早咲きの梅が咲いている天神さんの境内で、ひとごみの中に飄々と現れたジョウビタキ。
おっ、と思って広角レンズをつけていることに気付いて、もたもたとレンズを付け替えて、この一枚が撮れたところでタイムオーバー。どこやらへ飛び去ってしまった。
もう少し引いて、絞って撮れれば良かったが、なかなか。
それにしても、天気が良いともうずいぶん春めいて、良い具合だ。
おっ、と思って広角レンズをつけていることに気付いて、もたもたとレンズを付け替えて、この一枚が撮れたところでタイムオーバー。どこやらへ飛び去ってしまった。
もう少し引いて、絞って撮れれば良かったが、なかなか。
それにしても、天気が良いともうずいぶん春めいて、良い具合だ。
巨椋の田んぼから南の町を望遠で見る風景。
丘の起伏に沿って壁のように重なりあがる家並みが不思議な感じだ。
2本の足で歩くという交通手段は厳しいものがある地域性であるが、道を歩く人は案外にいる。何をしにどこへ行くのだろうか。
丘の起伏に沿って壁のように重なりあがる家並みが不思議な感じだ。
2本の足で歩くという交通手段は厳しいものがある地域性であるが、道を歩く人は案外にいる。何をしにどこへ行くのだろうか。
宇治は巨椋の田んぼの中のトラツグミ。
わかりにくいようで、ふと、目を引いた。
昼でも薄暗い森や草むらにいると、鵺、という感じであるが、こう明るいと、そうでもない。
目がまん丸でないのでこれまでとの写真と印象が違うのは、やはり明るくて目が細くなっているためだろう。
こちらに気付くとさっさと去っていってしまった。
わかりにくいようで、ふと、目を引いた。
昼でも薄暗い森や草むらにいると、鵺、という感じであるが、こう明るいと、そうでもない。
目がまん丸でないのでこれまでとの写真と印象が違うのは、やはり明るくて目が細くなっているためだろう。
こちらに気付くとさっさと去っていってしまった。
さほど気乗りしてもいないネタで長く引いているのは、よほどネタがないのだろうと思っていただいていればそれが正解だ。
で、坂本の町を見下ろす明智光秀の菩提寺・西教寺。
門と琵琶湖と近江富士、そして電線の風景。
この光加減の写真は、普通には空が真っ白、他は真っ黒になってしまう所、最近のダイナミックレンジうんにゃら機能で、そこそこ目で見る印象の絵に近づけられる。
もっとも、全自動では生垣やその奥の建物の屋根の影まで明るくなりすぎて、奇妙な絵になるので手動の調整はまだまだ不可欠だ。
門についている西教寺の紋。
何の鳥かは良くわからない。
このお寺は表から見るとずいぶんな山寺に見えるが、中は結構な造りで、なかなか良いお寺ではある。
で、坂本の町を見下ろす明智光秀の菩提寺・西教寺。
門と琵琶湖と近江富士、そして電線の風景。
この光加減の写真は、普通には空が真っ白、他は真っ黒になってしまう所、最近のダイナミックレンジうんにゃら機能で、そこそこ目で見る印象の絵に近づけられる。
もっとも、全自動では生垣やその奥の建物の屋根の影まで明るくなりすぎて、奇妙な絵になるので手動の調整はまだまだ不可欠だ。
門についている西教寺の紋。
何の鳥かは良くわからない。
このお寺は表から見るとずいぶんな山寺に見えるが、中は結構な造りで、なかなか良いお寺ではある。
地蔵菩薩といえば奈良の白毫寺のが美しくて良かったが、石のお地蔵さんは「鄙びた雰囲気」の小道具くらいにしか思えなくて、好き嫌いを言うほどの感想がない。
最初は目鼻があったのか、もともとこんな感じだったのか知らないが、たぶん後者ではないかと思うほどこういうものとして馴染んでいる。
その辺の石ならば、ついた苔や草の表情があるが、これではとりつくしまもない。
最初は目鼻があったのか、もともとこんな感じだったのか知らないが、たぶん後者ではないかと思うほどこういうものとして馴染んでいる。
その辺の石ならば、ついた苔や草の表情があるが、これではとりつくしまもない。
御所に居たミヤマホオジロのメス。
木漏れ日のスポットライトの中心からは離れてしまっているが、例のあの場所にしてはまずまず好ましい具合。
もっとトサカが開いていて欲しくはあった。これくらいでは普通のホオジロとほとんど差がない。
木漏れ日のスポットライトの中心からは離れてしまっているが、例のあの場所にしてはまずまず好ましい具合。
もっとトサカが開いていて欲しくはあった。これくらいでは普通のホオジロとほとんど差がない。
ごちゃごちゃの中を闊歩するキセキレイ。
珍しいというほど珍しい鳥ではないが、人に対しても、他の鳥に対しても臆病な鳥なので、これくらい近くで見られるのはありふれたケースとはいえない。
この鳥の顔あたりの、黄色がかった灰色と白の色がとても好きで、なんとなくいつまでもじっと見ていて何枚も写真を撮るが、どうしても同じような写真にしかならないのが問題。
珍しいというほど珍しい鳥ではないが、人に対しても、他の鳥に対しても臆病な鳥なので、これくらい近くで見られるのはありふれたケースとはいえない。
この鳥の顔あたりの、黄色がかった灰色と白の色がとても好きで、なんとなくいつまでもじっと見ていて何枚も写真を撮るが、どうしても同じような写真にしかならないのが問題。
秋ごろに実をつけるサンシュユ、実が残ったまま寒さや霜にさらされ、透き通るようなずず黒いような難しい色になる。
さらに1月も半ばを迎え、早春に咲く花の蕾も出来はじめる。
来月あたり蕾も膨らんでくる頃には見は全部無くなっていることだろうから、今ならではの風景だ。
なにやら綿毛の草の種が飛んできて絡まっているのが目障り。
いくらかは撮る前に気付いて払ったが、少し残してしまったのがまたまん真ん中の良い位置にあったりして、気分悪い。
さらに1月も半ばを迎え、早春に咲く花の蕾も出来はじめる。
来月あたり蕾も膨らんでくる頃には見は全部無くなっていることだろうから、今ならではの風景だ。
なにやら綿毛の草の種が飛んできて絡まっているのが目障り。
いくらかは撮る前に気付いて払ったが、少し残してしまったのがまたまん真ん中の良い位置にあったりして、気分悪い。