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10年ぶりのコンテスト

2009-10-02 | サンバ
 サンパウロのサンバチーム、Xー9パウリスターナでハイーニャ(サンバ・クィーン)を選ぶコンテストが10年ぶりに行われました。
 10年前、1999年に行われたコンテストに私は出場をし、ミス・シンパチアに選ばれました。
 今、考えても、よそのチームから来た私が、よく受かったと思います。
 
 イブニング・ドレスでのスピーチ、水着でのダンス、サンバ衣装でのダンス。
 コンテストに臨む女の子たちは、サンバも美貌もかなりのものです。

 10年前の自分と照らし合わせながら、みんな、さぞ緊張しているだろうな・・・ と、コンテストの決勝に残った女の子たちを見ていました。

 踊り終わった後、自分の次の出場者が「私、上手く踊れてた?」と心配そうに聞いてきたっけ。
 すっかり忘れていたシーンがよみがえってきました。

 新しいコルチ(王室)、入賞者が発表される前に、これまでのコルチが、バテリア(打楽器隊)の前で最後に踊って、別れを告げる、という儀式があります。

 そこに登場したのが、10年前のコンテストで私と一緒に入賞したプリシーラでした。
 私は2000年のカーニバルの後、ブラジルから沖縄へ引越したので、X-9のコルチを泣く泣く辞退しましたが、彼女はそれからずっとコルチにいました。

 彼女はプリンセーザ(王妃)、ムーザ(女神)、ハイーニャ(女王)など、役職を変えながら、ずっとコルチに在籍していました。
 これはすごいことだと思います。

 コルチは名誉なポジションですが、カーニバル前は過酷な日程でショーやテレビ出演に行かなければならず、普通の生活はできなくなります。
 踊っているのは楽しいですが、もう限界だ、と思うことが何度もあります。

 私が7年間、沖縄でサンバをしている間も、同期だったプリシーラは、ず~っと、このチームで、コルチの責任を果たしてきたのです。大きなお腹で、妊婦でカーニバルに出場した年もありました。

 新しいコルチの発表の前に、プリシーラがバテリアの前での最後のサンバをしました。女王の王冠とバストンを、スルド(大太鼓)の上に返還し、この10年間の役目を終えました。

 私は彼女の1年目しか一緒ではありませんでしたが、お互い励まし合って踊っていました。移動のバスやテレビ局では、出番まで永遠、一緒に待ったものでした。 私の10倍、この任務をこなしたのですから、本当に尊敬に値します。

 女王として最後のスピーチをする彼女は、感極まり、泣いていました。私も元同僚として、ジーンときていました。

 新たなプリンセーザとサンバ・クィーンが発表されました。
 10年前、ここで自分の名前が呼ばれたとき、お客さんも大喜びをしてくれたな・・・と思い出しました。

 発表をしたのは、10年前も今年もメストレ・ダ・バテリア(打楽器隊の指揮者)でした。そして、最後に大サプライズがありました。

 10年間の務めを終えて、コルチを引退したばかりのプリシーラに向かって、メストレが「バテリアから出て行ってはだめだ。プリシーラは、ハイーニャ・エテルナ(永遠の女王)だ!」
 「ハイーニャ・エテルナ」と記された、たすきが彼女に贈られました。

 大きな大きな拍手が湧き上がりました。
 「プリシーラ、おめでとう!」
 私も彼女のところへ祝福に行きました。

 サンビスタ(サンバ人)であること、コルチの一員であること。
 プリシーラがX-9で果たしている責任を、私もここ5年連続、自分がコルチを務めている、トルシーダ・ジョーベン・ド・サントスで、しっかり果たさなければ・・・と強く誓って、X-9を後にしました。

 

 

 

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