こんにちは。
今回も5月の里帰り記の続きです。
(…まだ初日)
2016年5月10日 朝
成田まで迎えに来て下さった亡父の友人、Mr.T氏の運転で
私のブロ友さん二人との待ち合わせ場所に向かう途中
時間がまだ早かったので 、T氏のお勧めで
『船の科学館』にご案内いただきました。
ここ、私は初めて来ました!
本館は休館中なので、現在も公開されている
初代南極観測船『宗谷』を見学することにしました。
“不可能を可能にする強運と奇跡の船”
サイトから:
『“宗谷”は昭和13年耐氷型貨物船として建造され、太平洋戦争を経験。
その後は引揚船、灯台補給船となり、昭和31年11月からは
日本初の南極観測船として昭和37年4月まで、
6次にわたる南極観測で活躍しました。
その後昭和53年退役するまで海上保安庁の巡視船として活躍。
昭和54年5月から、船の科学館前に係留・展示されています。』
もう少し、ネットで調べてみました。
(こちらの記事も参考にさせていただきました。)
終戦後間もない昭和30年、日本は「国際地球観測年」の南極観測に参加することを決め
国際的な地位を認めてもらおうと考えたようです。
「宗谷」はその時、既に建造後18年も経っていましたが、国にまだお金が少なかった時代に
できるだけの改装をして昭和31年11月、南極へ向かったそうです。
小さな宗谷は馬力も弱く、南極へ到達することはとても不可能だと思われながらも
難関を乗り越え、翌1月、無事に南極にたどり着いたのでした。
不可能を可能にした宗谷は
『奇跡の船』と呼ばれるようになったそうです。
宗谷は誕生から40年間もお仕事をしていたのですね
現在、船そのものは老朽化してきていますが(78年前建造ですものね)
当時は国民の希望を背負って、はるか南極へと旅立ったのでしょう
↓宗谷ががんばっていた頃のことを私はよく知らないのですが
船内の狭い通路を通りながら各部屋を覗けば、タイムスリップをしたような感覚になります。
にゃんこのぬいぐるみを背負っている隊員さんのマネキンがあり
なぜニャンコと思ってあとで調べたら
南極まで乗船した『タケシ』くんという三毛ニャンがいたそうです
(こちらの記事を拝見しました。)
宗谷と言えばタロとジロ、がんばったネー
↓ラジオ局のお仕事をしていたRさんが通信室を念入りに眺めていました。
これで南極まで行っていたのですね、すごいな。
↓ 観測記録に使われていたカメラ。
宗谷の近くに咲いていたブラシノキ
ここでオーストラリア原産のお花に会えるなんて、不思議なものです
かつての英雄『宗谷』がいつまでも保存されることを願いながら
船の科学館を後にしました。
ご訪問ありがとうございました。
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