で、大阪市、国立文楽劇場で行われた『祈りのかたち』のラストは、山形県天童市・仏向寺の「踊躍(ゆやく)念仏」、通称「踊り念仏」である。念仏を唱えることによる宗教的な陶酔や感動を表現するものであり、これが後の民間券\の踊りへと発展したというのだ。日本の踊りのルーツは、踊り念仏なのである。
これは鎌倉時代の一向上人が始めた形式で、11月の開山忌法要のときだけ、年に一度だけ行われるそうだ。
特別な法衣を着た僧侶たちが、鉦鼓(しょうこ)を打ち鳴らして称名する。仏堂内を模した中央の須弥壇を、僧侶たちがゆっくりと右回りしていく。だんだんテンモェ早まり、ステップも所作も大きくなってゆく。
無我、無心の境地に至るルートとしては、座禅よりだんぜんこちらの方が近道なのではと、軍配が上がる気がする。室町時代に一大ムーブメントとして庶民に広まったのもむべなるかな、と思う。
そのまま「踊り念仏」として(=仏教として)直線的に受け継がれて行くものの他、時代が下り、盆踊り、阿波踊り、歌舞伎などに変貌を遂げるものもあったそうだ。
日本史の教科書でちらと見ただけの、でも無意識下ではずっと気になっていた(らしい)「踊り念仏」がこんなに奥深いなんて! 高校を卒業して随分経つのに、初めて知るその頃の知識の肉付け! 勉強ってやっぱり面白いものなんだな、きっと。
これは鎌倉時代の一向上人が始めた形式で、11月の開山忌法要のときだけ、年に一度だけ行われるそうだ。
特別な法衣を着た僧侶たちが、鉦鼓(しょうこ)を打ち鳴らして称名する。仏堂内を模した中央の須弥壇を、僧侶たちがゆっくりと右回りしていく。だんだんテンモェ早まり、ステップも所作も大きくなってゆく。
無我、無心の境地に至るルートとしては、座禅よりだんぜんこちらの方が近道なのではと、軍配が上がる気がする。室町時代に一大ムーブメントとして庶民に広まったのもむべなるかな、と思う。
そのまま「踊り念仏」として(=仏教として)直線的に受け継がれて行くものの他、時代が下り、盆踊り、阿波踊り、歌舞伎などに変貌を遂げるものもあったそうだ。
日本史の教科書でちらと見ただけの、でも無意識下ではずっと気になっていた(らしい)「踊り念仏」がこんなに奥深いなんて! 高校を卒業して随分経つのに、初めて知るその頃の知識の肉付け! 勉強ってやっぱり面白いものなんだな、きっと。
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