chuo1976

心のたねを言の葉として

ⅩⅩⅩⅣ「「ワルシャワ蜂起」を観る聴く   『エイガニッキ』 SASHI-ハラダ  2015/12/03

2015-12-03 05:34:51 | 映画

ⅩⅩⅩⅣ「「ワルシャワ蜂起」を観る聴く   『エイガニッキ』 SASHI-ハラダ  2015/12/03

 

 

 遺された過去の映像に、監督がカメラの撮影者で在ったろう人々の言葉を重ねた、監督の一つの遺されたフィルムに対する解釈だ、捕らえ方だ、しかし、そんなドラマなど作り出さなくても、ここに遺されたフィルムばかりで充分見る者を撃つ、そもそも私たちは言葉では、歴史としてワルシャワ蜂起を知っているが、その現実は何も知らなかったとしか思えなく成る映像たち、ドラマとしてポーランドでは、背景にある蜂起は取り上げられて居るのだが、ドラマに魅せられて、その実際の戦いは、知らない、蜂起直後の人々の姿、通り、建物、若者、老人、女性、子供たち、その笑み、希望、だが、どこからも助けがなくて、ドイツ軍に虐殺される、難民と化して逃げ出していく人々、彼らを捕らえた映像、廃墟と化したビル、通り、街、誰も居ない破壊連れた街、ドイツ兵が僅かに歩く街、最前線での戦闘シーンも撮られたかもしれないが、そのカメラマンは死して、フィルムも消えて仕舞ったか、ソ連の、イギリスの、アメリカの大戦後処理の思惑の直中に放置されたワルシャワ、しかし、これは沖縄も同じではないか、そんな沖縄戦とその後の映像も、「沖縄 うりずんの雨」の中に現れて、カラーで、私たちは、沖縄戦もまた満足に知らない、同様に、広島も、長崎も、全国の空襲も、余りに知らない、想像力がまだまだ欠けている、見ることの力が足りていない、聞くことの力が、「硫黄島 地獄の36日間」のアメリカで撮られたドキュメントを見ても、これまた知らなすぎるのだ、全て終わったかのごとくに語られて、始末されて、最前線の生死ばかりで無く、政治として、今日現在の国の在り方として、ワルシャワの現実も、沖縄も、生き続けてある、硫黄島の上陸前の爆撃も艦砲射撃も、派手なばかりで、日本軍の塹壕は何も破壊できなかった、ならば、そのままに今日、シリアでの爆撃では何がなされているのか、何も、派手なばかりで、ソ連もアメリカもフランスもイギリスも在庫整理ばかりで、せいぜい民間人が死していくのみではないのか、イメージの効果ばかり、テロリストもこの映像の騒ぎに同調している、互いに勇ましく雄叫びを上げているのだ、近い歴史に限っても沢山の参考出来る戦闘が戦争があるのだから、根気良くそんな愚かしい戦いの姿を見直そうではないか、己の家族がそこに居た居ないではない、己の国が参加して居る居ないでは無い、ワルシャワは、朝鮮半島は、ベトナムは、パレスチナは、イラクは、その他多くの、その戦争は何であったのか、しかし、ボーランド映画祭で上映されたこの「ワルシャワ蜂起」は公開はされるのかしら、

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札幌国際芸術祭

 札幌市では、文化芸術が市民に親しまれ、心豊かな暮らしを支えるとともに、札幌の歴史・文化、自然環境、IT、デザインなど様々な資源をフルに活かした次代の新たな産業やライフスタイルを創出し、その魅力を世界へ強く発信していくために、「創造都市さっぽろ」の象徴的な事業として、2014年7月~9月に札幌国際芸術祭を開催いたします。 http://www.sapporo-internationalartfestival.jp/about-siaf