ぶちょうほうの画(え)日記(一語一画(え))

亭主「ぶちょうほう」の身の周りのいろいろな風物を「画(え)日記」ふうに綴っています。

8/15日 木曽御嶽、山上の五湖巡り その4:一の池の外周巡りをして二の池近辺まで

2013-08-20 07:06:55 | 草花
ネット上のwikiに御嶽の年表的なものが有りましたので、興味あるものを抜粋しておきます。
〇702年(大宝2年)6月 役小角が開山]、国司高根道基が山頂の剣ヶ峰に御嶽神社奥社を創建
〇室町時代 - 修験者の登拝が盛んになった。
〇1785年(天明5年) - 尾張の覚明行者によって黒沢口が開かれた。
〇1791年(寛政3年) - 小坂口が開かれた。
〇1792年(寛政4年) - 6月 - 武蔵の普寛行者が王滝口を開いた。
〇1872年(明治5年) - 太政官通達により神社仏閣地の女人禁制が解かれた。
〇1979年(昭和54年)10月28日 - 南西側斜面で水蒸気爆発が発生、有史以来の噴火となった。
〇1984年(昭和59年)9月14日 - 御嶽山直下を震源としたM6.8の長野県西部地震が発生。

ついでにこの木曾御嶽の「日本一」を探してみます。
①:一番西にある3000m峰である。
②:二の池は最高所の湖沼である。
③:最高所に懸かる滝がある。
④:(未確認ですが)滝数の多いこと。

この中で「女人禁制」に興味が惹かれました。このことによって女人結界が解かれ、女性が今日のように当たり前に剣ヶ峰まで来られるようになったのですね。
しかし、この木曽御嶽はそれをクリアーできていますが、大峰山では未だに女人禁制のところがあるようですし、大相撲でもまだ女性を土俵上に載せていませんね。
こういうご法度がいつ解かれるのかその点に興味があります。

今回のレポートは一の池の外輪山を一周して、二の池の近くまでの紀行です。
剣ヶ峰から離れ始める ↓

まずは神社裏から岩の道を下り始め、対面の峰々を目指していきます。



噴気 ↓

向こうに王滝の岩峰が見え、手前の山腹から僅かな噴気(水蒸気)が見えても居ます。



一の池 ↓

一の池の「湖面」の位置まで下って来ました。ここに常時水が貯まっていたら、この「湖」が日本最高所のものとなるところです。



来し方 ↓

あそこが剣ヶ峰であり、実際には60mくらいしか下りていないのですが、随分高低差があるように見えます。逆光線で見づらさがある所為でしょうか。



山頂をズーム ↓

望遠で近づけてみると、こんなことになっていました。



もう一度地獄谷 ↓

人の立ち入るのを拒絶した凄い空間になっています。



継母岳 ↓

昨年、京都のお友達と訪ねたあの峰は、今回見るだけに止め、訪問するのは割愛しておきます。



イワツメクサ ↓

岩礫地で盛んに姿を見せてきます。



コマクサ ↓

木曽御嶽でコマクサを見ることは容易になって来ました。小生が記憶している生育地は・・・
この場所、白龍付近、五の池小屋付近、継子岳付近、四の池付近、三の池付近と概略6つの場所に生育しています。今回は訪れるのが遅くて、花がみすぼらしくなっていますが、それぞれの場所のものを見ていくことにします。



摩利支天山 ↓

今山行で計画にプラスして登ることに決めた摩利支天山がノビノビとした姿を見せています。



二の池 ↓

外輪山の北側の壁に雪を残し、それに接して二の池が見えてきました。
この後外輪山をたどり、二の池の湖面の高さまで下って行きます。



ミヤマダイコンソウ ↓

こういう花もまだ僅かに残っています。



二の池新館 ↓

二の池を拠りどころにして、山小屋が二軒、お互いに少し離れあって建っています。今回は新館の前をかすめて行きます。



イワギキョウ ↓

こちらのものもしぼんだものが見えますが、綺麗に咲いた花もあります。



ミヤマアキノキリンソウ ↓

本当はクモマグサを探していたのですが、花には遅くて、花びらの残ったものが有りませんでした。そこで、アキノキリンソウの元気なものにピンチヒッターをつとめて貰うことにしました。
コメント (8)
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