現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

村上春樹「こんなに面白い話だったんだ!」新潮社文庫版「フラニーとズーイ」所収

2025-03-18 14:21:16 | 参考文献

 2014年に、著者の新訳として出版されたサリンジャーの「フラニーとズーイ」(その記事を参照してください)の付録(サリンジャーが自分の作品の本に「まえがき」や「あとがき」を付けることを許さなかったからです)として書かれた文章です。
 「フラニーとズーイ」の成立事情の部分は、紙数の関係で割愛されていますが、新潮社のホームページからダウンロードできます。
 タイトルにありますように、10代で初めて読んだ時には分からなかった作品の魅力(特に「ズーイ」の部分)が、今回ようやく理解でき、この作品が(サリンジャーの作品としては「キャッチャー・イン・ザ・ライ」(その記事を参照してください)とともに)20世紀のアメリカ文学の古典であると主張しています。
 今回なぜそうなったかの原因としては、その間(45年)の人生経験と翻訳のために原文を読んだことをあげています。
 著者の意見は、おおむね肯定できます。
 「ズーイ」の宗教的あるいは哲学的な内容や、世俗的な社会への否定的な考え方は、これから社会にできる若い世代の人たちには理解しにくいものだと思われます。
 また、サリンジャー独特の文体や語り口は、なかなか翻訳では伝えることができない(著者も十分にできなかったと謙遜していますが)もので、それは単なる言語の違いだけでなく、1950年代のアメリカ(特に若い世代)の風俗や話し言葉とは切り離せないからです。 
 また、この作品が、「ニューヨーカー」誌にふさわしいスタイリッシュな短編から、より精神的な文学への過渡期にあったという「フラニーとズーイ」の成立事情の部分の説明も、読者には分かりやすい物です。
 著者は、この作品をサリンジャー文学の頂点(「キャッチャー・イン・ザ・ライ」は別として)と位置付け、その後の作品(「シーモア ― 序論」(その記事を参照してください)と「ハプワース16,一九二四」(その記事を参照してください)しかありませんが)については、「その文体はどんどん煮詰まり、テーマは純化され、彼の物語はかつての自由闊達な動きを急速に失っていく。そして彼の書くものは、読者から避けがたく乖離していくことになる。」と否定的です。
 しかし、それは、サリンジャーとは逆にどんどんスタイリッシュな作品に近づいて純文学からは遠ざかっている著者の視点であり、「読者から避けがたく乖離していく」のは作家だけのせいではなく、どんどんエンターテインメント作品へ向かっている読者の方により大きな原因があると思っています。
 そのため、読者を意識した純文学作家(著者だけに限りませんが)は、どんどんエンターテインメント作品へ近づいていて、かつては中間小説と揶揄された分野でしか作品を発表できないのが現状ではないでしょうか。

 

 

 

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ヨーン・スウェンソン「ノンニとマンニのふしぎな冒険」

2025-03-17 11:28:04 | 作品論

 1914年にアイスランドで書かれた「ノンニとマンニ」を、在アイスランド臨時代理大使だった人が翻訳して、2008年にノンニ(ヨーン・スウェンソンのニックネームでもあります)訪日70周年記念として出版された絵本です。
 私がこの本を読もうと思ったのは、幼いころの愛読書であった講談社版少年少女世界文学全集に収録されていた「ノンニの冒険」(実際は1927年に書かれた「島での冒険」の抄訳だったようです)の完訳版を読もうと思ったからです。
 残念ながらその本の完訳は日本では出版されていなかったようですが、代わりにこの新しい本にたどり着きました。
 この本自体は絵本なので短い物語(ノンニと弟のマンニが、ボートで海へ釣りに行き、釣りに夢中になっているうちに引き潮で沖に流され、通りかかったフランスの軍艦に救助されるというお話です)ですし、作者が神父から作家に転向して間もなくだったのでまだ宗教的な要素が強く、幼いころに読んだ波乱万丈の「ノンニの冒険」を期待していた自分にとっては、やや物足りない物でした。
 しかし、アイスランドで2007年に出た新しい本の挿絵が、そのままふんだんに使われた美しい絵本に仕上がっています。
 また、この本を通して、私の幼いころの友だち(?)の一人であるノンニ(ここでは登場人物の方)が故郷のアイスランドでは今でも読まれ続けていることや、ノンニ(ここでは作者の方)が1937年に来日して一年も滞在し、日本中を講演(主にキリスト教系の学校で)して回っていたことや、ノンニ(ここでは両方)のおかげでアイスランドの人たちが非常に親日的であることなどを初めて知り、とても嬉しく思いました。

ノンニとマンニのふしぎな冒険
クリエーター情報なし
出帆新社
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手塚治虫「火の鳥 生命編」

2025-03-16 15:07:14 | コミックス

 1980年8月号から12月号まで「マンガ少年」に連載された作品です。
 立体テレビで、応募者にクローン動物をハンティングさせる番組を制作しているプロデューサーが、視聴率低迷のためにもっと番組を過激化して視聴率をアップさせるために、クローン人間を作ってそれをハンティングさせようとします。
 皮肉にも、火の鳥の化身と思われる女性に自分のクローンをたくさん生み出され、さらに自分自身もその中に紛れてしまい、ハンターたちに追われるようになります。
 彼のこの窮地を救うのは例によって一人の美しい女性(出会った時は幼女でしたが、美しい女性に成長して、彼を父親のように慕っています)で、改心した彼は自分自身に爆弾を仕掛けてクローン工場を破壊します。
 クローン人間や人工臓器移植などを通して、ここでも「人間とは何か」という根源的なテーマを追求しています。
 1980年に書かれた作品らしく、視聴率最優先のテレビ番組の低俗化、立体テレビ、クローン技術、人工臓器など、実社会の動きがよく反映されていますが、その分作者の独創性が失われている感じがします。

火の鳥 9・異形編、生命編
クリエーター情報なし
朝日新聞出版
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エーリヒ・ケストナー「エーミールと三人のふたご」

2025-03-15 15:31:29 | 作品論

 1934年に書かれた児童文学の古典です。
 前作の「エーミールと探偵たち」の五年後に書かれたのですが、作品世界の中では二年後ということになっています。
 もちろん単独でも楽しめるのですが、読者に親切なケストナーは、前作を読んでない読者(彼の言葉によると門外漢)も、読んでいる読者(彼の言葉では専門家)も、ともに楽しめるように二種類のまえがきを用意しています。
 作品世界の中でも、「エーミールと探偵たち」はベストセラーになり映画化もされています(それは現実でも同様でした)。
 わかりやすく現代の児童文学界に置き換えれば、あさのあつこの「バッテリー」がベストセラーになって映画化されたようなものです。
 ただし、娯楽の少なかった当時の児童文学や映画は、現在とは比べ物にならないほどインパクトは持っていたでしょう。
 あさのあつこは映画に出演しましたが、ケストナーは作品の中に登場します。
 これは、彼の作品の大きな特徴で、「エーミールと探偵たち」でも「飛ぶ教室」でも本人が登場します。
 それは、彼が出たがりなばかりではなく、作品に大きくコミットしているからです。

 作品を紹介するために、彼の手法にならって、この作品の最初に掲げられている十枚の絵を使いましょう。
 第一は、エーミール自身。
 前作から二年後なので、日本でいえば中学一年生ぐらいです。
 相変わらず優等生でおかあさん思いですが、そういった言葉から連想されるような嫌な奴ではなく、正義感にあふれた愛すべき少年です。
 第二は、イェシュケ警部です。
 エーミールのおかあさんにプロポーズしています。
 とてもいい人なのですが、そのためにエーミールも、おかあさんも悩んでいます。
 本当は、二人で水入らずで暮らしたいのですが、将来のこと(おかあさんはエーミールの将来、エーミールはおかあさんの将来)を考えると再婚をした方がいいと思っています。
 第三は、教授くんが受け継いだ遺産
 バルト海の保養地にある大きな別荘で、教授くんは大おばさんから遺産としてもらいました。
 教授くんは、「探偵たち」の主要メンバーで主に知性を代表しています。
 児童文学の世界では、いかに「教授くん」のキャラの追随者が多いことか。
 教授くんは、法律顧問官の息子でこのような高額の遺産を受け取るほど裕福です。
 一方、エーミールは、おかあさんが自宅の台所で美容師の仕事をして、苦労して育てられています。
 ケストナーの作品の大きな特徴としては、このような貧富の差を軽々と乗り越えて少年たちが友だちになることであり、その一方でお金を汚いものとして扱わずに生きていくのに必要なものとして淡々と描いていることです。
 第四は、警笛のグスタフ
 彼は前作では警笛しか持っていませんでしたが、今ではオートバイを持っています(彼は14歳ぐらいなのですが、当時のドイツでは一定排気量以下のオートバイには免許はいらなかったようです)。
 警笛のグスタフも、「探偵たち」の主要メンバーで、主に体力と食欲を代表しています。
 彼もまた、児童文学の世界に多くの追随者を持っています。
 第五は、ヒュートヘン嬢
 エーミールのいとこで14歳です。
 この年齢では、男の子より女の子の方が成熟するのが早いのは、古今東西を問いません。
 作品では、少年たちと大人たちを結ぶ役割を果たしています。
 第六は、汽車をつむ汽船
 バルト海沿岸や対岸のスウェーデンを結んでいました。
 ここを舞台にエーミールと探偵たちは大活躍するはずでしたが、ハプニングが起きて半分が参加できませんでした。
 第七は、三人のバイロン
 ホテルの出し物として出演していた軽業師とその双子(実は親子や双子というのは出し物上の設定で、三人とも赤の他人です)です。
 大きくなりすぎて軽業ができなくなった双子の一人を置き去りにして夜逃げしようとして、それを阻止しようとする探偵たちと対決します。
 第八は、おなじみのピコロ
 ピコロとは、ホテルの見習いボーイの少年のことです。
 彼は、前作でも探偵たちを助けて活躍しました。
 小柄で身の軽いところを見込まれて、新しい双子の一人になって一緒に逃げるように軽業師に誘われています(「三人のふたご」という変わったタイトルは、このように三人の少年が双子の役をするところからきています)。
 第九は、シュマウフ船長
 ピコロのおじさんで、商船の船長ですが自分のヨットも持っています。
 第十は、ヤシの木のある島
 バルト海にある無人の小島で、ヤシの木は植木鉢に植わっています。
 教授くんとグスタフとピコロが、シュマウフ船長のヨットでセイリングしていて、この島にのりあげたために、三人は軽業師との対決に参加できませんでした。

 この作品は、ケストナーの母国ドイツではなく、スイスで出版されています。
 この当時、ケストナーは、ナチスの弾圧を受けていて、国内での出版ができなかったからです。
 そんな過酷な状況の中で、こんなユーモアに富んだ明るい作品を書いたケストナーに敬意をはらいたいと思います。
 90年以上も前に書かれた作品ですので、今の感覚には合わないところや若い読者にはわかりにくいところもたくさんあるでしょうが、以下のような児童文学としての普遍的な価値を持っていると思います。
1.子どもたちを一人の人間として尊重している。
2.常に大人側ではなく子どもの立場に立っている。
3.現実の大人たちには失望していても、子どもたちの未来には限りない信頼を置いている。
 私事になりますが、私が幼いころに愛読していた「講談社版少年少女世界文学全集」にはケストナーの巻があり、「飛ぶ教室」、「点子ちゃんとアントン」と共にこの作品(「エーミールとかるわざ師」というタイトルになっていました)が入っていました。
 病弱で学校を休みがちで友だちがいなかった小学校低学年の頃の私にとって、この作品のエーミールたちや「飛ぶ教室」のマルチン・ターラーたちが、本当の友人でした。
 そして、病気が治り学校へも休まずに通えるようになった時に、新たに友達を作る上で、彼らから学んだ友だちへの信頼やいい奴の見分け方などは大いに役立ちました。
 今、友だちがいなくて悩んでいる男の子たちには、ぜひこの本を読んでもらいたいと思っています。
 あいことばエーミール!(前作とこの作品で使われた少年たちの合言葉です)
 

エーミールと三人のふたご (ケストナー少年文学全集 (2))
クリエーター情報なし
岩波書店








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本田和子「タブーは破られたか」日本児童文学1978年5月号所収

2025-03-14 08:34:38 | 参考文献

 「タブーの崩壊」を特集した日本児童文学1978年5月号の巻頭論文です。
 日本児童文学のバックナンバーは入手が比較的容易ですし、「現代児童文学論集4」にも収録されていますので、簡単に読むことができます。
 刺激的なタイトルのせいもあって児童文学論の世界では非常に有名で、その後のいろいろな研究者の論文にもよく引用されています。
 この号でタブーの崩壊を取り上げたのは、それまで日本の児童文学で取り上げられなかった人間の陰の部分である「性・自殺・家出・離婚」などを取り上げた作品(例えば、岩瀬成子「朝はだんだん見えてくる」、末吉暁子「星に帰った少女」(その記事を参照してください)、今江祥智「優しさごっこ」など)がそのころに発表されたことが背景にあります。
 しかし、本田の論文では、「タブー」の中でも「離婚児童文学」だけを論じていて、取り上げた作品もこの分野では定番のワジム・フロロフの「愛について」(1966年に発表されたソ連の作品です。内容についてはこのブログの「愛について」の記事を参照してください)と今江祥智の「優しさごっこ」だけです。
 児童学や心理学の知見をふんだんにちりばめて、アカデミックな用語を多用して格調高く書かれていますが、要は日本の児童文学において、もともと「性・自殺・家出・離婚」などはタブー(言葉に厳格な本田は本来の意味である「聖なる禁止」という意味で使っています)ではなく、「覆い隠しておきたい「不浄域」として位置づいていたのではないか。そして、それゆえに、より意識的な制限に基づくものだったと思われるのである。」と主張しています。
 つまり刺激的なタイトルは疑問形であったわけで、答えは現代日本児童文学にはタブーはもともと存在しなかったということです。
 しかし、この論文がユニークで歴史的価値を持っている理由は、その部分ではありません。
「性・自殺・家出・離婚」など取り上げた作品群が、作者のもくろみ(例えば、この論文では、「離婚児童文学」の分野では古典的な作品である「ふたりのロッテ」(その記事を参照してください)の作者のケストナーの有名なことば、「世間には、両親が別れたために不幸な子どもがたくさんいる。しかし、両親が別れないために不幸な子どもも、同じだけいるのだ……」や今江祥智のことば、「この世間に数多いああした子どもと両親のことを考えて創作した」を紹介しています)を超えて、より多くの一般の子どもたちにとっても、「彼らの成長にかかわる通過儀礼として、機能していると考えられないだろうか」と、この問題を読者論として捉え直した点にあります。
「子どもの文学を、彼らの意識的な生活のレベルに対応させ、その次元での効用を考えるのは短絡的に過ぎる。物語とかかわりを持つのが彼らの内的世界であれば、当然、その作用は無意識のレベルに大きい。無意識は、内に広がる未踏の暗がりであり、意識的な生を昼の世界と見るなら、無意識は夜の世界に属している。物語は、存在の夜の部分に働きかけることで、昼の生活を補填するものとして位置づくのだ。子どもの文学と言えども、もちろん、例外ではない。
 児童文学が、人間の陰の部分からも目を逸らさなくなった、という最近の現象は、この自明の理が、漸く浸透し始めたことのあかしではないか。そして、その動きは、「論」としてよりもむしろ、「作品の出現と読み手の出会い」という、具体的な形で、現れている。成長困難な文化状況の中で、読み手たちの内的要請は、これらがダークサイドにかかわる物語に向けて、従来とは比較にならないほどに、著しい高まりを見せ始めているのである。」
 以上の最後のまとめ部分は、その後の80年代における人間の陰の部分を描いた多様な児童文学作品の出現を予見するものでした。
 しかし、この論文が描かれてから五十年近くが経過した現在、「子どもたちが成長困難な文化状況」はますます深刻になっているにもかかわらず、商業主義にからめ捕られている現在の児童文学の出版状況は、この「読み手たちの内的要請」に全く応えられていないのが実情です。

多様化の時代に (現代児童文学論集)
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日本図書センター
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ストレンジャー・ザン・パラダイス

2025-03-13 09:36:19 | 映画

 1984年のジム・ジャームッシュの映画です。
 ハンガリーから来た若い女性と、彼女のいとことその相棒のチンピラ男性たち(いかさまポーカーや競馬でその日暮らしをおくっています)との奇妙な関係を、ニューヨーク(といっても、いとこの男性のアパートの中だけですが)、クリーブランド(二人のおばさんが暮らしていますが、雪に閉ざされています)、マイアミ(といっても、ほとんどはモーテルの中ですが)を舞台に描いていますが、ロードムービーの趣もあります。
 底辺で暮らす若者たちの虚無感、絶望感、刹那的な生き方などが、感覚的に表現されていて、日本でも当時の若い世代の共感を得ました。
 しかし、作品内容よりも、全編を通して、モノクロ映像で描いた場末の雰囲気や、短いカットの連続、若者言葉での断片的な会話、バックに流れるひねりのきいた音楽などの表現方法の斬新さの方が、この映画の魅力でしょう。
 娯楽重視の今の日本での外国映画公開状況では、この映画も公開当時に得られたような高い評価は得られないでしょう。

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舞踏会の手帖

2025-03-12 09:25:57 | 映画

 1937年公開のフランス映画です。
 絶世の美貌を誇る大地主の未亡人が、夫が亡くなって身辺を整理している時に、20年前に16歳で社交界にデビューした時に、初めて出た舞踏会で彼女と踊った男性たちの名前を記した手帖が出てきます。
 新しい人生を踏み出すきっかけを得ようと、弁護士(?)に頼んで彼らの居場所を探し出し、イタリアの湖畔の城を出て、彼らを訪ねるために久しぶりに故郷フランスへ旅行に出ます。
 最初の男は、十数年前に彼女が結婚することを知って自殺していて、彼の母親はそのために精神を病んで今でも彼の死を受け入れていません。
 二番目の弁護士志望の男は、弁護士にはなったものの悪の道に走り、彼女が彼の経営するキャバレーを訪れた時に警察に逮捕されます。
 三番目の音楽家の男は、彼女のために書き心を込めて演奏(ピアノ)した曲が、彼女の心を少しも動かさなかったことに絶望して、音楽家をやめて聖職者の道を選んでいました。
 四番目の詩人志望の男は、都会暮らしを捨ててアルプスの山岳ガイドになっていて、彼女もかなり惹かれるのですが、彼は彼女と一夜をすごすよりも山を選んで雪崩事故の救助に向かいます(唯一、彼だけには彼女のほうが振られた形です)、
 五番目の政治家志望の男は、希望よりはスケールが小さいものの田舎の町長になっていて、彼女が訪ねていった日はちょうど彼の女中との結婚式でしたが、長く会っていなかった不良の養子が金の無心にきて大騒動になります。
 六番目の医者志望の男は、希望通りに医者になったものの、酒で身を持ち崩してアル中の堕胎医に落ちぶれていて、彼女と再開した後で、錯乱して内縁の女を殺害してしまいます。
 七番目の男は、陽気な理髪師で三人の子どもにも恵まれていて(ただし、やはり彼女に未練があったようで、末の女の子に彼女を忘れないために同じ名前を付けています)、彼女を誘ってダンスホールへ踊りに行きます。
 そこは、かつての舞踏会とは違って大衆的な場所でしたが、かつての彼女と同じように初めての舞踏会に目を輝かせている十六歳の美少女がいました(あるいは、彼女の分身かもしれません)。
 イタリアのお城に戻った後で、八人目の男が意外にも湖の対岸の屋敷に住んでいることがわかります。
 しかし、彼女が訪ねてみると、彼は一週間前に亡くなっていて、そこにはかつてのその男にそっくりな一人息子が行く場もなく途方に暮れていました。
 結果として、この男の子を養育することに、彼女は新しい人生の意味を見出そうとしますが、その子が非常な美少年なので、あるいはこの八番目の男が、彼女が本当に好きだった相手だったのかもしれません。
 人生の悲哀や残酷さなどを、美しい映像(白黒映画ですが)と音楽にのせて、当時の名匠ジュリアン・デュヴィヴィエ監督が流麗に描いたので、世界中で大ヒットして、日本でも1938年に公開されて翌年のキネマ旬報外国映画ベストテンの第一位に選ばれています。
 主役のクリスティーヌは当時の美人女優マリー・ベルが演じていて、十六歳の時にはきっとこの世のものとは思えないほどの美少女だったのだと、思わせてくれます。
 そして、こうした並外れた美貌の持ち主は、本人の自覚のないまま、周囲の男性たちに深い傷を負わせるのでしょう。
 私も、生涯一度だけこの世のものとも思えないほどの美少女と出会ったことがあるのですが、幸い旅先の札幌の地下鉄で十分ほど向かい合わせの席に座っていただけなので、心に傷を負わないですみました。


 

 

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サード

2025-03-11 07:43:15 | 映画

 ふとしたことから少年院に入ることになった少年が、そこでさまざまな経験を通じて少しずつ大人へと成長していく姿を描いた青春映画の秀作です。
 映画のタイトルは、高校野球の3塁手として活躍していた主人公のニックネームからきています。
 サードは、友人のⅡBとクラスメートの女の子二人で、「どこか大きな町へ行こう」と話し合います。
 そのためにはお金が必要だと、四人は売春を始めます。
 しかし、ある日ヤクザにつかまったサードは、衝動的に殺人を起こしてしまい少年院へ入れられてしまいます。
 大人になりきれない少年の焦りや苛立ちを、朴訥ながら永島敏行がみごとに演じています。
 サードが入れられた関東朝日少年院は、三方を沼で囲まれています。
 鉄格子の中で、少年達は朝早くから点呼、掃除、食事、探索等の日課を黙々とこなしています。
 しかし、数日前、上級生のアキラがサードの優等生ぶりが気に入らずケンカをしかけたため、二人は単独室に入れられていました。
 ある日、サードの母が面会にやってきます。
 退院後の暮しをあれこれ心配する母に、サードは相変らず冷淡な態度を示しました。
 少年達が待ちこがれる社会福祉団体SBCがやってきます。
 三ヵ月に一度やって来るこの日だけが、若い女性に接する事ができるのです。
 SBCとのソフトボールの試合中、一人の少年が院に送られてきます。
 サードの友人の数学ⅡBが得意なのだけが取得なので、ⅡBと呼ばれている少年です。
 ある日、農場で一人の少年が逃走しました。
 誰とも口をきかなかった、緘黙と呼ばれる少年です。
 その騒ぎにまぎれて院の生活に馴じめないⅡBも逃走を図りますが、やがて連れ戻されます。
 サードはそんなⅡBを殴り倒します。
 走っていくなら何処までも走れと、無言で語るサードの表情には、確固とした決意が読みとれました。
 サードの頭の中に在るのは、ここへ護送される途中に垣間見た、祭りの町を走り抜ける夢でした。
 彼が「九月の町」と名付けたその町は、彼が少年から大人へと成長する時に、彷徨しながら通りすぎる青春の象徴でした。
 この作品は、サードの少年院での生活と、事件当時の男女二人ずつの高校生を描いた部分のタッチが違い、観る人によって印象が変わってしまいます。
 原作は軒上泊の『九月の街』でこれを寺山修司が脚色しているのですが、でき上がった脚本はほとんどオリジナルといってもいいほどの斬新さを見せています。
 その脚本を、東陽一が監督して映画にしています。
 前半のサードの少年院での暮らしの部分はドキュメンタリータッチに描かれ、登場人物も実名で呼ばれていて妙に現実感があります。
 そこで、主人公のサードは一見模範生を演じながら、面会に来る母親、教官の先生たち、他の収容生たち、ボランティアの人びとなどに、内面で強い反感を示しています。
 ただ、ところどころの幻想的なシーン(サードがいろいろな所を走る、収容されている少年たちが社会福祉団体SBCの若い女性たち(当時の日活ロマンポルノの女優たちが採用されていました)を強姦するところを夢想しながらマスターベーションをする、通りがかりの海辺の町の祭りの様子など)と、収容生の一人が時々つぶやく短歌などが、寺山修司ならではの感性のきらめきを感じさせます。
 それに対して、回想シーンでの四人の少年少女たちの姿は、どこか作り物めいて見えるほどドラマチックで、わざと現実感がないように描かれています。
 それを象徴するかのように、少年少女たちは、名前ではなく、サード、ⅡB、新聞部、テニス部と呼ばれています。
 狭い田舎町の閉塞感、大きな町へ出たいという夢、町を出るための資金稼ぎとして新聞部とテニス部からあっけらかんと提案された売春、四人ともセックスが未経験だったので売春の前に実際にしてみるぎこちない初体験、部活感覚でサードとⅡBが客引きをして新聞部とテニス部が一人二万円でするどこかこっけいな売春シーン、新聞部に三時間以上もしつこくセックスを強要するやくざ風の男をサードが衝動的に殺してしまった殺人など、どれもがむしろ空想の世界の中で行われたかのように現実感がありません。
 この映画は、1978年のキネマ旬報の邦画の第1位に選ばれています。
 別の記事で書いた「帰らざる日々」は、同じ年の5位(読者投票では1位)でした。
 サードを演じたのは永島敏行で、彼は委員選出と読者投票の二つのナンバーワン映画に主演していたことになります。
 当時の若者の閉塞感と過剰なエネルギーを表すのに、彼の暗い表情とたくましい肉体はうってつけだったのでしょう。
 惜しげもなくたびたび現れた新聞部を演じる森下愛子のフルヌードは、様々なアダルトビデオやかわいいアイドルたちがあふれている現在において見ても圧倒的に美しく、この映画の芸術性や思想性を理解できなくても、これだけでもこの映画を見る価値があります。
 ただ、「帰らざる日々」で竹田かほりを見た時の「悲しさ」を感じなかったのは、森下愛子が結婚後も芸能活動続けていて年をとってからの彼女の姿も見ているので、この「若く美しい」森下愛子の姿を自分の中ですでに葬っているからでしょう。
 現時点でこの映画を理解するためには、いくつかの予備知識が必要です。
 今はやりの社会学者の古市憲寿によると、日本では1973年ごろに政治運動や高度成長などのいわゆる「大きな物語」は終焉して、みんなが個別の「自分探し」を始める「後期近代」が始まったと言われています。
 また、古市によると、未来に希望が持てない現代の若者はむしろ「今」に対して幸福を感じていて、まだ未来に希望が持てた70年代の若者の方が「今」に対して不満が強かったとのことです。
 「サード」の少年少女たちが「大きな町へ行って自分の夢を探したい」というのも、現状(閉塞した今の町)に不満があり、他の世界に未来の「自分探し」を求めていたと考えることができます。
 また、脚本の寺山修司の存在も、この映画では無視できません。
 寺山修司は現在では忘れられかけていますが、当時は、短歌、詩、エッセイ、演劇、映画、競馬解説などで多面的に活躍していて、その作品世界や彼自身の独特の「暗さ」、「寂しさ」、「孤独感」、「土着性」、「閉塞感を打破するための挑発」などが、若者の心情にマッチしていて強く支持されていました。
 この映画の監督の東陽一は、その寺山修司の「美的感覚」や「世界観」を忠実に描いています。
 また、現在は「援助交際」としてありふれたものになっている女子高生売春が、まだ(特に田舎では)一般的でなくて、この映画が時代を先取りしていたことも付け加えておきたいと思います。
 現代児童文学の世界では、この映画の持つ大人への不信、アイデンティティの喪失、現状の閉塞感などは、やはり寺山修司に影響を受けている森忠明の作品などに表れています。

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手塚治虫「火の鳥 復活編」

2025-03-10 09:50:41 | コミックス

 1970年から1971年にかけて、「COM」に連載された未来SF編です。
 「死んだ人間を人工部品を使って復活させる」、「人間の心や記憶を持ったロボットを作る」、「人間とロボットの恋愛」、「ロボットの大量自殺」などを通して、「人間とは何か」、「ロボットとは何か」、「外見と心」、「恋愛とは何か」、「不老不死や死んでも復活すること」など、様々な根源的な問いかけをしています。
 この50年以上前に書かれた作品世界は、AIやアンドロイドや医療技術の進歩により実現が近づいており、作者が投げかけたこれらの問いかけは、さらに重要性を増しています。
 どれも簡単には解決できない問題ですが、作品の後半で、殺された人間のレオナと破壊されたロボットのチヒロが、レオナの記憶がチヒロの電子頭脳(懐かしい言葉ですね)に移植されることによって、サイバー空間(当時はそうした言葉はありませんでしたが)で結ばれるのは、私にとっては大きな救いでした。

火の鳥 5・復活編
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西原理恵子「はれた日は学校を休んで」

2025-03-08 09:17:57 | コミックス

 1989年から1995年までに描かれた作品をまとめた、作者の初期短編集です。
 当時の現代児童文学(定義に関しては他の記事を参照してください)と非常に近い作品世界(例えば長崎夏海の作品などと)だったので、児童文学者の間でもかなり評判でした。
 作者は、現在では高須クリニックの関係者としての方が有名ですが、当時は若い感性の優れた無頼派(ギャンブルや酒やと異性関係など)の美人女性漫画家として注目されていました。
 学校への不適合、両親(特に母親)との愛憎入り混じった感情、友情(女同士だけでなく男同士も)、弱者(成績不良、貧困、動物、老人など)への複雑な視線など、今日でも子どもたちにとって重要な問題が、作者独特の善悪が入り混じった独特の視点で繊細に描かれていて、現在でも少しも古びていません。

はれた日は学校をやすんで (アクションコミックス)
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双葉社
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