1971年に書かれたビート・ジェネレーションの影響を受けつつも、フラワー・ジェネレーション(日本で言えば全共闘時代)の雰囲気を伝え、その敗北(実社会に対して)の苦さも感じさせる作品です。
小説としての完成度はそれほど高くないのですが、自分のために書いた本を著者(その多くは社会から疎外されている人々です)から預かるという風変わりな図書館(場所はフラワー・ムーブメントにとってのメッカであったサンフランシスコのようです)と、そこに住み込んで館外には一歩も出ないという世捨て人のような暮らしをしている主人公という設定が、そのころ現代的不幸(アイデンティティの喪失、生きていることのリアリティの希薄さ、物質文明への違和感など)に直面していたアメリカや日本(おそらく世界中の他の先進国でも同様だったでしょう)の若者たちにフィットしました。
また、図書館を訪れて主人公と同棲することになる、絶世の美女でしかもセックスシンボルのような肉体(スリーサイズはインチで37-19-36と書かれているので、センチに直すと93-48-90という驚異的な数字です)も兼ね備えているいうアニメのキャラクター(なにしろ、彼女が11歳のころから、聖職者も含めてすべての男性が彼女に心を奪われて、いろいろな事故や死者までが続出しています)のようなルックスを持ち、そのことに強い違和感を覚えている女性ヴァイダ(人生と言う意味を持ち、主人公を実世界に召還する象徴なのでしょう)の設定も秀逸です(読んでいて、まずオードリー・ヘップバーンの顔とマリリン・モンローの肉体を思い浮かべましたが、どうにも違和感があるので顔はイングリッド・バーグマンに変えたらしっくりしました)。
実社会に対する嫌悪と逃避はそのころ(今でもそうかもしれませんが)の若い人たちに共通するものですが、それが通過儀礼(この作品ではヴァイダの妊娠と人工中絶(この作品では堕胎と呼ばれ、アメリカでは非合法でした)のためのメキシコのティファナへの旅)を経て、実社会に適合させられます(この作品では、サンフランシスコに帰還後に、突然図書館での職を失って主人公たちは実社会に投げ出されます)。
当時の日本の若い世代にとっては、男性は就職、女性は結婚がその通過儀礼になっていたと思われます。
そのころの彼らの気分を歌ったニューミュージックの代表的な曲は、前者がバンバン(作者はユーミン)の「いちご白書をもう一度」で、後者は風(作者は伊勢正三)の「二十二才の別れ」でしょう。
他の記事にも書きましたが、私自身はフラワー・ムーブメントにも、学生運動にも、遅れてきた世代(大学に入学したのは1973年です)なのですが、その後の虚無的な雰囲気のキャンパスで、主人公と同様に自分のアイデンティティと実社会の折り合いをつけるために苦闘していましたので、この作品はそのころの気分にピッタリでした。
そして、この本はそのころ好きだった女の子にもらって読んだもので、一読してその子をますます好きになってしまいました。
もし、主人公とヴァイダのように、その子とうまくいっていれば、もっとあっさりと実社会と折り合いをつけて(児童文学は捨てて)いたかもしれません。
愛のゆくえ (ハヤカワepi文庫) | |
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