教団「二次元愛」

リアルワールドに見切りをつけ、二次元に生きる男の生き様 (ニコニコでは「てとろでP」)

モノ書きとは人生の切り売りなのか

2013-05-27 00:03:08 | オタネタ全般
かつて小説家は言った。
「モノ書きとは、自分の人生の不幸を切って売る商売だ」
と。

なんとなく意味するところはわからんでもない。

モノを書く行為は、必ずしも自分が体験したことだけしか書けないわけではない。
ストーリーを創造する行為が伴わなければ小説は完成しない。
だが、自分の歩んだ人生が自分の想像力の源泉になるということだけは間違いない。



では。
その最たる例を挙げられるだろうか?

これはけっこう難しい。
もしわたしのノベマスを見て
「どう見てもこいつ、てとろでP本人だろwww」
と言ってくれるのであれば至極光栄なことではあるけれど。

しかし!

最近その最たる例を見つけた。
「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」だ。



この主人公、特定の事象に関する感性の鋭さがハンパじゃない。
常人では到底そこまで到達するはずがないほどにまで鋭さを発揮する。
あえて言えば、ダメラインハルト、みたいなもんだろか。

たぶん作者もそれに近いものを見てきたのだろう。
あらゆるものを動員したとしても、想像だけでそこに到達するのは無理だと思えてしまうからだ。

今にして思えば「ベン・トー」もそうだった。
お金がない大学時代を過ごした者でなければ知る由もないスーパーでの静かなる牽制、その戦いをノベライズしたものこそが「ベン・トー」だからだ。



自分こそがこの世で最も不幸だと思うヤツは、ペンを手にとってみるといい。
もしその自称するものが真実であるとすれば、この世で最も共感を呼ぶ小説が完成するはずなのだから。