
年末に実家に行ったとき、山道を散策していたらヤブムラサキの実が夕日に輝いていた。
ヤブムラサキに似ているが、葉っぱが毛深い、果実はヤブムラサキより少し大きいが、数は少なくまばらに付くと書かれている。どちらもクマヅラ科ムラサキシキブ属園芸店で売られているのはコムラサキあれは本当に実がよくつく。
私の年代では、オムツをした経験のある方は少ないだろうなあと思いながら、今のオムツの素晴らしさに感心しつつも、いくらオムツが優れものでも、そのおむつを替えるのは人の手が必要。
私の病気時代はかれこれ27年ぐらい前になる?まだ紙おむつでも吸収して固めるというものでなく、出ればすぐ冷えてしまい、替えないととてもじゃないが気持ちが悪くていられなかった。その時初めて赤ん坊のオムツはなるべく気をつけて替えてやらないといけないと思ったが、今はもう吸収して固まるので不快感はなさそう。
私もオムツは長くはしなかったと言うか、もう排尿すら自力で出来なくなり、カテーテルを入れて垂れ流し状態だった。勿論袋の中に(笑)尊厳も何もない状態だが、看護師さん医師には、尊厳を損なうことなく診て頂き介護して貰ったことにとても感謝している。
誰もオムツはしたくないし、最期まで自分でトイレに行けて終わればこれ以上の幸せはないと思う。
赤ん坊ならオムツは当たり前、誰も何も感じないけど、元気だった大人が、加齢と共に不自由になり、排便の失敗が多くなり、オムツになったとき尊厳を保ちながら上手く介護する、される側もなかなか難しいのかもしれない。
私の周りでも介護問題を深刻に考えなければいけない人が多くなりその悩みを聞く。
介護保険で何処まで見て貰えるかという現状。
老人虐待周りが気づいてもなかなか言えないと言う話しも聞く。
父はあっけない最期トイレの世話は母にも掛けなかった。母も肺炎から蘇り元気になったけど、もう82歳そう遠くない時期に介護が必要になるだろうと思う。
あれこれ思ううちにもうこんな時間になった。
ヤブムラサキに似ているが、葉っぱが毛深い、果実はヤブムラサキより少し大きいが、数は少なくまばらに付くと書かれている。どちらもクマヅラ科ムラサキシキブ属園芸店で売られているのはコムラサキあれは本当に実がよくつく。
私の年代では、オムツをした経験のある方は少ないだろうなあと思いながら、今のオムツの素晴らしさに感心しつつも、いくらオムツが優れものでも、そのおむつを替えるのは人の手が必要。
私の病気時代はかれこれ27年ぐらい前になる?まだ紙おむつでも吸収して固めるというものでなく、出ればすぐ冷えてしまい、替えないととてもじゃないが気持ちが悪くていられなかった。その時初めて赤ん坊のオムツはなるべく気をつけて替えてやらないといけないと思ったが、今はもう吸収して固まるので不快感はなさそう。
私もオムツは長くはしなかったと言うか、もう排尿すら自力で出来なくなり、カテーテルを入れて垂れ流し状態だった。勿論袋の中に(笑)尊厳も何もない状態だが、看護師さん医師には、尊厳を損なうことなく診て頂き介護して貰ったことにとても感謝している。
誰もオムツはしたくないし、最期まで自分でトイレに行けて終わればこれ以上の幸せはないと思う。
赤ん坊ならオムツは当たり前、誰も何も感じないけど、元気だった大人が、加齢と共に不自由になり、排便の失敗が多くなり、オムツになったとき尊厳を保ちながら上手く介護する、される側もなかなか難しいのかもしれない。
私の周りでも介護問題を深刻に考えなければいけない人が多くなりその悩みを聞く。
介護保険で何処まで見て貰えるかという現状。
老人虐待周りが気づいてもなかなか言えないと言う話しも聞く。
父はあっけない最期トイレの世話は母にも掛けなかった。母も肺炎から蘇り元気になったけど、もう82歳そう遠くない時期に介護が必要になるだろうと思う。
あれこれ思ううちにもうこんな時間になった。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
お父さまは本当に急逝されたのですね。
うちは介護というほどのものではなかったですが
やはり呼吸器を患って点滴をし、次第に排泄する感覚が薄れていった義父は
自分でオムツをすることを決意しました。病気が苦しいのと何ともいえないもの悲しさであの時の表情は忘れることができません。
やはり長くは患いませんでしたが、その時に死を意識していたのではないかと思います。
人生の最後のときにこんな悲しい思いをしなければ逝けないなんてとよく思います。
今年もブログの方はマイペースでやっていくと思いますが、またよろしければ遊びにきてくださいませ。
父は誰もが予想しなかった急逝でした。土佐弁で言うところの『いごっそう』我慢してなければ助かったと思いますが、それはそれで父らしい最期だったかと思います。腹膜炎が原因でした。
瑠葉さんのお義父さまは、点滴など治療の期間が有ったので、オムツはやむをえない選択だったと思います。でも、息子さんからも、お嫁さんである瑠葉さんからも愛されたお義父様、悲しい決断でも、皆さんの思いやりで尊厳を損なうことなく最期まで生きることが出来たのではないかと想像しています。
私の方こそ、相変わらずの田舎の話しと、植物の話し更新もさぼりがちになりましたが、遊びに来て頂けると嬉しいです。
紙おむつは、蒸れて不快間があります。
難しい問題ですが、ケースバイケースで使っていけば良いと思います。
布オムツは洗濯と言うことを考えたら、大変だと思います。
私の周りは介護する立場の人が多く、やっぱり介護の大変さを感じます。私自身の考えでは、身内よりやはり他人というか、プロの方にお世話して貰った方が両方幸せじゃないかと思います。
まだ世話をしない嫁さんや身内を冷たいと見る世間の視線も感じますが、私は公の介護を勧めています。今回の問題も親子双方がやっと介護を頼む気持になってくれ、良かったと思っています。
でも介護保険だけでは充分な介護は出来ないと実感しているのも事実です。
それぞれの事情があり、生まれ育った故郷を捨てるわけにはいけないと思いますが、基本的な生存権が守られているかと言えば、そうではありません。
記事を読んでいろいろと考えてしまいましたが、現実にそこに住んでいない者がどんなことを言っても、決してその苦労はわからないだろうと思いました。
でも、元気でなくなったらと考えると、本当に辛いです。
どうすればいいのか勿論私に分かるわけはないですが、只言えることは、街にいても過疎地にいても、体の自由が利かなくなったら、一人では生活が出来ないと言うことですよね。
今病院に代わって、高齢者を預かってくれるところも結構有るみたいで、実家の方でも家で寝たきりの人を介護しているというのはあまり聞きません。
方針を変えても同じような気がします。ベッド数を減らす病院が新たにそういう施設を造る何だか無駄をしているようにも思うのは私だけでしょうか。
リュウマチが出て足が腫れて歩き辛く、トイレが間に合わないからと、姉が買って来たらしいのです。
母は「助かった」と喜んでいましたが、姉は「いきなり紙おむつでは可哀想だから」と配慮したらしいのです。
母の場合はもう充分高齢ですが、それでもこうして母の心を傷つけまいとする姉に頭が下がる思いでした。
何時かはそうなる。それを肝に命じておかなくてはいけない。高齢化社会になっているのだから、他人様のお世話になるのも目に見えている。
母のように娘に気遣ってもらえるのは幸せなのかも知れない。
それでもやっぱりあまりお世話を掛けずに逝きたいね。
今オムツ関係と言うか、介護用品はとても良いのが出ているし、コマーシャルも明るくしているので、抵抗は少ないかも知れませんね。
お母様はお姉様が見守って下さっているから随分助かりますね。
介護はプライドを傷つけないように心がけたいと思っていますが受ける側も感謝の心を持たないと上手くいかないように思います。
いずれは自分の身にふりかかって来ることですよね。
私も自分の老後のことを考えて息子と同居をしましたがやはり面倒はかけたく無いとおもいますので元気でいなきゃぁとつくずく思います。
嫁も表面やさしい人ですが人には言えない部分もありいざとなったらやはり娘かなーと考えたりします。
父が亡くなる前一ヶ月間は夜は隣で寝て尿瓶を使いましたが母はトイレまで行っていました。
けれど付いていくのは義姉しか駄目でした。
いくら娘でも誰にでも見られたくは無かったのでしょう。幸いオムツを使うことなく自尊心も傷つくことなくすみました。何時まで元気でいられるか頑張らないとと思います。
最期なんて誰にも分からないんですから。
一番は元気で暮らしてあっけなく逝くことですね。
つらつらさんのご両親は、優しく介護して貰える普段からの生活だったと思います。娘よりお嫁さんを頼る、それは賢いお母様だと思います。
良いことは娘、汚いことは嫁さんというのでは決して上手くいかなかったと思います。
あっけなく逝く事に心残りのないように、このガラクタをスッキリさせたいと思いながら、まだ明日も明後日も来年も再来年もあると思っている呑気な私です。