続 写真は心

お気に入りの写真に気ままな独り言を書き込んでいるブログです。

筑波海軍航空隊記念館

2014-03-20 | お城・史跡

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百田尚樹氏の作品、映画「永遠の0」公開記念として
映画の中で撮影され、また実際に、此処から特攻の為にフィリピンや鹿児島県の鹿屋基地などに派遣され、出撃して逝った若き飛行士達の訓練を行った、この「筑波海軍航空隊」の司令部庁舎(現在は記念館)に昨日行ってきました。

上の写真は、一階の「笠間アンテナショップ(お土産屋さん)」の奥に飾ってあった幕です。

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ほぼ第二次大戦の当時のままに、外観も内部も保存されている貴重な建物です。

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玄関脇の立て看板

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今も残る「号令台」、この前には整列した兵士達が・・・
目に見えるようです。

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一階から二階へのがっちりした階段。
宮部が上官に殴られ、顏を腫らしてここを登ってきましたね!

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宮部が自分の後を託す事になる青年を見舞う病院。

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この廊下を歩いた人達の、その後の人生は・・・?
生き残った人達は、どう生きたのでしょう。

ところで、「永遠の0」を観に行った時の事です
映画が終わってロビーで耳に入った事が、
「宮部はどうしてあんなに生きて帰る事に執着していたのに、自ら特攻に志願したのかな?」と。
そう、確かに!

話し合っていた若い女性達にクーは、こう言いたかった
「自分だけが生きて帰って、本当に後の人生を幸せに送れるのか?自分が飛行を教えた若い未来のある若者達が、戦う事もなく、ただ死ぬためにだけ毎日飛び立っていくのを、宮部は正常な神経で眺めてはいられなくなってしまったのだ」と。
自分が逝く事で、その苦悩から逃れたかったのかもしれませんね!?

特攻とは、そんなにも異常な状況をつくりだしてしまう事だったのですね。

某有名な監督さんらが「作りごとで嘘八百」だのなんだのと仰せのようですが、そもそもこの作品は小説でありドキュメントそのものではないですよね!?
しかし、かなりの部分事実に即しているとクーは思っています。

戦争賛美などではなく、戦争の(特に特攻の)悲惨さを、もし自分があの当時に生まれてしまっていたら、どう生きたか、どう死んだかを、真剣に考えさせてくれる作品だと感動しています。あの時代は、そのまま今現在の時間に繋がっていて、けっして遠いただの昔話ではないのですから!


しかし

最近の世界情勢を見ていると、戦争は勿論してはいけませんが、自国だけが「平和主義です」と言ってみても、戦争にならない保障にはならない事を知らなければなりませんね!

うかうかしていると、我が国の島々も、どこぞの国にアッと言う間に併合されかねませんからね。

「備えあれば憂いなし」は、間違えありません!


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