こんばんは。
昨日はあの東日本大震災から9年目の日...。
娘のA美が送ってきた
岩手日報のサイト(→「3月11日を大切な人を想う日に」)のページを読みながら泣き
地震が発生した時間に
日本と、東北に思いを馳せながら祈りました。
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今回は昨年11月の里帰り旅行の間に案内してもらった
陸前高田 「高田松原津波復興祈念公園」の写真を少しアップします。
(娘のA美&Y君夫婦、Y君ママ、私の高校同期の友人4人、そして私たち夫婦で
一泊の旅に出かけた時の思い出。
時間軸としてはいつぞやの「浄土ヶ浜」へ行く前になります。)
2019年11月9日
東日本大震災津波伝承館前の澄んだ水盤に映り込む空と木々を眺め
その先をまっすぐ進んで行くと...
↓...高さ12.5mの防潮堤が現れます。
9年前のニュースの映像を思い出しながら
階段を一段、一段、ゆっくり登りました。
↓ 階段を登りきった所から海を眺めると
心の奥底からとても強い感情がこみ上げて来て
しばし言葉が出ず、涙をこらえるのに必死でした。
ここにはかつて「高田松原」と呼ばれる美しい松原があったそうです。
私はこの海岸へきたのは初めてで、その昔の松原の姿は見たことがありませんでした。
クロマツとアカマツ、合計7万本もの松林は防潮林として
たびたび来た津波から市街地を守ってきたそうです。
けれど2011年の東日本大震災の時は
10m以上(17mとニュースで聞いた覚えもあり)の大津波に
ほぼ全ての松がなぎ倒されてしまいました。
現在、その松原を再生しようとたくさんの苗木が植えられていました
いつの日かきっと、ここに再び育った松林をまた多くの人々が愛でてくれることでしょう。
↓ 次の場所へ行こうと振り返ってみたら
一緒に旅に来た友人たちはY君ママと先に歩いて行ってました。
一帯は見渡す限り、まだまだ工事中です。
↓ 『奇跡の一本松』
津波に耐えて一本、残ったこの松の木は復興のシンボルとして
「奇跡の一本松」や「希望の松」などと呼ばれています。
元々の木そのものは震災後まもなく枯れてしまったのですが
ガラス繊維強化プラスチックや合成樹脂などを用いて、奇跡の木は
その姿のまま保存されることになったそうです。
↓ 津波で破壊されたユースホステルの建物も保存されていました。
震災当時はユースホステルには人がいなかったそうです。
一本松はこの建物の後ろ側にあり、これのおかげで松の木が残れたのかもしれないとのことです。
ずっと、テレビのニュースで見るだけだった私ですが
東日本大震災のスケールの大きさと恐ろしさを身にしみて感じるとともに
被災地の復興をこれからも心から応援させていただこうと決めました。
“天災は忘れた頃にやって来る”と申します。
海外暮らしの人間ではありますが、東北を、陸前高田をもっと多くの人々に訪れていただき
この震災についての記憶を風化させないためにも、後世へ
色々な方々の体験や思いを伝え、繋いでいけたらいいなと思います。
長々と失礼いたしました。
ご訪問ありがとうございました。
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おまけ:
今日はついにWHOから「新型コロナはパンデミックと見なせる」との宣言が出てしまいましたね
ここオーストラリアでも感染者が増えつつあります(12日現在、126名、うち西オーストラリアは9名)。
今日はあの大俳優のトム・ハンクス夫妻が感染し
ゴールドコーストの病院に入院中というニュースに驚きました。
早くお元気になってください。
それにしても世界中、大変なことに...
コロナは続くよどこまでも。
続くな〜〜っ!