DALAI_KUMA

いかに楽しく人生を過ごすか、これが生きるうえで、もっとも大切なことです。ただし、人に迷惑をかけないこと。

2月16日(土)のつぶやき

2013-02-17 04:23:29 | 物語
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モンゴル紀行-4

2013-02-17 00:00:00 | ButsuButsu
西に向かうほどに砂地が増え、緑が少なくなる。

ネパールでもそうだが、モンゴルでも緑は日当たりが強くない北面に限られる。

南面は日射が強く蒸発が多くなるので、樹木は育たなくなる。

13時40分、ムルンを出発して約1時間、眼下には砂漠が広がってきた。

この辺も古くは西域の一部だったのだろうか。

砂の色まで変わってきた。

地面からムクムクと砂の塊が湧き出しているようだ。

砂の雲とでも言うのだろうか。

自然が作り出す奇妙な造形は、時として私たちの想像を超える。

砂漠の中を河が流れる。

まといつくように続く緑の草地に生命をつないできた営みが見える。

小さな川が数本、湖に流れ込んでいた。

小さな湖だが水の色は青い。

もうすぐウランゴンに着くようだ。

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モンゴル紀行-3

2013-02-16 10:44:39 | ButsuButsu
がたがたと機体を揺らしながら、ムルンに着陸した。

時刻は12時20分。

ここは、フブスグル湖へ行くときに起点となる町だ。

相も変わらず貧弱なトイレが迎えてくれた。

ハドバータルによると、20年も前から同じトイレなのだそうだ。

変わらないことも、モンゴルの特徴なのかもしれない。

12時50分、給油後、再び離陸する。

私の席の隣に、体の大きなおばちゃんが移動してきた。

ウランバートルから前方の席に座っていたが、窮屈でかわいそうな様子だった。

モンゴルおばちゃんと隣同士でウランゴンへ行くのも、旅情なのかもしれない。

ムルンから西へは、初めてたどる道である。

横に寝転がり始めたおばちゃんに席を譲り、前方に座っていた古田さんの隣へ移動した。

古田さんは、京都の「蔵」という高級料亭のオーナー兼シェフで、共にモンゴルへ来るのは3回目だった。

飛行機の窓際はキケンだという思想を持つ人物で、いうも通路側に座る。

私は窓際の席に腰を落ち着けて、景色の変化を楽しむことにした。

双発機に座る時には、なるべく後部の座席がよい。

前方だとプロペラの回転音がひどくうるさく、耳栓が必要なくらいだ。

飛行機が音速より遅いので、後方の音が追い越していくためである。

今の席は翼のすぐ後ろで半分しか視界がないが、それでも眼下に広がるモンゴルの台地が自然そのままに目に飛び込んでくる。

やがて雲の中に入った。

私たちは、ひたすら、モンゴル西方へ向かう。
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2月15日(金)のつぶやき

2013-02-16 04:19:54 | 物語
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モンゴル紀行-2

2013-02-15 09:48:16 | ButsuButsu
2008年8月13日

ウランバートルの空港を飛び立ったのは、日本を出発した日の翌日、8月13日午前10時50分だった。

航空運賃は一人589ドル、超過荷物は54kgで199800ツグルクだった。

乗り込んだのは、EZNISという小さな航空会社の小さな双発機だ。

37ある座席はほぼ満杯状態だったが、それでも7~8席は空席だった。

外国人と思われるのは我々だけで、他はモンゴルの人々である。

めったに観光客が行かないような地方に行くのだな、という実感がわく。

比較的穏やかに飛行機は西方へと飛び続けた。

空いていた最後尾の席に移動したブライアンと私は、誰に気兼ねするでもなく窓の外を眺めたり、本を読みふけったりしている。

今日は快晴といってもよいほどの天気で、眼下に広がるステップ状の草原は、いかにもモンゴルらしい景観を見せていた。

久しぶりのモンゴルである。

思えば1996年に初めて占部城太郎とフブスグル湖を訪れたのが、モンゴルの湖との最初のふれあいだった。

早いもので10年ほどの時間が流れ、その間に8回もこの地を踏むことができた。

湖沼の研究者であるということのほかに、若い時分に登山を志していたという経験が、心のどこかの血を騒がしているのかもしれない。

経由地であるムルンまであと少しのところで雲が出てきて、気流が乱れ始めた。
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2月14日(木)のつぶやき

2013-02-15 04:22:21 | 物語
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モンゴル紀行-1

2013-02-14 17:52:56 | ButsuButsu
2008年8月12日12時30分に、飛行機は関西空港を離陸した。

古田・ブライアン・私の三名は、同日17時30分(現地時間)にモンゴル国の首都ウランバートルに到着した。

通訳兼ガイドであるハドバータルの出迎えを受け、Tuushinホテルにチェックインしたのが17時30分だった。

宿泊費は、一人一泊7,000円だった。

これからこの四名で、モンゴルの西方、西アルタイ山脈へ向かう。

約10日間の旅の始まりだった。

古田は京都宝ヶ池にある「蔵」という料亭の店主で、こだわりの料理人である。

ブライアンは琵琶湖畔在住の芸術家で、曲面画法を独自に考案した風景画家である。

モンゴル語で「岩の英雄」という意味の名を持つハドバータルは、ツァガンンール出身のモンゴル人で、日本語とロシア語の達人である。

そして、私はといえば、30年も琵琶湖に張り付いて研究をしているしがない湖沼学者である。

この何とも不思議で奇妙な小旅行の話をしたいと思う。
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2月13日(水)のつぶやき

2013-02-14 04:19:31 | 物語
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琵琶湖の真珠

2013-02-13 10:37:36 | ButsuButsu
一昨年の冬、一人のアメリカ人が私を訪ねてきた。

ジャーナリストだという。

モンゴルに長くいたのだが、病気をしたので日本へ移動して来たらしい。

「外国人に琵琶湖を紹介したいのです。」と、彼女は静かに語り始めた。

アメリカに帰国した折に、母親に琵琶湖について何を知っているのかと尋ねた。

すると母親は、琵琶湖と言えば真珠だ、と答えたそうである。

私は思わず唸ってしまった。

日本人でさえ琵琶湖で真珠養殖がなされていたことを知らない人が増えてきている。

ましてや、海の向こうの国の普通の主婦が、琵琶湖の淡水真珠について知っていることに驚愕したのだ。

琵琶湖での真珠養殖の幕開けは、1930年までさかのぼる。

琵琶湖の固有種であるイケチョウガイを母貝として始まった淡水真珠の生産は、1980年には40億円を売り上げるまでに成長した。

ところが、1980年代後半から急激に生産量が減少した。

母貝が育たなくなったのである。

赤野井湾で真珠養殖に携わった人の話によると、母貝は途中まで順調に育つのだが、アオコが出始める季節になると急に成長が止まるのだという。

現在では、中国産のヒレイケチョウガイを用いた養殖がなされているが、往年の面影はない。

いったい琵琶湖で何が起こったのだろうか。

じつは1980年代後半というのが鍵となっている。
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2月12日(火)のつぶやき

2013-02-13 04:20:24 | 物語
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ネットワークの果てに

2013-02-12 11:06:04 | ButsuButsu
ふと考えてみると「あれっ」と思うことがある。

日常、何気なく生活をし自分では当然だと思っていることが、実は決して普遍的ではないことに気がつく。

昔、ネットワークを使った観測網を構成するために、最適なグループ分けについて考えたことがある。

わかりやすい事例を紹介しよう。

100人の生徒がいるクラスをグループに分ける。

先生と生徒がもっともコミュニケーションを取りやすいのは、10人ずつのグループである。

つまり、総数Nの平方根が最適の解を与える。

ここまではよいのだが、総数Nに上限はあるのか、という疑問がわいてきた。

それには別の制限が加わってくる。

通信にかかる時間は有限だから、総数にも上限が存在する。

そこでもう一つの疑問、

民主主義国家には上限人口があるのか。

仮に、衣食住が無制限に供給されるとして、民主的な国家運営は何人の国民を保持できるのか。

我々は有限な時間や空間に生きているので、すべてのシステムには最適な解が存在する。

そこで最後の質問だが、

現在の中国における政治システムが許容する最適な人口は何人か。

衣食住は十分に足りているという前提の話だが。
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2月11日(月)のつぶやき

2013-02-12 04:20:28 | 物語
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衣食足りて礼節を知る

2013-02-11 12:43:35 | ButsuButsu
もう30年程前のことである。

初めて中国を訪れた。

大西行雄・嘉田由紀子(今の滋賀県知事)・前田広人たちと一緒だった。

断片的な記憶の中に、古い時代の中国が浮かんでくる。

上海から南京へ、火車(汽車)に乗って移動した。

夕方の暗闇が迫り、車窓には点々と裸電球を灯した村が通り過ぎていく。

そこには昭和30年代の日本における田舎の情景があった。

道行く人たちの人民服が目立ち、路上は自転車の天下だった。

南京地理研究所で歓待を受けたのち、中山陵に案内された。

392の石段を登ると孫中山(孫文)の墓があった。

この国はすごいな、という印象をもった。

夜の歓迎会では生ぬるいビールときつい茅台酒で乾杯を繰り返した。

宿舎となった招待所でクリーニングに出した上着が皺だらけになって返ってきたと、嘉田さんがクレームをつけていた。

帰りの上海の路上で食べたアイスクリームは豆乳でできていた。

今となっては昔話だが、訪問者も歓迎者も緊張感を持って相対していた時代だった。

当時のほうが、衣食足りて礼節を知っていた気がする。

今は豊かにはなったが、足るを共に知らない時代なのかもしれない。
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2月10日(日)のつぶやき

2013-02-11 04:20:32 | 物語
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無駄に生きる

2013-02-10 07:30:24 | ButsuButsu
自分の人生を振り返ってみると、ずいぶん無駄に生きてきたと思う。

24歳で南米に行き29歳でイギリスに行き、登山とか海洋学とかに熱中し、今では琵琶湖という小さな湖の研究をしている。

最初からこの道を選んでいれば、もっとましな仕事が出来たのかもしれない。

しかし自分という人格はできなかったのだろう。

面白いことだが、若いときはなるべく無駄を省いて、直線的に生きてきた気がする。

山にはまっすぐに登ることを好んだ。

結果的にはずいぶんと回り道をし、いろいろな経験をしてしまった。

おかげで多くの人と出会うことも出来た。

年をとった今は、なるべく無駄に生きようと思っている。

本を読むのも、時間をかけてゆっくり読む。

一行読んでは、筆者の意図を考えてみる。

若いときの100倍時間をかけて、一冊の本を読了する。

目的地に向かうときも、なるべく遠回りをする。

時間と空間を思い切り贅沢に使った生活に明け暮れる。

不思議なことだが、この方が無駄が少ないことに気がついてきた。

人生の残り時間が少なくなって、初めて効率のよい生き方に気がつく。

無駄に生きるということ。

それが私たち人間の宿命なのかもしれない。
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