世間では
「○○はリセットできません」
というキャッチコピーを時折見ることがある。
昨今よりも20世紀末のほうが多かったかもしれない。
これはいろんなバージョンがあって、
「人生はリセットできません」
とか
「地球はリセットできません」
とかいう具合にコピペで使いまわされる。
このキャッチコピーは左翼傾向の強い教員などに特に好まれて浸透していった。
しかし!
実はわたしはこのキャッチコピーが大嫌いだ。
理由を説明しよう。
まず第一に、我々ゲーム愛好家をバカにしている。
この文面は
「TVゲームのようにリセットボタンを押せば何でもやりなおしが効くものだとゲームやってるヤツらは勘違いしているに決まっている」
という前提で作られている。
さらに言えば、
「TVゲームに批判的な我々がゲームやってるヤツらにその事を教えてやらねばならぬ」
というおごり高ぶった不遜さまで感じる。
ヤツらからすれば、ゲームやってるヤツら=バカなのだ。
わたしは我々がバカにされているのを黙って見過ごすのに抵抗を感じる。
余談だが。
かつて大学時代に校舎の入り口付近をウロウロしていたときのことだ。
いかにもな絵に描いたような教育ママ的なオバハンと、最近見ないような坊ちゃん刈りのこれまたいかにも良い子っぽい小学生がそこにいた。
オバハンは言った。
「ここは難しいんだよ。しっかり勉強した人じゃないと入れないんだから」
と。
これには教育用のリップサービスも含まれているわけで、このさい実態がどうかは本質ではないので置いておこう。
その時のわたしは
「いやいや、毎日ゲーセンに通ってるヤツでも入れるんだから、そんな教育ママなんか今すぐ辞めなはれ」
と口から出そうになったものだ。
ちなみにこの教育ママは別のところでも目撃したことがある。
大学から歩いて数分のゲーセンだ。
あるときこの超絶場違いな教育ママはゲーセンに入ってきて、そして汚いものでも見るかのように視察して帰っていった。
教育ママがそこで何と思ったかは想像に難くない。
さて。
毎日ゲーセンに通っていたわたしはバカなのか。
ヤツらの定義からすればバカに違いあるまい。
どれくらいのバカかというと、きっとその大学に入れそうにないほどのバカに違いあるまい。
しかしそのバカは大学生をやっていた。
なんとフシギな世の中だろう(笑)。
ヤツらからすればわたしの存在は絶対に相容れない想定外の存在であるのは間違いない。
しかし、それは珍しいことでも何でもない。
どこの大学でも、毎日ゲームで遊んでいた経験を持つ大学生は少なからずいるものなのだ。
次の理由にうつる。
(次回へ続く・・・)
「○○はリセットできません」
というキャッチコピーを時折見ることがある。
昨今よりも20世紀末のほうが多かったかもしれない。
これはいろんなバージョンがあって、
「人生はリセットできません」
とか
「地球はリセットできません」
とかいう具合にコピペで使いまわされる。
このキャッチコピーは左翼傾向の強い教員などに特に好まれて浸透していった。
しかし!
実はわたしはこのキャッチコピーが大嫌いだ。
理由を説明しよう。
まず第一に、我々ゲーム愛好家をバカにしている。
この文面は
「TVゲームのようにリセットボタンを押せば何でもやりなおしが効くものだとゲームやってるヤツらは勘違いしているに決まっている」
という前提で作られている。
さらに言えば、
「TVゲームに批判的な我々がゲームやってるヤツらにその事を教えてやらねばならぬ」
というおごり高ぶった不遜さまで感じる。
ヤツらからすれば、ゲームやってるヤツら=バカなのだ。
わたしは我々がバカにされているのを黙って見過ごすのに抵抗を感じる。
余談だが。
かつて大学時代に校舎の入り口付近をウロウロしていたときのことだ。
いかにもな絵に描いたような教育ママ的なオバハンと、最近見ないような坊ちゃん刈りのこれまたいかにも良い子っぽい小学生がそこにいた。
オバハンは言った。
「ここは難しいんだよ。しっかり勉強した人じゃないと入れないんだから」
と。
これには教育用のリップサービスも含まれているわけで、このさい実態がどうかは本質ではないので置いておこう。
その時のわたしは
「いやいや、毎日ゲーセンに通ってるヤツでも入れるんだから、そんな教育ママなんか今すぐ辞めなはれ」
と口から出そうになったものだ。
ちなみにこの教育ママは別のところでも目撃したことがある。
大学から歩いて数分のゲーセンだ。
あるときこの超絶場違いな教育ママはゲーセンに入ってきて、そして汚いものでも見るかのように視察して帰っていった。
教育ママがそこで何と思ったかは想像に難くない。
さて。
毎日ゲーセンに通っていたわたしはバカなのか。
ヤツらの定義からすればバカに違いあるまい。
どれくらいのバカかというと、きっとその大学に入れそうにないほどのバカに違いあるまい。
しかしそのバカは大学生をやっていた。
なんとフシギな世の中だろう(笑)。
ヤツらからすればわたしの存在は絶対に相容れない想定外の存在であるのは間違いない。
しかし、それは珍しいことでも何でもない。
どこの大学でも、毎日ゲームで遊んでいた経験を持つ大学生は少なからずいるものなのだ。
次の理由にうつる。
(次回へ続く・・・)