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現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

柏原兵三「星ヶ丘年代記」柏原兵三作品集2所収

2017-01-30 08:36:27 | 参考文献
 旧制中学が新制高校に改編されるに伴い、二年間だけ存在した併設新制中学校と新制高等学校を合わせての五年間を年代記風に描いた作品です。
 ここで描かれている星ヶ丘高等学校は、都立日比谷高校(当時の東大合格者数第一位の高校で、美濃部都知事の学校群制度によって都立高校の受験優位性が崩壊するまでその座を守った、今の私立開成高校以上の受験エリート校)のことで、東大受験を失敗して浪人するまでの主人公の軌跡は、ほぼ柏原自身と同じで、かなりの部分が実体験によるものと思われます。
 戦争直後の昭和二十一年から二十五年までの東京の都心の超進学高校を舞台に、生徒会活動(自治憲章を持った行政委員と議員と監査委員の三権を備えた本格的なものです)などの民主主義ごっこ、芸術至上主義の天才願望、アンチ東大受験、抑えきれない性衝動などが、赤裸々に描かれています。
 これらが、どんどん高揚していく姿と、現実(特に東大受験)の前にあえなく挫折していく様子を、年代を追いながら描いています。
 今の読者からすると、登場人物たちの自意識過剰なエリート臭が鼻について読みにくいかもしれませんが、そういったものも含めて自分の弱さ(神経衰弱、自意識過剰、自律神経失調、性的な放埓など)を包み隠さずに率直に描く点が、柏原の作家としての特長でもあり限界なのかもしれません。
 創作体験を持ったことがある人なら誰でも経験することですが、ありのままの自分を作品の中でさらけ出すことは非常に困難なことなのです。
 どうしても、自分の秘密の部分(特に恥部)は、ストレートにはなかなか描けないものです。
 それを易々と行っているところに、柏原作品の魅力はあります。
 その一方で、そういった実体験に依存しすぎていて、もっと普遍的な大きな作品世界を描けなかったことは、柏原作品の限界でしょう。
 ところで、この作品を読むと、同じ芥川賞作家である庄司薫の「赤ずきんちゃん気をつけて」を初めとしたいわゆる赤白黒青四部作(他は、「白鳥の歌なんか聞こえない」、「さよなら怪傑黒頭巾」、「ぼくの大好きな青髭」)との類似性が感じられます。
 書かれたのはこの作品の方が先で、もしかすると庄司薫もそれを読んでいたかもしれませんが(後述の通り、二人は非常に近い所で生きていました)、直接影響を受けたのではないと思います。
 それよりは、同じ日比谷高校生(庄司作品は昭和四十四年の東大入試中止を時代設定にしていますが、庄司自身の日比谷高校生活は昭和二十七年から三十年ごろまでなので、柏原と入れ替わりぐらいのタイミングで体験しています)として、エリート意識、芸術至上主義、受験体制への斜に構えた姿勢、自意識過剰、裕福で恵まれた家庭環境などを、色濃く共有しているためだと思われます。
 なお、この作品は、戦争直後のある階層の中学生や高校生の生態を描いた、現在ならばヤングアダルト作品の先駆的な作品ですが、閉鎖的な児童文学界では、読んだことがある人もほとんどいないことでしょう。

柏原兵三作品集〈第2巻〉 (1973年)
クリエーター情報なし
潮出版社

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