結局のところ、あれだけ楽しみにしていたプリティーリズムの第3期は切った。
第1話から徹頭徹尾あの演出にイラッときていたのだが、その原因が演出責任者が韓国人だったことが判明したことによって決定的なものとなる。
でだ。
あらためて俯瞰してわかったことがある。
それは・・・
プリティーリズムの第3期と韓国ドラマに共通するものがあるということだ。
プリティーリズムの第1期にはなく、第3期にはある、イラッとくるあの演出。
あれがどういうものか、言葉で説明するのは難しいのだが、あえて文章化を試みる。
何のひねりもないというより想像力が欠如したと言うべきレベルでテンプレそのままで、
しかもあえて懐古趣味に走ったのかと勘違いしたほどセンスが20年古い、
そういうものを非常におしつけがましく表現する演出、
・・・それがプリティーリズムの第3期だと言いたい。
第1期のオーロラドリームはそうではなかった。
マスコットキャラもちゃんと1匹づつキャラが異なっていたし、ペンギン先生も若干キモいが憎めないとってもいかしたキャラをしていたし、決してマスコットキャラをひたすらひたすら「かわいい!」「かわいい!」とだけ連呼することは決してなかった。
それが第3期にどう退化したかというのは見た人ならおわかりだろう。
でだ。
実はこれ、前に全く同じ感想を抱いたものがあることに気がついた。
それは、冬のソナタのことだ。
かつて再放送でやっていたのをチラ見したことがある。
なんでこんなもんが人気があるのかフシギに思ったから試しに見てみたというくらいのものだ。
だが。
見て後悔した。
見ていてひたすらひたすらイライラするばかりだったからだ。
見るに堪えないので1話そのまま全部見ることなく切った。
後味の悪い思いだけが残った。
なぜか?
なぜ見ていてイライラするのか当時わからなかった。
だが今ならわかる。
何のひねりもないというより想像力が欠如したと言うべきレベルでテンプレそのままで、しかもあえて懐古趣味に走ったのかと勘違いするほどセンスが20年古い、そういうものを非常におしつけがましく表現する演出だ。
ほら、プリティーリズムの第3期・レインボーライブの感想と全く同じではないか!
儒教思想だか何だか知らんが、
「我々がラブリンはかわいいものだとしたのだから、視聴者のあなたもかわいいものだとして見なさい。それが正しい解釈です」
みたいに言われている気がするほどのおしつけがましさだった、それは。
たぶんこういうのを好んで受け入れる人も中にはいよう。
たとえばCMで
「Priceless お金で買えない価値がある」
などとやっていたら、それがすーっとアタマに入ってきて、ソックリそのまま自分の価値判断として定着してしまうような人。
これは、かつてスィーツ(笑)などと言われていた人たちのことであり、
かつて民主党に投票して自民政権を打倒すればバラ色の未来が待っていると信じて疑わなかった人たちのことであり、
ようするに自分で判断せずに常に誰かが言ったことをうのみにして行動するタイプの人たちのことだ。
こういう人たちをメインターゲットにした番組を見ていると、とても後味が悪い。
どう後味が悪いかというと、
「ちょっと待て! 俺はそうは思わないぞ?」
と途中で思ってもその解釈が許されないものかのようにあつかわれるところにイラッとしてくるのだ。
「あなたたち有権者は民主党に投票すべきです! 民主党政権になればバラ色の未来が待っています! 自民党に投票する人は良心が狂っています!」
とでも言わんばかりのあのTV報道に当時若干イラッとしたのはわたしだけではないはずだ。
他にも、たとえば筑紫哲也のNEWS21などが典型だ。
筑紫哲也のNEWS21は、ヤツと違う考えの人を積極的に変人扱いする傾向の強い、お世辞にも上品とは言いがたい番組だった。
ここで筑紫哲也がどこぞの半島出身者だとかレッテル張りをする気はないが、どこぞの半島出身者よろしくかなり赤いほうに寄っていたのはたしかではある。
この際まあそれはいいとして。
こんな後味の悪さの残る作品は純日本製では主流ではない。
本来悪役であるシャア・アズナブルにカッコ良さを見出してもよい。
ラスボスであるギレンの演説に耳を傾け、スペースコロニー側の言い分にも一理あると頷いてもよい。
ヒーローは必ずしも悪に打ち勝つ絶対的な強さを誇る正義のヒーローである必要はなく、戦争や大人の事情にまきこまれた理不尽さをヒーローが感じてもよい。
多くはそういう解釈が許されるのが日本なのだ。
だが。
韓国人の作った作品はそうではない。
冬のソナタの気色の悪さはそれが原因だったのだ。
たぶん韓国でガンダムが作られたとすると・・・
シャア・アズナブルはザビ家にゴマすりをしつつ部下の前ではふんぞりかえる無能極まる悪徳司令官になりさがり、
ギレンは日本人で、領土侵略の野心のためだけにザビ家は戦争を起こしたことになっており、
ヒーローはスポーツマン風なさわやかさで嬉々として悪い日本人を殺す正義のヒーロー、
・・・そんな具合になっているはずだ。
これがガンダムたりえるか?
ありえない、そう思うだろう。
だが、そういうものこそが韓国ドラマの本質なのだ。
つまり、韓国人の感性というものはそういう硬直的なものなんだと今気がついたしだいである。
日帝残滓だとか文化侵略だとかぬかして法的に日本のコンテンツの輸入制限をかけているくせして、裏でコソコソ日本の作品ばかり見ている、そんな韓国だからこそ、若干日本の作品っぽいがセンスが20年古い上に想像力が欠如したテンプレそのままの作品、しかもイライラするほどにまで感性が押しつけがましいものばかりが出来上がるというわけだ。
靖国が絶対悪でなければならず、それ以外の解釈は許さない、そんなところも韓国人らしく、また冬のソナタらしいといま気がついた。
くだらん。
それが韓国の文化なのだと言われたとしても、単なる劣化コピーを前にして吐き気がするだけだ。
わざわざこういうのを好んで見ている人も世の中にはいるらしいが、ほんの少しもわたしはそれを共感できないだろう。
追伸:
プリティーリズムをひたすらけなしてしまった恰好だが、プリティーリズムが嫌いというわけではない。
プリティーリズムの第1期はすごく楽しめたし、当blogにもその楽しんで視聴した痕跡をいくつも残している。
第2期は1秒も見てないので知らん。
ただしヒロインが韓国人というガッカリ作品だったことだけは忘れていない。
第3期はアレではあるが、キャラは立ってるし、ダンスのCGはなかなかいいし、何もかも全然ダメだと言いたいわけではない。
第3期は演出だけが例外的にダメで、そのせいで視聴に耐えないから切ったほどなのだと再度言っておく。
第1話から徹頭徹尾あの演出にイラッときていたのだが、その原因が演出責任者が韓国人だったことが判明したことによって決定的なものとなる。
でだ。
あらためて俯瞰してわかったことがある。
それは・・・
プリティーリズムの第3期と韓国ドラマに共通するものがあるということだ。
プリティーリズムの第1期にはなく、第3期にはある、イラッとくるあの演出。
あれがどういうものか、言葉で説明するのは難しいのだが、あえて文章化を試みる。
何のひねりもないというより想像力が欠如したと言うべきレベルでテンプレそのままで、
しかもあえて懐古趣味に走ったのかと勘違いしたほどセンスが20年古い、
そういうものを非常におしつけがましく表現する演出、
・・・それがプリティーリズムの第3期だと言いたい。
第1期のオーロラドリームはそうではなかった。
マスコットキャラもちゃんと1匹づつキャラが異なっていたし、ペンギン先生も若干キモいが憎めないとってもいかしたキャラをしていたし、決してマスコットキャラをひたすらひたすら「かわいい!」「かわいい!」とだけ連呼することは決してなかった。
それが第3期にどう退化したかというのは見た人ならおわかりだろう。
でだ。
実はこれ、前に全く同じ感想を抱いたものがあることに気がついた。
それは、冬のソナタのことだ。
かつて再放送でやっていたのをチラ見したことがある。
なんでこんなもんが人気があるのかフシギに思ったから試しに見てみたというくらいのものだ。
だが。
見て後悔した。
見ていてひたすらひたすらイライラするばかりだったからだ。
見るに堪えないので1話そのまま全部見ることなく切った。
後味の悪い思いだけが残った。
なぜか?
なぜ見ていてイライラするのか当時わからなかった。
だが今ならわかる。
何のひねりもないというより想像力が欠如したと言うべきレベルでテンプレそのままで、しかもあえて懐古趣味に走ったのかと勘違いするほどセンスが20年古い、そういうものを非常におしつけがましく表現する演出だ。
ほら、プリティーリズムの第3期・レインボーライブの感想と全く同じではないか!
儒教思想だか何だか知らんが、
「我々がラブリンはかわいいものだとしたのだから、視聴者のあなたもかわいいものだとして見なさい。それが正しい解釈です」
みたいに言われている気がするほどのおしつけがましさだった、それは。
たぶんこういうのを好んで受け入れる人も中にはいよう。
たとえばCMで
「Priceless お金で買えない価値がある」
などとやっていたら、それがすーっとアタマに入ってきて、ソックリそのまま自分の価値判断として定着してしまうような人。
これは、かつてスィーツ(笑)などと言われていた人たちのことであり、
かつて民主党に投票して自民政権を打倒すればバラ色の未来が待っていると信じて疑わなかった人たちのことであり、
ようするに自分で判断せずに常に誰かが言ったことをうのみにして行動するタイプの人たちのことだ。
こういう人たちをメインターゲットにした番組を見ていると、とても後味が悪い。
どう後味が悪いかというと、
「ちょっと待て! 俺はそうは思わないぞ?」
と途中で思ってもその解釈が許されないものかのようにあつかわれるところにイラッとしてくるのだ。
「あなたたち有権者は民主党に投票すべきです! 民主党政権になればバラ色の未来が待っています! 自民党に投票する人は良心が狂っています!」
とでも言わんばかりのあのTV報道に当時若干イラッとしたのはわたしだけではないはずだ。
他にも、たとえば筑紫哲也のNEWS21などが典型だ。
筑紫哲也のNEWS21は、ヤツと違う考えの人を積極的に変人扱いする傾向の強い、お世辞にも上品とは言いがたい番組だった。
ここで筑紫哲也がどこぞの半島出身者だとかレッテル張りをする気はないが、どこぞの半島出身者よろしくかなり赤いほうに寄っていたのはたしかではある。
この際まあそれはいいとして。
こんな後味の悪さの残る作品は純日本製では主流ではない。
本来悪役であるシャア・アズナブルにカッコ良さを見出してもよい。
ラスボスであるギレンの演説に耳を傾け、スペースコロニー側の言い分にも一理あると頷いてもよい。
ヒーローは必ずしも悪に打ち勝つ絶対的な強さを誇る正義のヒーローである必要はなく、戦争や大人の事情にまきこまれた理不尽さをヒーローが感じてもよい。
多くはそういう解釈が許されるのが日本なのだ。
だが。
韓国人の作った作品はそうではない。
冬のソナタの気色の悪さはそれが原因だったのだ。
たぶん韓国でガンダムが作られたとすると・・・
シャア・アズナブルはザビ家にゴマすりをしつつ部下の前ではふんぞりかえる無能極まる悪徳司令官になりさがり、
ギレンは日本人で、領土侵略の野心のためだけにザビ家は戦争を起こしたことになっており、
ヒーローはスポーツマン風なさわやかさで嬉々として悪い日本人を殺す正義のヒーロー、
・・・そんな具合になっているはずだ。
これがガンダムたりえるか?
ありえない、そう思うだろう。
だが、そういうものこそが韓国ドラマの本質なのだ。
つまり、韓国人の感性というものはそういう硬直的なものなんだと今気がついたしだいである。
日帝残滓だとか文化侵略だとかぬかして法的に日本のコンテンツの輸入制限をかけているくせして、裏でコソコソ日本の作品ばかり見ている、そんな韓国だからこそ、若干日本の作品っぽいがセンスが20年古い上に想像力が欠如したテンプレそのままの作品、しかもイライラするほどにまで感性が押しつけがましいものばかりが出来上がるというわけだ。
靖国が絶対悪でなければならず、それ以外の解釈は許さない、そんなところも韓国人らしく、また冬のソナタらしいといま気がついた。
くだらん。
それが韓国の文化なのだと言われたとしても、単なる劣化コピーを前にして吐き気がするだけだ。
わざわざこういうのを好んで見ている人も世の中にはいるらしいが、ほんの少しもわたしはそれを共感できないだろう。
追伸:
プリティーリズムをひたすらけなしてしまった恰好だが、プリティーリズムが嫌いというわけではない。
プリティーリズムの第1期はすごく楽しめたし、当blogにもその楽しんで視聴した痕跡をいくつも残している。
第2期は1秒も見てないので知らん。
ただしヒロインが韓国人というガッカリ作品だったことだけは忘れていない。
第3期はアレではあるが、キャラは立ってるし、ダンスのCGはなかなかいいし、何もかも全然ダメだと言いたいわけではない。
第3期は演出だけが例外的にダメで、そのせいで視聴に耐えないから切ったほどなのだと再度言っておく。