おはようございます。
早いものでもう19日ですね〜。
今回は丸ごとガッツリ10日間、更新が空いてしまいました。
今日は例の空倶楽部の活動に参加します。
『空倶楽部』は「9」が付く日に皆さんで
いろいろな空の写真をアップして楽しみませんかという集まりです。
詳細はかず某さん、chacha◯さんまでどうぞ。
2021年9月16日
時折強い雨が降る寒い1日でした。
出かけた時には大きな雲がでんっと居座っておりました。
この日はオットRさんの元お仕事場(放送局)の大先輩だったという方の葬儀に参列させていただきました。
私自身は故人と面識がありませんでしたが、その方の息子さんには
Rさん仲間の集まりの時に会ったりするので、お悔やみの気持ちを伝えたくて伺いました。
...というわけで今日は空倶楽部兼お葬式の話^^;
私がオーストラリアのお葬式に参列するのはこれで7回目ぐらいだと思います。
葬儀場のことを英語だとFuneral Homeとか、少々古い言い方でFuneral Parlorとか呼びます。
(パーラーというと何か美味しそうなアイスクリームを出してくれるお店を想像しますけど。)
日本のお葬式の時のように香典をお渡しする習慣はありません。
基本的に、真っ黒けっけの喪服もあまり着ないです。
(でも、例えばイタリア系の葬儀だと皆さん真っ黒な喪服を着たりするように
お国柄や宗教などによって異なりますが。)
この日の葬儀でもご遺族や親族の皆様は男性はスーツ、女性は濃い色のワンピースなどをお召しになられていましたが
なんなら真っ赤なジャケットをお召しになっていた年配の女性もいらっしゃいました。
ただでさえ悲しいのだから、そんなに暗くしなくても、ということなのかもしれません。
男性の一般の参列者の方々の中には
普通のセーター姿やフリースのジャケット姿の方などいらっしゃいました。
ま、寒かったしね。
私は一応、Rさんに
「大先輩のお葬式でしょ、何着ていけば良いのかな」と聞いたのですが、返事は
「あったかいもの」。。。。
...っということだったので、とりあえず喪服喪服しない程度に黒と紺でまとめて
『あったかいもの』を着ていきました
建物の中には広い待合室があって、式が行われる部屋の前方の壁に大きな十字架が掲げられていました。
その前に故人が眠る棺が安置されていました。
故人と同じ放送局の女性アナウンサーが司会を担当、故人の生涯を紹介し
お孫娘さん(30代ぐらいかな)が大好きだったおじいさまの思い出話をされました。
以前、参列した別の方の葬儀では
(印刷されたしおりを見ながら)聖書の言葉でお祈りしたり
聖歌斉唱を行ったりしましたが
この日の葬儀は無宗教タイプだったようで、聖書の言葉や聖歌はありませんでした。
大きめのテレビ画面で故人のお写真のスライドショーが上映された時には
隣のRさんは大先輩のことを思い出していたのか、涙ぐんでおりました。
最後に、参列者一人一人が
(司会の方に渡される)ローズマリーの小枝を持って棺へ歩いて行き、最後のお別れをし棺に置いて終わりました。
葬儀にはRさんの元仕事仲間も集まっていて、みんなが亡くなられた大先輩の思い出話をして
Rさんも、心に残っているエピソードを話していました。
大先輩の方は常に時間に正確で、約束の30分前には到着するような真面目な方だったようです。
そのように時間に忠実な方がある日、シフトの時間から大幅に遅れてなかなか来なかったのだとか。
当時は携帯電話も何もなく、どうしたのだろうと思っていたら
大先輩はようやく仕事場にダダダっと駆け込んできて、Rさんがど、どうしたんですかっと聞いたら
「すまんすまん、遅くなって申し訳ない! 途中の道で馬を跳ねてしまった!」とゼーハーしながら仰ったとか。
どうやら車で家を出た直後、道の角から
ぱっぱかぱっぱか飛び出してきたお馬さんとぶつかって車が壊れてしまい
ご本人は慌ててタクシーか何かですっ飛んできたらしいです。
幸い、お馬さんは軽症で済んだみたいです^^;
そんな逸話を話しながらまた涙ぐむRさんなのでした。
大先輩様は91歳でこの世をさりました。
皆さんのお話を聞いているうちに、大先輩様に一度お会いしてみたかったなと感じて
『オットがお世話になりました、ありがとうございました』と、心の中で手を合わせた私なのでした。
本日はお国が変わればお葬式も違う、そんなことを書いてみました。
それではまた。
ご訪問ありがとうございました。
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