』の一点張り。現に今もその態度のまま。

私も病気をしてやや気弱になり、仕事も辞めてしまったので

前向きに3歳になる娘のために、きょうだいがいた方が

いいかと思い、夫に相談するが、『それもいいかなあ』と

言うばかり。ちなみに、娘が生まれた半年後から、

夫婦生活は5年数ヶ月、私が働きかけるまで何も無かった。

ほんっとに何も。毎日不機嫌そうにして疲れて背中を向けて

寝ていた夫に、こっちは怖くて近づけるどころではない。

一緒の布団で寝たことも無かったなあ。

それだけでも離婚原因になっておかしくないし、

そのことについて話もしないって、普通じゃない。


結局、私は手術の傷の手当をしているうちから次の仕事を

探すことにした。

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2008-10-30 16:11:21

2008年10月30日 | インポート

25.退院と夫の嘘

入院中、何が寂しかったかといえば、面会時間以外

娘に会えなかったこと。3歳になる前の可愛い盛りだった。

品揃えの少ない病院の売店で折り紙を買って、

娘が来たらあげようと、手裏剣をせっせと折った。

娘の世話のため、私の姉と母が来てくれていた。

私がいないので、頻繁にお漏らししたり、

どうも不安定だったようだ。痛々しかった。


無事に大晦日に退院が出来た。

ちなみに母と姉が家事と育児のほとんどをしてくれた。

夫はといえば、初めて娘と二人で半日、動物園に行った

くらいで、年賀状に、

『妻が入院し、慣れない家事と育児に明け暮れました』

と書いていた。まったくの大嘘だ。

記者が捏造していいのか?


結婚前につかれていた嘘では、『趣味は美術鑑賞』

単に当時取材した美術館の学芸員の女性に憧れていただけ。

その証拠に、結婚してから美術館に行ったことも誘われた

事もない。初デートの美術館も、同時にサイトでやり取りを

していた女性へのメールでは一人で行ったことになっていた。

私にも今日はクラシックのコンサートに行ったとか、

珍しい料理を食べたという報告は、おそらく他の女性と

行ったのだろう。

結婚したての時、あまりに暇だったのでつい夫のメールを

見てしまった。ショックこの上なかった。

子どもが生まれて一人で引越し準備をしていた時も、

夫の過去の日記を発見し、交際時の私の印象を、

『母子家庭だからか言葉が汚い、品が無い』と書いてあった。

ならば結婚などしなければ良いではないか?

他にもセックスに関することや、嫌なことが書かれてたなあ。

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2008-10-30 16:09:58

2008年10月30日 | インポート

24.入院

会社を辞めてから入院まで、淡々と過ごした。

年賀状も作ったし、当時流行っていた『冬ソナ』を見て

癒されたり・・・。

一度、入院の準備を品を買うのに夫が車で連れて行って

くれると言っていたが、入院をめぐって夫の実家と少し

行き違ったり、夫とも行き違ったりして喧嘩になった結果、

『お前一人で勝手に行け!!』と言われた。

けっこうショックな状況で、私も、

『もうアンタの子どもなんて産むもんか!!』と言った。

そのくらい、私の中でぷつんと切れた出来事だった。

私は重い腹をひきずって電車に乗り、買い物に行った。


95%良性と言われても、安心は出来ないし、麻酔とか

失敗したら、死ぬ可能性が0と言い切れない人間の心理は

独特だ。絶対に健康な人達には分からない。病人の心理が

普段なら言わないようなわがままを言うこともあるのだ。

天皇誕生日に入院し、麻酔科に行ったり採血されたりして、

25日に手術をした。麻酔って本当にオペ室のライトを見てる

うちに眠るんだなあ、そしてストレッチャーで運ばれてる時

目が覚めた。マジックみたいだよなあ。

手術は大成功、卵巣も両側残った。

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2008-10-30 16:08:42

2008年10月30日 | インポート

23.退社

病院から帰って夫と話し、会社を辞めて病気を

治すことに専念することにした。翌日出社し、退社の

意向を伝えた。事情が事情だし、大して戦力でもない

パートはお荷物なのか、すんなり退社が決まった。

退社まで一日は検査のため仕事を休み、残り10日ほど

痛み止めを飲みながら普段どおり働いた。


MRIの結果、画像からはみ出すくらいにデカイ腫瘍に

先生はびっくりしていた。良性か悪性かは切って病理に

出さないと分からないとのことで、最悪、両卵巣を

取らないといけないかな、と言われた。


さすがに家に帰って泣いた。夫にも電話したら家に

帰ってきてくれた。ちなみに、卵巣を取る=子どもを

持てなくなる、だけでなく、30代前半で更年期症状が出て、

その副作用を薬を飲んだりして過ごす、こちらの方が

大変なのだそうだ。


というわけで年内、クリスマスの日に手術が決まった。

夫は自分の仕事が忙しいので、来年じゃダメなのか?

と言った。その後、MRIの詳しい画像診断により、

95%以上良性と言われた。救われた。

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