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ブロッカーのコンベヤーベルトをご存知だろうか。
ウォーレス・ブロッカーは、1931年11月29日にアメリカ合衆国シカゴに生まれ、コロンビア大学で学んだ。
1959年にコロンビア大学の助教授、1964年に教授となった。
コロンビア大学の Lamont 地質学観測所で働いた。
地球化学者である。
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海水中や深海底の物質に含まれる放射性炭素同位体を測定する技術を開発した。
自然の生物圏内では炭素14の存在比率がほぼ一定である。
動植物の内部における炭素14の存在比率は、死ぬまで変わらない。
しかし、死後は新しい炭素が補給されなくなるため存在比率が下る。
この性質と炭素14の半減期が5730年であることから年代測定が可能となる。
熱と塩分により決定される海水の密度による地球規模の海洋循環である熱塩循環について1980年代に発表したことで知られる。
この手法を用いると、海の水はグリーンランド沖で沈み込み、世界中を循環してメキシコ湾流に乗ってグリーンランドに戻る。
この水の流れを、コンベヤーベルトと呼んでいる。
海洋大循環理論という考えは、ブロッカーによって提唱された。
彼が、1975年にサイエンスという科学雑誌に発表した
「気候変動:人類は顕著な地球温暖化に直面しているのか」という論文の中で
初めて地球温暖化(Global warming)という表現を用いた。
先見の人である。
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急にモンゴルへ行く話が動き出した。
それでもなお、半信半疑だが。
モンゴルのような高山に生息するケンミジンコは赤い色をしている。
一般に酸素が少なくなるとヘモグロビンが増えて赤色になると言われているが、フブスグル湖の酸素は十分だ。
ひょっとしたら紫外線の影響かもしれない。
タホ湖でみたミジンコも赤かった。
赤いと言えば、わたしがかぶっている帽子も赤色だ。
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実は、モンゴル人の帽子と交換したのだ。
馬に乗る時には、こんな帽子が似合いそうだ。
この国に私の馬が2頭いた。
モンゴル人は、特別の友人に馬をプレゼントするのが好きだ。
青い布を首にかけてくれた、お祝いをしてくれる。
そんなわけで、いつのまにか2頭になってしまった。
ただ、かなり前のことだから、すでに死んだのかもしれない。
それに、普段は野外で放し飼いにしているので、どれが私の馬かわからない。
毎回違った馬を連れてくる気がする。
牧民たちは、実におおらかだ。
心を病んだ人は、ぜひモンゴルへ行くといい。
境界のない草原を走ると、とても気持ち良い。
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2011年10月20日、私はカナダの大学にいた。
ラバル大学に留学中の渡辺昌平さんの公聴会に出席するためだった。
6人の審査員の前で発表する昌平さんは緊張気味だった。
私も、海外の大学で学位を審査するのは初めてで、少し緊張していた。
主査は、友人であるビンセント教授だ。
ケベック州で最も古い大学であるラバル大学では、フランス語が必修だった。
しかし、昌平さんはあまり得意ではない。
そこで、アブストラクトだけフランス語で紹介し、あとは英語で発表した。
私はと言うと、もちろん、フランス語は分からない。
私が副査となったのは、彼の語学におけるマイナス面を正当化する意味もあったのかもしれない。
発表は、なかなかすばらしかった。
いつもそう思うのだが、学位の公聴会では、学生さんは自信満々で話をする。
居直っているのかもしれないが、緊張感と、晴れがましさが重なり合って、時にはほほえましくさえある。
発表が終わると、審査員が順に質問を行う。
主査が進行をするのは、日本の大学と同じだ。
私も当たりさわりのない質問をしたのだが、かれは少し戸惑っていたようだ。
発表が終わると、別室で審査が始まった。
ここでは、ラバル大学の副学長が議長を務めた。
学位論文の中身については問題なかったが、議長がこだわったのは、発表が英語だった点だ。
「大学の規則では、フランス語での発表が原則だ」
と彼は主張した。
他の審査員は、カナダ人が3名とアメリカ人、日本人だった。
アメリカの教授はもちろんフランス語はわからない。
日米共同で弁護する形となった。
しばらく議論をしてから、議長が折れて、学位を承認した。
なんだかセレモニー的だな、と思った。
全員が署名して、こうして昌平さんはめでたく学位をもらえることとなった。
後日談だが、数ヶ月してから、副学長から丁重なお詫びのメールが届いた。
申し訳なかったと率直にわびていた。
ビンセントが彼に、熊谷が怒っていたと吹き込んだらしい。
今、昌平さんはアメリカのタホ湖でポスドクをしている。
こうして日本の若者が海外で活躍することに、私は大きな期待を持っている。
因習にまみれた日本の閉鎖的な世界ではなく、広い社会で思い切り能力を発芽して欲しいものだ。
国際会議で顔を合わせる日が楽しみだ。
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久しぶりにモンゴルのHからメールが届いた。
母親の遺骨散布のために、山の湖へ行ってきたとのことだった。
ロシアとの国境に近い高い山々には氷河が残り、そこかしこに美しい湖と山野が広がる。
モンゴルの人は自然とのふれあいを大切にする。
特にダルハトの人々はそうだ。
「母を自然の一番美しくて穏やかな場所においてきました」
とHは結んでいた。
高原の風が香るような場所だ。
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馬に乗り、幾日かを駆けてたどり着いたのだろう。
この上ない贅沢な墓所だ。
きっと彼のお母さんも喜んでいるだろう。
いつの日か私も訪れてみたい。
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Hがウランバートルへ戻ると同時に、フブスグル湖へ行く話が動き出した。
まだまだ紆余曲折はあるのだろうが、時間は確実に進み、展開は急となる。
きわめてモンゴル的な話だ。
それもまた愉快。
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全くの自然にある湖を見ると、時々不思議な感覚を覚える。
川が湖をつなぎ、湖が川を涵養する。
血管のように張り巡らされた水の道。
効率からは縁遠いような形態だ。
粘菌が効率よくネットワークを形成するのとは異なる気がする。
デジタル化は効率の産物だが、大きな落とし穴もある。
わざわざ迂回路を作る自然のシステムは、サバイバルという意味ではよいシステムなのかもしれない。
鶏と卵の関係かもしれないが、効率だけで生きているのではない気がする。
リスクの分散も大切なのだろう。
グローバル化だけが声高に叫ばれる昨今、その裏に隠れている危険性にも注意しなければならない。
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昨日、奥田先生の米寿のお祝いが京都であった。
久しぶりにお会いする恩師は、いたって健康だった。
とてもではないが88歳には見えない。
50名ばかりの関係者が集まって、楽しいひと時を過ごすことができた。
金沢大学の柏谷先生も来ていた。
フブスグル湖では100mのボーリングができたそうだ。
これが100万年の歴史分だよ。
と言われて計算すると、堆積速度は一年間に0.1mmになる。
琵琶湖はその10倍は積もる。
年間降水量分の違いかな。
フブスグル湖の年間降水量が300mm、琵琶湖はその6倍くらいだ。
雨がたくさん降ると、多くの土砂が流入する。
タイガとサバンナに囲まれたフブスグル湖だとこの程度なのだろう。
琵琶湖の話になった。
やはり古琵琶湖と現琵琶湖の間に断絶があるということに落ち着いた。
失われた40万年の間に、この地で何が起こったのだろうか。
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我が国の公務員は非常に優秀である。
役所へ行って、部屋を覗くたびに思う。
みんな忙しそうに仕事をしている。
その優秀な公務員が、アベノミクスの足を引っ張っている。
優秀な人たちは、怠けることを知らない。
自分の有用性をアッピールするために、懸命に仕事をつくる。
文章の手直しから追加の資料、議員への答弁、などなど。
そしてドンドン時間が流れる。
規制緩和、大賛成。
規制があってもなくても、優秀な公務員の仕事は増える。
作業に追われる下流の人々は、怨嗟の悲鳴を上げる。
優秀な公務員から押し付けられる多量な事務仕事のために、本来しなければならない仕事ができない。
大きな矛盾だ。
仕事なんか適当にやればよいのに、と思っても、優秀な公務員は立ち止まらない。
今日できることは明日やればよいではないか。
といっても、聞く耳を持たない。
もっと、本質的に、今日しなければならないことがあるはずなのに。
苛立ち、声を張り上げながら、優秀な公務員たちは働く。
まるで自分たちがこの世界を牛耳っているかのように。
いつか、事務官僚の半分は不要だと言ったら、目をむかれた。
存在意義を確かに示すことが大事だが、しなくても良い仕事を作って弱い者いじめするのは止めようね。
たまには働くふりをしたってよいではないか。