chuo1976

心のたねを言の葉として

ⅩⅩⅩⅥ 「バードマン」「セッション」を観る聴く 『エイガニッキ』 SASHI-ハラダ  2015/12/08

2015-12-08 03:49:38 | 映画
ⅩⅩⅩⅥ 「バードマン」「セッション」を観る聴く   『エイガニッキ』 SASHI-ハラダ  2015/12/08 

 名画座の二本立てです、これほどだめな作品を二本並べるとは、早稲田松竹もなか
なかです、これほど愚かしい映画を最後まで編集する監督もなかなかです、二本とも
しっかり見てしまう私もなかなかです、監督もよほどの覚悟が在ったのでしょう、こ
れを最後に映画界から去る気持ちなのでしょうか、ご苦労なことでした、最後まで行
かずに、止めてしまえばそれで良かったのに、時間の無駄です、そんな時間に付き
合ったわたしはなにもの、偶々酷い映画二本に当たったのでしょうか、何がだめって
深刻そうにドラマを仕立てようと必死、そのためのカメラワーク、編集、これこそ、
今、シリアでのニュースで使われている映像なのではないか、パリの、アメリカのテ
ロのニュースとして、テロリストはテロリストらしく無ければいけないのか、まさ
か、そこらの一般の人たちが、アラブ諸国で、ヨーロッパで、アメリカでテロに加
わっているのだ、大戦時だって、日本のそこらの若者が最前線に、大学生のインテリ
が神風と成っていたのだ、今日の不気味さは、隣の平凡な暮らしの人々がテロリスト
とばかり、元々そんなものだ、私はテロリストと見せかける馬鹿がどこに居る、空爆
している兵士だって、国ではそれこそ普通のフランス人、ロシア人、イギリス人、ア
メリカ人だろうに、パリでは弔いの映像たちが、悲しみの人々の映像たちが、シリア
の映像は、空爆する戦闘機からの映像たちばかり、こうして、被害者としての国々と
してのヨーロッパ、アメリカ、というドラマが仕立てられていく、敵はテロリスト、
見えない怖いテロリスト、狂信者、注意しろ、しっかり始末しておかないと危ない、
今のうちだ、徹底的に攻撃し始末しろ、だが、テロリストとは何、どこからやってき
た、どうして生まれた、隠されて、一方、シリアの地上の映像は、あり得ないか、し
かし、山形映画祭には在った、「銀の水-シリア・セルフポートレート」は確かに、
空爆前の映画だから、空爆を受けた現実ではないが、シリアの今日の現実に迫ろうと
する、その不可能と可能の狭間の痛ましさを見事に捉えた、斯くした映画が在るの
だ、他にまだ在るかもしれない、この可能性を求めて観ていかなくては、隠されて、
作られて仕舞って在る世界の現実は、何も判りはしないのだ、だからこそ、山形にも
足を運ばせなくてはいけないのだ、動かなくては、見えてこない、シリアが見えてこ
なくては、空爆も判らない、今日の世界を知らなくては安倍さんの評価も出来ない、
こんなことをふらふら考えながら帰宅する私ならば、かくも考えさせるこの二本の映
画はただものではないかもしれない、彼らの次期作品にも足を運ぼう、
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札幌国際芸術祭

 札幌市では、文化芸術が市民に親しまれ、心豊かな暮らしを支えるとともに、札幌の歴史・文化、自然環境、IT、デザインなど様々な資源をフルに活かした次代の新たな産業やライフスタイルを創出し、その魅力を世界へ強く発信していくために、「創造都市さっぽろ」の象徴的な事業として、2014年7月~9月に札幌国際芸術祭を開催いたします。 http://www.sapporo-internationalartfestival.jp/about-siaf