教団「二次元愛」

リアルワールドに見切りをつけ、二次元に生きる男の生き様 (ニコニコでは「てとろでP」)

韓国のキチガイ度を理解していない日韓議連

2015-05-23 23:08:26 | 経済/経済/社会
ソウルで日韓・韓日議連が合同幹事会 日本側は政治問題化しないよう理解求める
http://www.sankei.com/world/news/150511/wor1505110041-n1.html



産業革命遺産で糾弾決議=徴用犠牲者を愚弄―韓国国会
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150512-00000106-jij-kr



河村日韓議連幹事長「これはどうなんだという思い」 韓国の安倍首相糾弾決議を批判
http://www.sankei.com/politics/news/150514/plt1505140026-n1.html

>  日韓議連幹事長を務める自民党の河村建夫衆院予算委員長は14日、二階派の派閥総会で、安倍晋三首相が米議会で行った演説に対して韓国国会が糾弾する決議を全会一致で採択したことについて「これはどうなんだという思いを抱かざるを得ない。議連としてもそれなりの対応をしなければならない」と述べ、韓国側の姿勢を批判した。






1個目の引用と2個目の引用のあいだでは1日しかたっていない。

これを見てどう思われるか?

「日本人も韓国人の心情をくんであげてもいいんじゃないの?」
と思った人。
あなたは韓国ウォッチャーとしては100点満点中0点。
韓国人が日本人とおなじくらい善良だという無邪気な仮定のまま今まで生きてきて実害がなかったことに安堵しなさい。

「わけがわからん。いつものことだが何考えてんだこいつら・・・」
と思った人。
あなたは韓国ウォッチャーとしては100点満点中50点。
うち50点は「いつものことだが」ということに気がついているところに加点。
この現象を説明できるように日々観察を続ければいずれ及第点に達するでしょう。

では正解は何なのか?

ちょっと長くなるが解説したい。



韓国人はキチガイである。
悪党ではなくキチガイである。

対して、中国人は悪党である。
キチガイではなく悪党である。

先に引用した現状はこれを説明するためにはじつに良い材料である。

この違いは何か?

反日を善意に基づいてやっているかどうかの違いである。



まず説明しやすい中国人のほうからはじめる。

中国人は、自分の得た特権的立場をフル活用して傍若無人に儲けようとする。
たとえば党の幹部が賄賂をうけとって誰かに便宜をはかってやり、かわりに人畜無害な一般人からは銭をむしりとる。

彼らにいわせれば
「まわりの全員が俺と同じくらい悪党なのだから俺だけ生真面目に仕事するなんてありえんわwww」
ということだ。

この現象について、本人は後ろめたいことをやっているのを知っててやっているという点に注意されたし。

中国人は悪党キチガイではなく悪党であるという先の説明の意味をご理解いただけただろうか。

反日もこれと同じツジツマであり、音頭とりの誰かにとって都合がいいからやっているのが中国の反日である。



つぎに韓国人。

韓国は儒教の国であり、目上の人間が偉くて絶対である。

ここまでは一般人でも知るところである。

最近は反日にまでこれを適用してきた。
つまり
「韓国は日本よりも目上の人間であり偉いのだ」
というのが韓国人なのだ。

これにはじめて気がついたのは恐らく鈴置洋孝氏であろう。

それまでのわたしは、
韓国人が言うには韓国は日本の兄の国であり、
儒教的には兄は弟より偉いから、
韓国が日本の兄という根拠は韓国では「韓国が日本に教えてあげた」ということになっているから、
というロジックなのだとばかり思っていた。

しかし鈴置氏の指摘とその後の観察結果から、それだけではないと気がついた。

ではどうなのか?

韓国人からすれば
「韓国は日本より道徳的に正しいのだから、俺たちが日本を正しい方向へ導いてやる」
となっているのだ。

これの意味がわかるかい?

鈴置氏の指摘を読んでも当時は半分しかわからなかった。
しかし今ならこれの説明ができる。

韓国人は先の政治問題化しないよう理解求められた翌日の糾弾決議においては
「不道徳な日本を糾弾することで日本を正しい方向へ導いてやる手伝いを自分たちはしているのであり、いまやっていることは道徳的に正しいことをしているのだ」
という感覚でやったのだ。

本件、日本人からすれば
「韓国人は右手でにこやかに握手しながら次の瞬間には左手で殴りかかってきた。なんてふざけたやつらなんだ」
と感じる。

しかし韓国人からすれば
「日本人ちょっとそこへ座りなさい。そういうことをしてはいけませんよ」
と言っているだけとしか考えない。
だから日本がそれに対して反発したとしても
「は? 何で俺たちが責められるわけ?」
と本気で感じるし、
アメリカなど第三国が日本の肩をもつ発言をすると
「日本が金で買収しやがったに違いない! 日本はなんて汚い国なんだ!」
と本気で感じる。

かつて韓国では反日は娯楽であった。
しかし今は反日は宗教と化した。
反日は人の生きる道として正しい行為なのだと本気で思って行動しているキチガイが韓国人である。

韓国人は悪党ではなくキチガイであるといった先の意味をご理解いただけただろうか?



中国人の中には善人も悪人もいる。
韓国人の中には善人も悪人もいる。
しかし、善人のように見える韓国人でも道徳観の狂った反日キチガイである。

だから韓国人がにこやかに話しかけてきて親切にされたからといって
「韓国人の中にも良い人がいるんだなー」
などと思ってはいけない。
「ウリたちがこんなに親切にしてあげたんだから、チョッパリはウリたちに慰安婦のことで謝ってくれるよね?」
とある日突然言い出す。
これが善人でもキチガイの韓国人の習性である。

日本人にはこの感覚は理解できない。
しかし隣国である以上はその韓国人の狂った道徳観からおこす次の行動をある程度予測できなければ困る。






本件をもうちょっと具体的な例になおして説明する。

かつて当blogで
「人類が核戦争で滅んで日本人と韓国人の2人だけになったらどうなる?」
と書いたことがある。

そのときは
「韓国人は地球最後の日まで反日をやめないだろう」
と答えた。

しかし今は解釈が異なる。

ではどうなのか?



はじめは
「せっかく人類最後の2人だから仲良くするニダ」
と言いよってくる。

そして
「いっしょに暮らすのだから持ち物は共同管理するニダ」
などと一瞬で懐深く侵入を試みる。

しかし。
食料がいつまで持つのかわからない状況下にもかかわらず、コソコソしはじめたかと思えばこちらの虎の子の缶詰を勝手に食べ始めている。

さすがに日本人でもブチ切れて追い出す。

次の日になると
「お腹がすいて死にそうニダ」
と言い寄ってくる。
そして自分がどれだけひもじい思いをしたかをウソ泣きしながら延々と語りはじめる。

韓国ウォッチャーでない日本人なら、これで反省したのだろうと勘違いして許してしまう。

韓国人はこちらの与えた食糧で腹がふくれると、こんどは
「人類滅亡は日本のせいニダ! 我が韓国は勇敢にもそれに立ち向かったニダ! でもチョッパリの汚い陰謀にひっかかってやられてしまったニダ!」
とファンタジー物語を語りはじめる。

日本人はだんだんうっとうしくなって相手にしなくなる。
韓国人は無視されるのがいちばんこたえるので、さらにうっとうしく物語を語りつづけ、時間を浪費する。

夜になり寝るが、朝になったら全食糧を入れたリュックがない。
ついでに韓国人もいない。

探し回った末、リュックを持って歩いている韓国人を発見。

日本人がマジギレして問い詰めると、
「夜のうちに猿が持って行ったニダ」
「身長1メートルもない猿が40kgあるリュックを持っていったのか?」
「間違えたニダ 猿じゃなくて熊だったニダ」
「なんで熊と猿を見間違えるんだよ」
「遠目だったからよくわからなかったニダ」
「じゃあその熊からどうやってリュックを取り返したんだよ」
「リュックに入っていた果物ナイフで戦ったニダ」
「リュックを取り返す前にどうやって果物ナイフを取り出せるわけ?」
「実はリュックはもう1つあったニダ」
「じゃあそのリュックをもう1つ出してみろ」
「途中で置いてきたニダ」
「そんな大事なものをなんで置いてきたんだ?」
「大事だからしかるべきところへ保管したニダ」
「じゃあそこへ戻ろう」
「遠くて無理ニダ」
「遠くても問題ないからそこまで戻るぞ」
「どこにあったか忘れたニダ」
「おまえさっき大事だからしかるべきところへ保管したって言ったよな? それから熊が持って行ったんなら爪痕のひとつもついてるだろうから見せろ」
「・・・」
「おいどうした? ほらよこせよ」
「・・・ウリナラに対する愛はないのかーーー!!!」
と、ウソでウソを塗り固めまくったすえ収拾がつかなくなって火病をおこす。

さらに。
もし運よく人類軍みたいなのに救助されたとすると
「ウリが持っていたリュックをチョッパリに奪われて酷い目にあったニダ」
と涙ながらに平気でウソをつくところまでわたしには見える。



こんなときどうしたらいいものか?

ヘタすると
「はじめの時点で可及的速やかに殺しなさい。
でないとあなたの身の安全を守れません」
と答えるのがあながち的外れでもないとすら思えてくる。