ダイヤモンド富士とはよく言ったものだと思う。
そんな有名な構図で撮られた写真を数多く見るに付け、「浅間山」でも撮れないのか?」と考えた。
しかし、当地から見る浅間山は北にあるもの。
北の浅間に南の蓼科とこれが常識であり、写真では浅間山方向は太陽を背に出来、晴天ならば何時撮っても絵になるが、蓼科の日中写真は逆光になり良い写真がなかなか撮れないのが実際だ。
「浅間山に沈む夕日を撮ってみたい!」
長野県内で撮影できるポイントを地図とパソコンで検討。
日没と浅間山が撮影できそうな場所のあたりをつけた。
当日午前は好天だったが、午後からは曇り空になってしまった。
「まずいなあ」と思いつつ軽井沢の見晴台へ。
平日だが観光客で賑わう旧軽井沢を通り抜けると、車もすれ違わない急坂のカーブを旧碓氷峠へと車を走らせた。
何年振りであろう、もう30年経っている。「こんな場所だったかなあ」 過ぎてしまった年月と変わっていくのも当然だ、という少し寂しい気持ちになって駐車場から歩いて上っていくと、見晴台への道は整備され綺麗な石畳へ変わっていた。
昔の見晴台の面影は群馬-長野の県境を表す看板だった。「そうだ、あの看板は昔のままだぞ」 霧の中バイクで訪れた記憶が蘇った。
東を見ると群馬を代表する妙義山をはじめ、少し霞んではいたものの松井田、磯部や遠く高崎方面が望めた。西に見える肝心の浅間山。幸い雲には覆われていなかった。しかし太陽は見えず。
まだだいぶ時間がある。雲も多くなってきて肌寒くなってきたので車の中で時間を過ごすことにした。時折日は出るものの少し小雨も降りだしてきた。心の中は穏やかではなし。
そろそろ時間だ。
見晴台に機材をもっていくと、まだ完全に浅間山の天辺に太陽が届いていないものの、雲間から時折太陽が顔を出していた。
いけるかな。
どの辺りまで沈んだのがダイヤモンド浅間と呼べるのか、他の写真を見たことがないのでまだ山頂の上にある時から夢中で何枚もシャッターを切った。
時間にして数分、それが最後の輝きだったのか、浅間山に沈みかけたときからは雲に覆われてしまった。
うーん不完全燃焼だが曇りであるゆえに出た赤系の太陽だったのかも。この時期はまだ日が長いからもっと白い太陽だったかもしれないと納得させた。
私はまだ雲間から顔を出すかもしれない夕日を待っていた。
そのうち観光客と思われるジャージ姿の若いカップルが見晴台へやってきた。
すでに見晴台には誰もいなかったのだ。
「こんにちは」
私からすこし気まずい雰囲気になる前に声を掛けた。
「こんにちは」
挨拶を返してくれたので、デジカメを持っていたので
「撮りますよ」と声を掛けて浅間山をバックに
肩を寄せ合う二人の写真を撮ったが、肝心の太陽は姿を見せてはくれなかった。
「今日は浅間山の上に太陽が沈む日なのですよ」と教えてあげ、私のカメラのモニターで写真を見せると、「ほんとだーすごーい、へえー、いいときに来たね」と二人とも喜んでくれた。
これも彼らの思い出になればと思った。
自分が30年前に経験した見晴台での思い出と重ねて。