紙魚子の小部屋 パート1

節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物のあれこれ、家族漫才を、ほぼ毎日書いています。

隧道(ずいどう)をくぐる

2006-09-02 22:47:27 | ノンジャンル
 おばあちゃんの用事で出かけた帰り、夫が「隧道に寄ろか。あの隧道、名建築やのに、壊される事になってしもてん。」 
 それは寄らないと。運良くデジカメ持参だし。

 隧道は、トンネルの事。今回の隧道は石積みで、夫に言わせれば「近代の名建築」らしい。大正6年の作品である。

 「あの石積みができる職人が、もうおらへんから、修理もできひんねん」と、残念無念な口調だった。


 そういえば以前ラジオで聞いていたら、小さな町工場で、機械には絶対に出来ないような職人ワザをもつ老工員さんが、茶髪の孫のような二十歳前のにーちゃんに、一から技術を教えている、という話を耳にした事がある。なんと、まるまる1世代分以上の時間が抜けているのだ。私達の世代には、大変耳の痛い話である。

 この30年ほどの間に、歴史の流れの中でのどれだけの「役割」がバトンタッチされず、断ち切れてしまったのだろうかと想像すると、かなりつらいものがある。戦争の記憶だけでなく、美しく、素晴らしく、手の込んだものが風前の灯火なのは、残念でならない。

 でも、「流れ行く時間=歴史」を引き継いでいる人達も、少なからずいらっしゃって、日々がんばっていらっしゃるはず。損得勘定や肩書きとは無縁だけど、誇りをもって仕事をされて、歴史の中でその仕事をつないで行く意義を知っていらっしゃる人達が。彼らは決して「コストがかかりすぎて云々」なんて、言わない人達だろう。

 「自分自身がとことん納得できるもの」に取り組むことが、仕事のなかでできにくくなったのは、いつ頃からだろう。美しいものが、日本から消えて行った時期と呼応するのだろうか?

 安倍さんには、ぜひ「美しい日本」を取り戻してほしいものである(苦笑)



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