教団「二次元愛」

リアルワールドに見切りをつけ、二次元に生きる男の生き様 (ニコニコでは「てとろでP」)

不幸自慢の失敗例

2010-05-14 00:02:16 | 経済/経済/社会
わたしは小さいころすごく病弱だった。
39℃くらいなら頻繁にたたき出してしょっちゅう寝込むようなヤツだった。

今では人にそんなことをいうと
「おまえがか? ありえんし」
とか言われてしまうくらい元気に育ったものだ。

まあ、別にそれはいいのだが。



ただ、人が
「いまうちの子が病気でさ、39℃も熱があるんだよ・・・」
なんて言ったところで
「いや、子供だから39℃くらいフツーじゃね?」
という顔でスルーしてしまう。
そいつらにしてみれば、イマイチ反応がなくて不満らしい。

わたしの感覚でいうと・・・
子供なら39℃くらいフツー。
39℃代後半だとわりと高熱。
40℃代だとわりと珍しい。
・・・まあそんなところだ。
もちろん40℃代の実体験も何度かあり、自己最高記録は40.2℃が2回。

今のわたしはフツーに元気に生活しているので、自分が不幸な身の上だったという感覚は全くない。
ただ、人から聞いた話によると普通の人間の子供はそれほど病弱にはできてはいないらしい…というくらいのものだ。



これで思ったことがある。

人間というものは、自分が不幸だと感じないうちにいつの間にか不幸を体験していると、人の不幸に気がつかないように鈍感になるのかもしれないという事。

まあ、あれだ。

日本国内で
「昨日、ひったくりに遭ったんだよ!」
っていうと、
「まあそれはかわいそうに…」
ということになる。

ただ、リアル北斗の拳といわれたヨハネスブルグ(当時)の人にそれを話しても、
「いや、街を歩けば10分に1回くらい遭遇するし、それくらいフツーじゃん」
と言われるかもしれない。

ようするに、不幸自慢をしたければ相手を選ぶ必要があるということだ。