chuo1976

心のたねを言の葉として

ⅩⅩⅩⅤ「花芯の刺青 熟れた壺」を観る聴く   『エイガニッキ』 SASHI-ハラダ  2015/12/04

2015-12-04 04:56:00 | 映画

ⅩⅩⅩⅤ「花芯の刺青 熟れた壺」を観る聴く    『エイガニッキ』 SASHI-ハラダ  2015/12/04

 路地を歩く娘、美しい娘、実家に戻ってきた、未だ若い夫人、だが、姉では無い、義理の母なのだ、夫人の夫は既に死して、夫の家業の人形作りを継いでいる主人公、久しぶりの実家の娘、食事、まずは風呂、だが、二人して入るのだ、このエロス、素晴らしい、スタイルの良い二人の体、母はなんとか大学生にまで育て上げたのだから、後はお嫁に出すばかりと、溜まらずに母の胸を抓る娘、一生二人で暮らすつもりの娘、二人の関係は、どこかロマンが、母はあくまで受け身、見つめるばかり、そんな母のビジネス相手の人形卸の社長、会社でも事務員の娘のスカートをまくって尻を舐めている、主人公を誘って、料亭、薬を盛って眠らせて犯してしまう、その帰りのいたたまれない雨の中、主人公を見つめる一人の男、社長も、この男も、主人公を見つめる、求める、この視線たちに対して何も出来ない主人公、雨宿り、濡れた足袋を脱ぐ主人公、しゃがんでいる主人公、白いかかと、首筋、社長はその後、主人公の屋敷にまでも、求める社長、拒む主人公、そこに娘、見てしまう、母の姿、怒り、主人公に連絡が、娘が事故で病院に、走る走る、あの社長とのことを見て飛び出して車とぶつかったのだ、足を怪我した娘、娘は駆けつけた母を詰る、大した怪我では無いと、謝る事故を起こした車の青年、互いに見つめ合って、この間、娘はこの青年に連れられて屋敷に戻ってくる、語られる名、過去に知って居た死した役者の息子なのだ、人形を一目見て道成寺と理解する青年、娘は誘って青年に抱かれるままに、二階と下の主人公の部屋、階段で繋がるが同一空間の間、二階の窓から下の部屋が空間として繋がっているのだ、仕切られていない、だから、覗けるとも、聞こえるとも、上下の互い違いでは在るが同居する空間、美術の勝利、居たたまれない主人公、娘はあの社長とのことの反抗なのか、主人公は友人の営むバーに、その女将は昔なじみ、思い出の歌舞伎役者の話、舞い、事故の青年の父なのだ、だが、この過去を思い出してのシーンで舞っているのは女将では無いか、ならば、主人公に取っての舞いの主体とは女将では無いのか、憧れ求めているのは女将では、友情よりも、恋なのでは無いか、お披露目の時に橋で主人公の見つめる歌舞伎役者、小舟に乗り込む役者、見とれる彼方の役者、主人公はまたしても役者を求めている、だから、死した役者とこの見ている役者とは、同じなのだろうか、違うのか、判らない、しかもそこに何故かすれ違い見つめる男が居る、だから、過去では無いらしい、いや、既に過去のある時点から男は見つめてきたのだとも言えるのだが、観られる主人公はまた、彼方に憧れ観る主体としてある、青年と娘のデイト、ビルの谷間の川での足踏みボートでのデート、帽子をわざと飛ばす娘、音楽、歌、つれない娘に困惑する主人公、バーの女将の元、酒、主人公は酔って、渡る橋の俯瞰、いつも見つめていた男が、時期を待っていたか、主人公を誘い己の部屋に、彫り物師なのだ男は、客が現れて、見ていなさいと、一目見て走り去る主人公、しかし、ここに何を見た、己の欲望、どんな、彫られる、彫り上げて見せつける、判らないままに、青年は一目見たときから、母の方に惹かれて、主人公を訪う、そして連れだって役者の屋敷の中に、青年の父親の残した衣装、見とれる主人公、素晴らしい衣装、この衣装が主人公に着せられて、過去、幼い少女、不気味な面の男が襲いかかる、主人公は過去に、弄ばれた、誰に、役者に、いや、これは夢かもしれない、幻想かもしれない、見られたい、見つめられたい、襲われたい、ならば、襲った役者と、あの彼方に小舟の中に見いだした役者とは、同一、判らない、主人公の欲望が分裂している、幻想の舞いの人物も女将なのだから、そして今、あこがれの衣装と共に青年に抱かれて、そこに娘が現れる、ここに居たのねと、影に隠れるしか無い主人公、娘は求めて青年に抱かれるのだ、二人のセックス、怯えて、涙で見つめるばかり、襲われたときの悲しみを反復しているのだろうか、いや、求めてやまない己の欲望に困惑しているのだろうか、でも、誰に対する欲望、青年か、死した役者か、娘か、女将か、彼方の役者か、分裂している、ついには耐えられずに一人股間に手を這わせるばかり、求めるのか、押さえているのか、この分裂の叫びが、外を走る、求める、彫り物師の元に、道成寺を彫ってと、かくて二人の格闘が始まる、白い肌、苦痛に歪む主人公の顔、血、色彩、彫り上がっていく、出来上がり、風呂に、悲痛、そんな主人公を後ろから抱く彫り物師、反り返る主人公、そして、化けるのだ、体の蛇に成り代わる、映像の色彩の変化、主人公の姿、表情の変化、彫り物師を押さえ込み、飛び出していく、既に獣だ、狂気だ、青白く陰った色彩、不気味だ、しかし、これは現実か、彫られている女の幻か、娘と青年が抱き合っている、そこに襲い掛かる、青年を抱きとめて、背を、刺青を見せつけて、その蛇が舞うごとく、鏡に映し出される主人公、彼女の、欲望は収まりはしない、今までの抑圧から、舞い上がり、過去の少女の時から、いつも、押さえつけられてきた、見られ、己では彼方に憧れるばかり、今、己から、成り代わった、化け物に、収まりつかず、鏡は割れて、散り散りに、主人公の欲望の分裂、どこに、娘に、青年に、女将に、役者に、過去に、彫師に、この分列が叫ぶ、もはや、生き延びられない、千切れ飛ぶばかりの己、割れて鏡の破片を胸に突き立てて、彫られた竜の目から血の涙が流れる、こんな欲望の、分列した、怒りの、悲しみの、苦悩の、叫びを生きるとは、血まみれの肉体でしかない、その生には、先が無い、悶えるばかりの主人公、彫られることで、その一鑿ごとに、欲望が破裂した、舞い散った、結構です、この主人公を誰も止められない、夫との関係は、社長との関係は、欲望は、これもまた、捨て去ることも出来ないのだう、何所かで知って求めていたのだとも言えるから、夫との作り事の中で培ってきた欲望とも、部屋の中の高見からのカメラ、主人公と他の人物とを同時に同じ空間に捕らえる、間、狭い日本家屋だから、縦から見つめるしか収まらない関係、位置、下に、奥に、上に、空間を斜に過ぎって、欲望と共に、   

 

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札幌国際芸術祭

 札幌市では、文化芸術が市民に親しまれ、心豊かな暮らしを支えるとともに、札幌の歴史・文化、自然環境、IT、デザインなど様々な資源をフルに活かした次代の新たな産業やライフスタイルを創出し、その魅力を世界へ強く発信していくために、「創造都市さっぽろ」の象徴的な事業として、2014年7月~9月に札幌国際芸術祭を開催いたします。 http://www.sapporo-internationalartfestival.jp/about-siaf