先日、東京大学の本郷キャンパスにある三四郎池を見た。
正式名称は、育徳園心字池という。
夏目漱石が著書「三四郎」の舞台としたところから、三四郎池と呼ばれるようになった。
そう思って眺めると、何やら学生時代が懐かしい。
さて、漱石といえば、「草枕」という著作物の中に
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山路(やまみち)を登りながら、こう考えた。
知に働けば角が立つ。
情に棹させば流される。
意地を通せば窮屈だ。
とかくに人の世は住みにくい。
住みにくさが高じると、安いところへ引き越したくなる。
どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生まれて、画ができる。
人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。
やはり向こう三軒両隣にちらちらするただの人である。
ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。
あれば人でなしの国へ行くばかりだ。
人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
(続く)
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という出だしがある。
いつ読んでも名文だと思う。
何のことはない、そこかしこにいる人間が作った世の中だが、ルールやしきたりで雁字搦めとなってとても窮屈だ、と言っている。
そう、だから、「とかくこの世は住みにくい」。
この「とかく」は、「兎角」と書く。
なんと、ウサギの角(つの)だ。
ウサギに角はないのだから、ありえないと言う意味をもつ。
つまり、「ありえない」くらい住みにくいのだ。
こう思って調べると、
「亀毛兎角(きもうとかく)」という4文字熟語に行き着く。
亀に毛は生えていないしウサギに角はないことから、この世にあり得ないもの、実在するはずがない物事のたとえだということだ。
もとは戦争の起こる兆しをいった。
空海も引用しているらしいので、古い仏教の教えかもしれない。
安倍さんの話を聞いていると、なんだかこの「亀毛(グエマオ)」を思い出してしまう。
もっとして欲しいことがたくさんあるのだが、どうも彼は亀毛が大好きらしい。
そのために強引な憲法解釈までしてしまうのは、いかがなものか。
NHK大河ドラマの「花燃ゆ」が大不評で、なんと毛利家の大奥編に変更になったらしい。
これはマスコミの事情通からの情報だが、安倍さんの意向を受けて、NHK会長の籾井勝人さんが「花燃ゆ」の製作をごり押ししたらしい。
問題は、吉田松陰の妹の記録がほとんどなく、かなり無茶な創作をしているようだ。
私の知人にまで、杉文(松蔭の妹)についての問い合わせがあったという。
結果として、史実を曲げる亀毛的な描写が多く、視聴率も10%をきるまでとなった。
そこで籾井勝人さんが怒り出して、大奥編の新企画がスタートしたと言うのが裏話だ。
さて、大奥で起死回生となればよいのだが、日本国民は不思議にこの手の亀毛的な話を嫌う。
史実に根ざした創作が好きなのだ。
嘘はいけないよな。