先日、サンパウロで行われた沖縄ブラジル移住100周年のイベントは、予想以上に盛大なものでした。沖縄、ハワイ、シカゴ、ペルー、ボリビアなどから1,500人もの沖縄系の人たちが集まり、会場の雰囲気は、沖縄で参加したウチナーンチュ大会そのものでした。
その大イベントに、沖縄のサンバチームである、私たちオ・ペイシ・キ・リは、3日連続、異なる会場で出演をさせてもらったのですが、それぞれの色がありました。
1日目は、名門サンバチーム「ホーザス・ジ・オウロ」と合同のパレード。相手が相手だけに、失礼がないように、と金曜日の深夜に行われるホーザスの選曲会に足しげく通い、ショーの担当者と打合せをしてきました。
幸い、バテリア(打楽器隊)の指揮者が、私が以前X-9の王室メンバーであったときの指揮者だったので、話が通りやすかったです。それでも、このイベントでは、オ・ペイシの旗を持って行ったので、かなり緊張しました。
2日目は、今年、沖縄をテーマにカーニバルを行った、サンバチーム「プローバ・ジ・フォーゴ」とのステージでした。サンバは、沖縄とブラジルの100年間の融合を象徴する一幕でした。そこで、今年の沖縄サンバカーニバルでも披露する「集え! 100年目の記念日 ありがとうに込めて」を日本語で歌うことができました。
最後の3日目は、リベルダージの沖縄県人会で、オ・ペイシのみの単独ステージでした。ですが、そこで陰から大きく支えてくれたのは、サントスFC応援団のサンバチーム、トルシーダ・ジョーベンでした。まず、夫はジョーベンからスルド(大太鼓)を借りてきました。そして、予想外にもジョーベンの男性トップダンサーである、プリメイロ・メストレ・サラ(旗持ちの守り役)が助っ人に来てくれました。
私は、この日は踊るだけでなく、司会からサンバ・ステップ講座も担当して、いっぱいいっぱいだったのですが、彼の存在は、本当にジョーベンに助けられている、という気がして、ありがたかったです。
沖縄の小さなサンバチームが、ブラジルのさまざまなサンバチームの力を借りて、沖縄ブラジル100周年を一緒に祝うことができました。
色々な形で協力してくれた皆さん、ありがとうございました。
その大イベントに、沖縄のサンバチームである、私たちオ・ペイシ・キ・リは、3日連続、異なる会場で出演をさせてもらったのですが、それぞれの色がありました。
1日目は、名門サンバチーム「ホーザス・ジ・オウロ」と合同のパレード。相手が相手だけに、失礼がないように、と金曜日の深夜に行われるホーザスの選曲会に足しげく通い、ショーの担当者と打合せをしてきました。
幸い、バテリア(打楽器隊)の指揮者が、私が以前X-9の王室メンバーであったときの指揮者だったので、話が通りやすかったです。それでも、このイベントでは、オ・ペイシの旗を持って行ったので、かなり緊張しました。
2日目は、今年、沖縄をテーマにカーニバルを行った、サンバチーム「プローバ・ジ・フォーゴ」とのステージでした。サンバは、沖縄とブラジルの100年間の融合を象徴する一幕でした。そこで、今年の沖縄サンバカーニバルでも披露する「集え! 100年目の記念日 ありがとうに込めて」を日本語で歌うことができました。
最後の3日目は、リベルダージの沖縄県人会で、オ・ペイシのみの単独ステージでした。ですが、そこで陰から大きく支えてくれたのは、サントスFC応援団のサンバチーム、トルシーダ・ジョーベンでした。まず、夫はジョーベンからスルド(大太鼓)を借りてきました。そして、予想外にもジョーベンの男性トップダンサーである、プリメイロ・メストレ・サラ(旗持ちの守り役)が助っ人に来てくれました。
私は、この日は踊るだけでなく、司会からサンバ・ステップ講座も担当して、いっぱいいっぱいだったのですが、彼の存在は、本当にジョーベンに助けられている、という気がして、ありがたかったです。
沖縄の小さなサンバチームが、ブラジルのさまざまなサンバチームの力を借りて、沖縄ブラジル100周年を一緒に祝うことができました。
色々な形で協力してくれた皆さん、ありがとうございました。