ウシに曵かれて善光寺参りというが、高校生の頃、マンガに曵かれて古代史ファンの友達と共に、奈良の明日香村(飛鳥?)へでかけたことがあった。
その頃と言えば、オタクのハシリの子達は「宇宙戦艦ヤマト」、宮崎アニメ(トトロやナウシカ以前「未来少年コナン」の頃)、東映アニメ、ガンダムなどにうつつを抜かし、一般の少女達は、「ベルサイユのバラ」「メ[の一族」「風と木の詩」の流行病(はやりやまい)に感染していた。
そんな中で私は手塚治虫という王道をまっしぐらだったが、大人気の「ブラックジャック」が席巻するなか、ひとり「三つ目がとおる」を繰り返し読んでいた。主人公の写楽保介が高校時代の恋人だったのだ。
美しく晴れ渡ったGWの頃、古代史ブーム真っ最中の友達と共に、明日香村の石像や石造りの遺跡の数々(亀石、猿石、酒船石、鬼の雪隠、石舞台など)を巡り、マンガに出て来た石の遺跡の実物に触れることで、感動を新たにした。これはほとんど、韓国ツアーで「冬のソナタ」を巡る旅に感激するおばさまたちと、なんら変わりない。
「三つ目がとおる」は古代伝奇ロマンのマンガなので、古代の遺跡のオンパレードなのだ。
琵琶湖が舞台の巻もあり、ものすごい辺鄙な湖北の場所まで電車とバスで行ったこともある。もちろん観光資源の何もない場所である。
しかし、ひとりうら若い女性が喫茶店でぼんやりしていたのを怪しんだお店のひとが、「困った事があったら、何でもいってくださいね!!」と声をかけてくださった。どうもありがとう。でも、あなたの考えている事は、たぶん違っていますよ。(単にマンガの主人公と同じ場所にいる感慨にふけっていただけなのにさ・・・だれにもわからへんって、そんなこと!)
そういえば二十歳をいくつか過ぎた頃にも、山岸涼子先生の「日出処の天子」(聖徳太子が主人公のマンガ)にはまってしまい、同病の友達と「法隆寺ツアー」にでかけ、宝物館では「きゃああー、これが物部守屋を討った梓汲竄vなどとはしゃぎ、夢殿をひと巡りして「ここで厩戸皇子(うまやどのおうじ=後の聖徳太子)が瞑想しやはったんやー!」とうっとりした。
今ももしかしたら、私はそうは変わっていないのかも(汗) 単にそれほどにはのめり込むマンガがないだけで。
出かけた先で「きゃー♪」とはしゃいでも、一緒にはしゃいでくれる同病の輩がいないのがさみしいが、代わりにクールにため息をつき、「はい、はい」と相づちをうつKちゃんが隣にいてくれたりする。
フィクションと現実を(かすかに)つなぐ品々に、あれほど感情移入した時期があったことが、あほらしくもいとおしく思ってしまう現在なのである。
その頃と言えば、オタクのハシリの子達は「宇宙戦艦ヤマト」、宮崎アニメ(トトロやナウシカ以前「未来少年コナン」の頃)、東映アニメ、ガンダムなどにうつつを抜かし、一般の少女達は、「ベルサイユのバラ」「メ[の一族」「風と木の詩」の流行病(はやりやまい)に感染していた。
そんな中で私は手塚治虫という王道をまっしぐらだったが、大人気の「ブラックジャック」が席巻するなか、ひとり「三つ目がとおる」を繰り返し読んでいた。主人公の写楽保介が高校時代の恋人だったのだ。
美しく晴れ渡ったGWの頃、古代史ブーム真っ最中の友達と共に、明日香村の石像や石造りの遺跡の数々(亀石、猿石、酒船石、鬼の雪隠、石舞台など)を巡り、マンガに出て来た石の遺跡の実物に触れることで、感動を新たにした。これはほとんど、韓国ツアーで「冬のソナタ」を巡る旅に感激するおばさまたちと、なんら変わりない。
「三つ目がとおる」は古代伝奇ロマンのマンガなので、古代の遺跡のオンパレードなのだ。
琵琶湖が舞台の巻もあり、ものすごい辺鄙な湖北の場所まで電車とバスで行ったこともある。もちろん観光資源の何もない場所である。
しかし、ひとりうら若い女性が喫茶店でぼんやりしていたのを怪しんだお店のひとが、「困った事があったら、何でもいってくださいね!!」と声をかけてくださった。どうもありがとう。でも、あなたの考えている事は、たぶん違っていますよ。(単にマンガの主人公と同じ場所にいる感慨にふけっていただけなのにさ・・・だれにもわからへんって、そんなこと!)
そういえば二十歳をいくつか過ぎた頃にも、山岸涼子先生の「日出処の天子」(聖徳太子が主人公のマンガ)にはまってしまい、同病の友達と「法隆寺ツアー」にでかけ、宝物館では「きゃああー、これが物部守屋を討った梓汲竄vなどとはしゃぎ、夢殿をひと巡りして「ここで厩戸皇子(うまやどのおうじ=後の聖徳太子)が瞑想しやはったんやー!」とうっとりした。
今ももしかしたら、私はそうは変わっていないのかも(汗) 単にそれほどにはのめり込むマンガがないだけで。
出かけた先で「きゃー♪」とはしゃいでも、一緒にはしゃいでくれる同病の輩がいないのがさみしいが、代わりにクールにため息をつき、「はい、はい」と相づちをうつKちゃんが隣にいてくれたりする。
フィクションと現実を(かすかに)つなぐ品々に、あれほど感情移入した時期があったことが、あほらしくもいとおしく思ってしまう現在なのである。
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