「 命と命のつながりの強さ 」
アリを飼っていて死んでしまったらやはりがっかりするでしょうけど、数日で死んでしまうのと例えばですけど10年一緒に暮らしていて死んでしまってがっかりするのとではがっかりの大きさは大きく違うことでしょう。
人間でも動物でも命と命の結びつきの強さとは?と言う事を考えてみました。
距離もありますよね、動物園で好きな動物がいて死んでしまったらがっかりしますが、一緒に暮らしていた動物とはその大きさは違います。
時間と距離、時間と空間を共有することが自分にとってその命の重さが変わるなと思いました。
アリでも10年も一緒に暮らすとそうとう落ち込むはずです。
もう一つ名前も重要だなと思います。
記公のキコニャンたちも高齢なので亡くなるニャンコもいます。
遊歩道などで見かける名前を知らない地域ニャンコより親近感を覚え、亡くなるとがっかりします。
名前を知っている、あるいは付けるは大きな要素かなと思います。
時間は同じ時代を生きていると言うこと。
空間は距離感がありますが1番は同じ屋根の下から地域、国、地球と広がりがあります。
狭いほど繋がりは強くなるでしょう。
名前は知ることで特別な存在となることでしょう。
そんなことを考えながらこの数日暮らしています。
紫苑さんの仏壇スペースですけどテレビ台の上にしつらえました。
後は発注した位牌が届けば完成。
これ紫苑さんの為とやっていますが結局残った者の心の整理なんですよね。
それでも心の波が少しずつおさまっている感じがします。
母は寝ている時間が多くなっています。
寝たきりに限りなく近い感じ。
衰えるのをずっと見ている主介護者と外野は全く違いますね。
良く外に出ている兄弟が主介護者を非難したりするのは間違いだなと思います。
こちらは介護している人は誰でもでしょうけど重い荷物を背負っていて、やることをやるしか仕方ありません。
今は毎朝ポータブルトイレを洗浄するだけですけど、しもの世話が大変になったり、私が解らなくなったらずっしり重くなるなと思っています。
でも母はいるだけで良いなと思います。
何しろ、母が施設に入ったりしたら私は即独居老人になりますから。
あ~、目が悪くなったし、背中右脇が痛い。
絶対倒れないようにしなければ。
今日は午前中に記公を一回りして来たいなと思っています。
写真を撮りながらほぼ2時間のウォーキングです。
昨日は母を病院に連れて行きました。
内科はいつもの先生が水曜日なので違う先生です。
自分の担当では無いと真剣にみてくれないのか、あるいは母が高齢なので適当なのか?
ま、いつもの薬は2か月分出してくれました。
整形外科はかかっている先生で、MRIの画像を見せて貰って説明を受けました。
結構折れてるなと思いました。
高齢なのでこのまま少し安静にするしか無いようです。
二人でインフルエンザの予防接種を受けて帰りました。
夕方私は歯科へ。
暗くなるのが早くなりましたね。