紙魚子の小部屋 パート1

節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物のあれこれ、家族漫才を、ほぼ毎日書いています。

忘れじの人

2007-10-07 23:49:56 | 新聞
 新聞を読めば思わず苦く呻きたくなるような昨今であるが、本日10月7日付けの日経新聞では、思わず微笑んでしまうような記事を発見した。

 タイトルは『彼らの第4コーナー』。偉人の晩年についての、小さな連載コラムである。和歌山が産んだ大奇人、粘菌で有名な生物学者であり民俗学者でもある、南方熊楠の晩年エピソードである。

 彼が63歳の春、1929年に、和歌山にみえる昭和天皇への進講が決まったのだ。無位無冠、在野の一学者なのに、である。しかも複数の神社を合祀しようとする国策に抗し、17日間も拘留された罪人でもあるのに、だ。熊楠は合祀されれば、手つかずの自然が残る小島、神島(かしま)での伐採がなされ、人の手が入ってしまうのを、何としても阻止したかったのだ。

 それでも熊楠にご指名が下ったのは、昭和天皇が早くから熊楠の粘菌研究に関心を寄せ、日本では在野の変人研究者でしかない熊楠が、欧米の学会では広く知られていたことをご存知だったのだ。昭和天皇は生物学に造詣が深かったのである。

 当日、天皇は熊楠が身を挺して守った神島に粘菌採取のため上陸された。御召艦長門での講義は、予定時間を越えたにも関わらず、天皇の希望により話を続けさせたそうである。

 そしてこのコラムの白眉は、熊楠が天皇に献上した粘菌が、桐の箱ではなくキャラメルの空き箱に入れてあったというのだ。キャラメルの空き箱! 居並ぶお歴々の「目が点」模様を想像すると、もう・・・(笑) 後年、天皇は側近にその一件を、さも楽しげに語ったと伝えられている。

 『御幸の島』神島は、後に国の天然記念物の指定を受け、晴れて保護されるようになった。

 学問一筋のピュアな熊楠が、昭和天皇にとってどれほど忘れがたい人だったかを思うと、なんとも心温まる気持になる。天皇という身分故に常人には計り知れない苦労をされたであろう昭和天皇が、熊楠の学問への熱い想いに、深く共感をされたことは想像に難くない。また彼の飾らない無垢な人柄も、いたく愛された事と思う。

 ほんの短い間ではあったが、二人の間に立場も身分も越えた、何かしら心温まる交流がなされたように思う。それは熊楠にとっても「身に余る名誉なこと」だけではない、同じ生物学を愛する人間同士の、対等な深い交流だったはずである。これはふたりにとって、生涯においても幸福な時間だったのではあるまいか。
 そして、このような出会いをただ見聞きする事もまた、たいへん幸せな気持になるのだ。

 キャラメルの箱をみるたび、昭和天皇は熊楠を思い出しては、微笑まれたのではないだろうか。私もしばらくの間は、キャラメルの箱を見るたび、ちょっと幸せな気分で思い出し笑いをしてしまいそうである。
 

 

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2 コメント

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Unknown (しん平)
2007-10-08 11:37:51
ぼくは天皇も天皇制もきらいで、公立中学校の採用試験の面接で、元号を拒否して不採用になった人間ですが。
 昭和天皇にまつわる話で最近、おもしろかったのは京都のD大学にある講演会に行って、老齢の大学教師が天皇のお茶会に招かれた時の話をしていた。
 その人柄や物腰に感心して、侍従長にその雌`えたところ、「ここまで教育してもってくるのに500年かかりました。」と言われたそうな。
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Unknown (紙魚子)
2007-10-08 15:05:55
 私はなんか、いろんな意味で、たいへん興味深い方々だなあと思っています。それとキャラクターを抜きにして尊敬されたり嫌悪されたり熱狂されたりして、お気の毒とも。

 それにしても、皇太子の発言は社会的な波紋を呼ぶのに、天皇の発言はちょっとした小ネタとして流布しても、なぜか社会的にスルーしちゃうっていうのが解せないのです。にこやかに、なにげなく、大きな発言をされるのに。不思議。
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