今年のサンパウロのカーニバル、懲りもせず、私は結局、またしても3チームで出場しました。
私のサンバ熱狂ぶりを知っているブラジル人は、「アキ、今年は何チームで出るの?」と聞くのが、挨拶がわりになっています。
金曜日、土曜日、月曜日と3日間のパレードが無事に終わり、とりあえずは安心しています。
金曜日は、サンパウロのグルーポ・エスペシャル(スペシャルチーム)、「ペルーシ」というチームで出ました。
このチームには、縁もゆかりもなかったのですが、沖縄のサンバ居酒屋「オ・ペイシ」に以前、来てくれて、よくオ・ペイシの羽根やサンバシューズを頼んでくれる日本の名門サンバチームの方が「パシスタ(フリーダンサー)で出たい!」ということで、私がたどりついたのがペルーシでした。
彼女の用事でペルーシを出入りしているうちに、ペルーシのサンバやスタッフの人たちに愛着がわき、私もパシスタのアーラ(グループ)で出場することにしました。
夫や息子には、「余計なチームにまで出て・・・」と、あきれられながら。
パシスタのグループは、いわゆるサンバステップをたくさん踏んで、自由に大きく踊るところです。このチームのリーダーには、わずかな期間でしたが、サンビスタ(サンバ人)として教えてもらうところがありました。
衣装が出来上がったのは、パレードの当日で、しかも、かなり強引に受け取りました。このあたりのことも、今度、落ち着いたらゆっくりブログに書きたいと思います。
私のサンバ熱狂ぶりを知っているブラジル人は、「アキ、今年は何チームで出るの?」と聞くのが、挨拶がわりになっています。
金曜日、土曜日、月曜日と3日間のパレードが無事に終わり、とりあえずは安心しています。
金曜日は、サンパウロのグルーポ・エスペシャル(スペシャルチーム)、「ペルーシ」というチームで出ました。
このチームには、縁もゆかりもなかったのですが、沖縄のサンバ居酒屋「オ・ペイシ」に以前、来てくれて、よくオ・ペイシの羽根やサンバシューズを頼んでくれる日本の名門サンバチームの方が「パシスタ(フリーダンサー)で出たい!」ということで、私がたどりついたのがペルーシでした。
彼女の用事でペルーシを出入りしているうちに、ペルーシのサンバやスタッフの人たちに愛着がわき、私もパシスタのアーラ(グループ)で出場することにしました。
夫や息子には、「余計なチームにまで出て・・・」と、あきれられながら。
パシスタのグループは、いわゆるサンバステップをたくさん踏んで、自由に大きく踊るところです。このチームのリーダーには、わずかな期間でしたが、サンビスタ(サンバ人)として教えてもらうところがありました。
衣装が出来上がったのは、パレードの当日で、しかも、かなり強引に受け取りました。このあたりのことも、今度、落ち着いたらゆっくりブログに書きたいと思います。