台風クラブ=玉木研二
2012年3月 8日 毎日新聞
台風接近で学校が早引けになり、下校路で覚えた胸騒ぎ、張り詰めた気分。次第に生暖かく、木立をざわつかせて吹き抜ける風。雲が先を急ぎ、雨を含んで暗さを増す空。ところどころ板を打ちつけている家......。
1985年8月に公開された「台風クラブ」(相米(そうまい)慎二監督、加藤祐司脚本)は、むろん、そんな子供時代の思い出に浸る映画ではない。
だが、無縁ではないと思う。まがまがしく、えたいが知れぬ、しかし心をときめかせるような「何か」が迫って来る。この作品が描く思春期の混乱した感覚、心理は、誰しも子供の時、台風接近に感じたものと似ていないだろうか。
さてそのストーリー。
東京からは遠い、山あいの町(ロケ地は長野の佐久)。台風が来たのに下校し遅れ、学校から帰れなくなった中学3年生たち。一方、家出して上京し、大雨の原宿に降り立った同級生。無気力な教師......。台風を媒介にしてこうした人物たちの葛藤や好奇の行動が交錯し、奔放な表現が繰り広げられる。
三浦友和さんが見事に演じた問題の数学教師梅宮。アイドル俳優のイメージは全く消し、人生を投げた、ルサンチマン(怨念(おんねん))で腐りきったような三十男になりきった。その失意の理由を映画は具体的に示しているわけではない。だからこそ、梅宮はどこにでもいる普遍的存在になる。
だらしがない。授業中、同棲(どうせい)相手の母親がやくざの弟を連れて教室に乗り込んできて、娘と結婚するのかしないのかはっきりしろ、と迫る。それを後で生徒に追及されても説明できない。
台風の夜中。学校に残った成績優秀な生徒の三上が、校長室から梅宮の家に電話する。ベロベロに酔っぱらっている彼に三上は言う。
「先生、一度真剣に話してみたかった。でもあなたは終わりだと思う。僕はあなたを認めない」
梅宮は泥酔しながらも言い返す。「いいか若造、お前はなあ、今どんなにえらいか知らんがなあ、15年たちゃ、今の俺なんだよ。あと15年の命なんだよ、覚悟しとけよ」
三上は断言する。「僕は絶対にあなたにはならない。絶対に」。ガチャンと切る電話。「何言ってやがる。バカヤロー」とつぶやきながら、梅宮は台風で土砂降りの戸外にふらつき出る。
私には、なぜか最も印象深いシーンだ。
学校に残った生徒は男女6人。浮き立つ心をカセットレコーダーの「バービーボーイズ」の曲で踊りに乗せ、やがて下着姿になって校庭で踊り続ける。この時、皆で歌うのが「わらべ」の「もしも明日が」である。そして疲れきって教室の床で眠りに落ちる。独り三上は何か思いつめて座っている。終盤、彼はある驚くべき決意を実行する。
一方、工藤夕貴さん演じる同級の女子生徒、理恵。家出し、夕方、東京の山手線原宿駅竹下口に立っている。やはり台風で雨。若い男に声をかけられ、あこがれのブティックにも寄り、土砂降りの中、アパートに誘われる。
理恵「大学生ですか?」
男「そんなもん」
理恵「東大ですか?」
男「まあな」
理恵は疑うことを知らない。男に家出の理由を言う。
「私いやなんです、閉じ込められるの。閉じ込められたまま年とって、土地の女になっちゃうなんて、耐えられないんです」
しかし、ふっきれない。
「やはり帰ります。みな心配しているから」。怒る男を後に、少女は大雨の夜の街に飛び出し、駅に走る。
大人へと通過する思春期に待ちうける、内面の試練と冒険。大人になることへの渇望と嫌悪感、拒絶感。絶えずよみがえる若さと、コントロールが利かない感情。大人の目からは、この映画に、いろんなことが読みとれるだろう。少し懐旧の思いをかみしめながら。
相米監督は盛岡生まれ、団塊世代に当たる。2001年に病没、53歳の若さだった。カットせずにカメラを回し続ける「長回し」が特色で、大胆、斬新な演出で引きつけた。演技指導は厳しかったといわれる。監督作品13本。81年の「セーラー服と機関銃」は大ヒットした。私は83年の「ションベン・ライダー」が好きだ。中学生たちが体を張ってやくざに挑むのである。
「台風クラブ」は85年の第1回東京国際映画祭ヤングシネマ,85部門の大賞に選ばれた。海外の評価も高い。
公開日の8月31日、ちょうど台風13、14号が九州と関東に「アベック上陸」し、列島を駆け抜けた。
世はバブル景気の到来前夜。映画で台風の夜に中学生たちが浮かれ踊ったように、やがて嵐のような地価高騰や一極集中の景色が現れる。
2012年3月 8日 毎日新聞
台風接近で学校が早引けになり、下校路で覚えた胸騒ぎ、張り詰めた気分。次第に生暖かく、木立をざわつかせて吹き抜ける風。雲が先を急ぎ、雨を含んで暗さを増す空。ところどころ板を打ちつけている家......。
1985年8月に公開された「台風クラブ」(相米(そうまい)慎二監督、加藤祐司脚本)は、むろん、そんな子供時代の思い出に浸る映画ではない。
だが、無縁ではないと思う。まがまがしく、えたいが知れぬ、しかし心をときめかせるような「何か」が迫って来る。この作品が描く思春期の混乱した感覚、心理は、誰しも子供の時、台風接近に感じたものと似ていないだろうか。
さてそのストーリー。
東京からは遠い、山あいの町(ロケ地は長野の佐久)。台風が来たのに下校し遅れ、学校から帰れなくなった中学3年生たち。一方、家出して上京し、大雨の原宿に降り立った同級生。無気力な教師......。台風を媒介にしてこうした人物たちの葛藤や好奇の行動が交錯し、奔放な表現が繰り広げられる。
三浦友和さんが見事に演じた問題の数学教師梅宮。アイドル俳優のイメージは全く消し、人生を投げた、ルサンチマン(怨念(おんねん))で腐りきったような三十男になりきった。その失意の理由を映画は具体的に示しているわけではない。だからこそ、梅宮はどこにでもいる普遍的存在になる。
だらしがない。授業中、同棲(どうせい)相手の母親がやくざの弟を連れて教室に乗り込んできて、娘と結婚するのかしないのかはっきりしろ、と迫る。それを後で生徒に追及されても説明できない。
台風の夜中。学校に残った成績優秀な生徒の三上が、校長室から梅宮の家に電話する。ベロベロに酔っぱらっている彼に三上は言う。
「先生、一度真剣に話してみたかった。でもあなたは終わりだと思う。僕はあなたを認めない」
梅宮は泥酔しながらも言い返す。「いいか若造、お前はなあ、今どんなにえらいか知らんがなあ、15年たちゃ、今の俺なんだよ。あと15年の命なんだよ、覚悟しとけよ」
三上は断言する。「僕は絶対にあなたにはならない。絶対に」。ガチャンと切る電話。「何言ってやがる。バカヤロー」とつぶやきながら、梅宮は台風で土砂降りの戸外にふらつき出る。
私には、なぜか最も印象深いシーンだ。
学校に残った生徒は男女6人。浮き立つ心をカセットレコーダーの「バービーボーイズ」の曲で踊りに乗せ、やがて下着姿になって校庭で踊り続ける。この時、皆で歌うのが「わらべ」の「もしも明日が」である。そして疲れきって教室の床で眠りに落ちる。独り三上は何か思いつめて座っている。終盤、彼はある驚くべき決意を実行する。
一方、工藤夕貴さん演じる同級の女子生徒、理恵。家出し、夕方、東京の山手線原宿駅竹下口に立っている。やはり台風で雨。若い男に声をかけられ、あこがれのブティックにも寄り、土砂降りの中、アパートに誘われる。
理恵「大学生ですか?」
男「そんなもん」
理恵「東大ですか?」
男「まあな」
理恵は疑うことを知らない。男に家出の理由を言う。
「私いやなんです、閉じ込められるの。閉じ込められたまま年とって、土地の女になっちゃうなんて、耐えられないんです」
しかし、ふっきれない。
「やはり帰ります。みな心配しているから」。怒る男を後に、少女は大雨の夜の街に飛び出し、駅に走る。
大人へと通過する思春期に待ちうける、内面の試練と冒険。大人になることへの渇望と嫌悪感、拒絶感。絶えずよみがえる若さと、コントロールが利かない感情。大人の目からは、この映画に、いろんなことが読みとれるだろう。少し懐旧の思いをかみしめながら。
相米監督は盛岡生まれ、団塊世代に当たる。2001年に病没、53歳の若さだった。カットせずにカメラを回し続ける「長回し」が特色で、大胆、斬新な演出で引きつけた。演技指導は厳しかったといわれる。監督作品13本。81年の「セーラー服と機関銃」は大ヒットした。私は83年の「ションベン・ライダー」が好きだ。中学生たちが体を張ってやくざに挑むのである。
「台風クラブ」は85年の第1回東京国際映画祭ヤングシネマ,85部門の大賞に選ばれた。海外の評価も高い。
公開日の8月31日、ちょうど台風13、14号が九州と関東に「アベック上陸」し、列島を駆け抜けた。
世はバブル景気の到来前夜。映画で台風の夜に中学生たちが浮かれ踊ったように、やがて嵐のような地価高騰や一極集中の景色が現れる。