サンパウロのカーニバル全体のコルチ(王室)のメンバーを決めるコンテストに行って来ました。
来年の沖縄サンバカーニバルの「サンバ・クィーン コンテスト」の参考になればと、モシダージの練習をさぼって行くことにしました。
会場に着いて感じたのは、私もサンパウロのサンビスタ(サンバ人)の はしくれになっているのだな、ということでした。サンパウロのカーニバルに出場し続けて今年で15年。
まず会場へ行くバスを待っている間、上下真っ白の服を着たベーリャ・グアルダ(カーニバルの長老)に「あなたモシダージでいつも出ているでしょ。知ってるわよ」と声をかけられました。
コンテスト会場でも、色々な場面で知り合ったサンビスタが来ており、お互い「あなたも好きだね」と挨拶をしては、苦笑いをしていました。
サンバの王様、クィーンを選ぶこのコンテスト。踊りもさることながら、スピーチの部がかなり重要な要素となって、1人1分の持ち時間で話をしました。
サンバ魂をゆする熱のこもったスピーチには、観客は大声援で反応します。
今年の沖縄サンバカーニバルのコンテストでは、時間がないばかりに、スピーチは1人10秒以内、と極端に短くしてしまいましたが、ちょっと物足りなかったかもしれません。女王の品格は、ダンスと衣装だけでは決められないのです。
王様候補もクィーン候補も、サンビスタという自分の立場に誇りを持って話をし、会場のサンビスタの共感を得ていました。
クィーンに選ばれた女性は「私には、サンビスタの血が流れていて、おばあちゃんもサンバ人、母親も過去のクィーンでした」と堂々と話し、大歓声を浴びていました。
彼女に比べれば、私は、祖母も母もサンバには一切関わっていませんから、サンビスタのほんの「ひよっこ」でしかありません。サンビスタのはしくれ、と思っていても、実は1代、たかが15年ばかりでは、まだまだなのです。
これが息子から自分の孫の代になって、ようやく正真正銘の「サンビスタ」となるのでしょう。
本当のサンビスタの血の濃さを感じたコンテストでした。
来年の沖縄サンバカーニバルの「サンバ・クィーン コンテスト」の参考になればと、モシダージの練習をさぼって行くことにしました。
会場に着いて感じたのは、私もサンパウロのサンビスタ(サンバ人)の はしくれになっているのだな、ということでした。サンパウロのカーニバルに出場し続けて今年で15年。
まず会場へ行くバスを待っている間、上下真っ白の服を着たベーリャ・グアルダ(カーニバルの長老)に「あなたモシダージでいつも出ているでしょ。知ってるわよ」と声をかけられました。
コンテスト会場でも、色々な場面で知り合ったサンビスタが来ており、お互い「あなたも好きだね」と挨拶をしては、苦笑いをしていました。
サンバの王様、クィーンを選ぶこのコンテスト。踊りもさることながら、スピーチの部がかなり重要な要素となって、1人1分の持ち時間で話をしました。
サンバ魂をゆする熱のこもったスピーチには、観客は大声援で反応します。
今年の沖縄サンバカーニバルのコンテストでは、時間がないばかりに、スピーチは1人10秒以内、と極端に短くしてしまいましたが、ちょっと物足りなかったかもしれません。女王の品格は、ダンスと衣装だけでは決められないのです。
王様候補もクィーン候補も、サンビスタという自分の立場に誇りを持って話をし、会場のサンビスタの共感を得ていました。
クィーンに選ばれた女性は「私には、サンビスタの血が流れていて、おばあちゃんもサンバ人、母親も過去のクィーンでした」と堂々と話し、大歓声を浴びていました。
彼女に比べれば、私は、祖母も母もサンバには一切関わっていませんから、サンビスタのほんの「ひよっこ」でしかありません。サンビスタのはしくれ、と思っていても、実は1代、たかが15年ばかりでは、まだまだなのです。
これが息子から自分の孫の代になって、ようやく正真正銘の「サンビスタ」となるのでしょう。
本当のサンビスタの血の濃さを感じたコンテストでした。