12年前、自分がサンパウロでサンバを始めたチームが、今年のサンパウロのカーニバルで優勝しました。まさかの優勝です。13チームそれぞれが1年がかりで、テーマを温め、ミーティングを重ね、曲の選考をして、衣装、山車の制作、練習をして当日に臨むのですから、優勝するのは本当に大変なことです。優勝がテレビで発表された後、家族3人で即、練習場(クアドラ)へ駆けつけました。
すでに演奏が始まり、チームの旗が舞っている中、一緒に練習した人たちと抱き合って喜び合いました。この祝賀会、ひたすら演奏が続くのですが、自分がこのチームの一員であるとジーンと感じる曲が2曲ありました。
1曲は、1980年、このチームが優勝したときの曲です。当時、自分はまだカーニバルには参加していないのですが、ふだんの練習やショーでは、最後に優勝したときの曲を演奏していたので、いつの間にか覚えた曲でした。
そしてもう1曲は、1997年、私にとって2回目のサンパウロのカーニバルの曲で、妊娠6カ月のお腹でアーラ・ショウという曲芸師(マラバリスタ)と一緒にパレードしました。ここ数年、モシダージは上位3位内に入っていますが、当時は、下のリーグに落ちるのではないか、と周囲に噂されるほど低迷していました。
色々な積み重ねがあって2007年、チーム始まって以来6回目の優勝があったかと思うと、感激もひとしおです。
すでに演奏が始まり、チームの旗が舞っている中、一緒に練習した人たちと抱き合って喜び合いました。この祝賀会、ひたすら演奏が続くのですが、自分がこのチームの一員であるとジーンと感じる曲が2曲ありました。
1曲は、1980年、このチームが優勝したときの曲です。当時、自分はまだカーニバルには参加していないのですが、ふだんの練習やショーでは、最後に優勝したときの曲を演奏していたので、いつの間にか覚えた曲でした。
そしてもう1曲は、1997年、私にとって2回目のサンパウロのカーニバルの曲で、妊娠6カ月のお腹でアーラ・ショウという曲芸師(マラバリスタ)と一緒にパレードしました。ここ数年、モシダージは上位3位内に入っていますが、当時は、下のリーグに落ちるのではないか、と周囲に噂されるほど低迷していました。
色々な積み重ねがあって2007年、チーム始まって以来6回目の優勝があったかと思うと、感激もひとしおです。