こないだの日曜日の午後の一般部で、センセーが言っていた。稽古に出てた皆は聞いてたけど、是非稽古に来れていない皆に聞いて欲しいと思って・・・。こっそりメモしてきました。
自分が別に仕事を持ちながら稽古をしていた頃、体調も体力も心の充実も揃っていた日は、一年に三日もあればいい方だった。そんな日を待っていたら、稽古に出れる日など無くなってしまう。悪い状態でも稽古にくれば、何とかなってしまう。もちろん、恐いだろうけど、現状の自分を認めて、今の自分に挑戦しに来たほうが、悩んでいるよりずっといい。きつい状況で来てるってことは、そこから負荷をかけてるってことで、それだけ自分に返ってくる。自主トレ一週間するよりもおもいきって稽古に来ちゃった方が、何倍も効果がある。自分もそうゆう経験があるからそう言ってるんだ。
自分の力が足りてるとか、足りてないとか、そんなこと考えるのは、もっと先で充分だ。
今日も稽古に来た皆に手伝ってもらってたけど、本当に久しぶりの人から言葉の壁を乗り越えて平日は毎日稽古に来る白帯の彼まで。それぞれにそれぞれのレベルでできる精一杯の相手をお願いして「ありがとう!また頼むな。」と全員に言っていた。
組手でめためたにされるのではないかと思っている人もいるのかもしれない。自分では現状に納得できないこともあるかもしれない。自分が来ないうちに沢山稽古に来て力をつけた人を見て辛いかもしれない。でもそれってしかたがないことだし、稽古でるよりいい方法があるなら道場はいらないよね。
センセーは、みんなの為に試合に出るわけではない。ゼロとはいわないものの、試合に出るのは自分の為だよ。弱い自分と戦う為だよ。あきらめかけた夢をもう一度追う為だよ。空手が好きだから・・・。そして悔しい思いがあるから。
昔は、全日本を見に来てくれとか言う人じゃなかった。でも試合を見るって事は、自分がやってるものとして有益なことだろう。、センセーが苦しい声出しながら必死に稽古してる姿は、同じ空気吸ってるだけでも迫ってくるものがある。でも何より文庫のみんなが、自分のことをさておいても、他人の為なら無理してしまう、そんな仲間だとわかっているから、稽古に来るきっかけにして欲しいから言ってるんだよ。
ふがいない自分を許せないのは自分だけ。自分に立ち向いにきてる人を笑う人がいるだろうか?文庫にはいないと思う。だって稽古に来れてる人だってみんなそうだから。いろいろな状況を押して、久々に決死の覚悟で来た人に勇気づけられることだってあるんだから。文庫道場に必要のない人はひとりもいない。たとえば人と比べたとして、何年かの遅れをとっても空手を続ける限り、どう変化するかなんてわからない。試合の勝ち負けならまだしも今の自分に勝つことは、誰でもその気になればいつからでも始められる。もっと稽古に出られたらと焦ってしまうけど、少しずつ少しずつやればいいそうです。自分は弱いなと本気で思っているならいつまででも続けることはできるだろう。でも弱虫な自分に会いたくない、認めたくない人には、道場は辛い場所なのかもしれない。でもそんな自分に挑戦できる場所が道場なんだよね。
センセーだって皆にまだまだ教わることがいっぱいあるんだ。センセーに教わったと思ってる人、稽古にきてやってよ。それがセンセーの願いだから。