chuo1976

心のたねを言の葉として

ⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅦ「Betty」を見る聴く、   『エイガニッキ』 SASHI-ハラダ  2020/5/26

2020-05-26 05:13:32 | 映画

ⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅦ「Betty」を見る聴く、   『エイガニッキ』 SASHI-ハラダ  2020/5/26

  パリの街中、一人の女がバーに、カメラは外からガラス越しに座っている女を捕らえる、席を立ち、戻り、男たちが屯している、暫くして、男と共に外に現れる女、車に、頻りに煙草を燻らせる女、男は医師だと、レストランに、誘う男、狙いは、女のアップ、肌の、皮膚の、表情まで読み取れる映像、不気味、そしてまたアップ、額の汗、雨に濡れたか、汗か、女の濡れた髪、酒を頼み、頻りに飲む、煙草を吸う、休む間もなく、ウェイター、男の誘いで何やら小さな器具、注射針、そこに男が現れて、医師を連れ出す、主人公である女の元に、店の主人か、誘い連れ行く屋敷、貴婦人の如き女、ベッドの主人公、目覚めて、朝食、こうして此処での生活が始まる、貴婦人の狙いは、主人公はどこから、挿入される過去、主人公の頭に浮かぶのだろうか、客観描写か、判らない、お屋敷の若奥様だった主人公、夫、幼い姉妹の子供たち、傲慢な母親、夫の兄弟夫婦、匿ってくれている貴婦人と男、二人の関係は、セックスの声が聞こえて目覚めて、見てしまう主人公、だが、出ていく様子もなく、寝ているばかりの主人公、過去の眼鏡の男、愛人か、弁護士か、医師か、幼いころの父と女のセックス、父は誰を犯していた、母か、姉か、使用人か、判らない、真の父だろうか、育ててくれた叔父か、そもそも、主人公の両親とは、いや、主人公もまた、犯されていなかったか、少なくとも、視線としては見せ付けられていた、こうして育って、学校に、カフェで知り合った夫、若く美しい主人公、資産家の夫に見初められて、何処か育ちが違う、馴染めない、が、夫の意向で結婚、子供が生まれて、だが、躾は夫の母が、厳しい母、厳格なブルジョア一家、全ては一家の為に、ならば後継ぎが生まれないのは主人公のしくじりなのでもあるのか、満たされない思い、サックス奏者との恋、屋敷に招いて、裸で、青年のサックス、ソファで抱き合う姿を急遽戻った家族に見られてしまった、離婚するしかない、幼い子供たちは取られてしまって、行き場のないままに、街に、彷徨うしかない、飲んで、飲みくずれて、誘われ、連れ込まれ、抱かれ、弄ばれて、追い出され、風雨に晒され、宛ても無いままに、始まりのシーンに、資産家の母は何の為に生きている、あくまで家のために、息子も、嫁も、家のため、恋など関係ないのだ、だから、夫の恋故の結婚など、興味なかったろう、生まれた幼い子供、姉妹、彼女の采配は、従うしかない駄目息子、娼婦の様に抱かれる主人公、匿った貴婦人の優しさ、話の聞き役、だが、此処で挿入されるシーンは、主人公の語り、だが、真実とは限らないでは無いか、主人公の思い込みかも知れない、聞き入る貴婦人の思い込みとも、だから挿入されたシーンは危ういのだ、私たちが、監督含めて、こんなではなかったかとロマンを馳せたばかりではないのか、単なる娼婦に過ぎない、いや、単なる娼婦たちが、何処か皆こんなドラマの中に在るのでは無いのか、そんなドラマに感心して惹かれる者たち、突き放す者たち、弄ぶ者たち、貴婦人はドラマに嵌まり、結果として、己の男を寝取られてしまった、あくまで匿う側のこれまた傲慢な立場にあったが、資産家の母親と一緒なのだ、これがフランス、国家、ブルジョア、権力、恋などたわいないと、だが、別れた夫が訪ねて労る、彼に取ってはやはり、恋する女なのだ、幼い子供の母親なのだ、だが、何処か拒んで、己の道を行く主人公、頭を垂れて、さようなら、子供までも捨て去って、これまた、主人公の傲慢とも、身勝手とも、そして、貴婦人の男を寝取って、新しいロマンの世界に、貴婦人は一人去って行く、何処に、この囲いの匿いの世界の支配者は己ではなくなってしまった、屋敷を采配するのは、貴婦人ではもはやない、主人公なのだ、資産家の家でも、母親が全てを牛耳っているようで、主人公の思いが夫を動かし、屋敷に招き寄せ、子供を産み、愛人を誘い、裁いた、だが、夫の思いは、子供たちは、母親の権力はいつまで続く、危うい最中に在るのでは、知らず、主人公の恋が、欲望が、快楽が、お屋敷たちに、充満していく、そして、その外にまでも、バーに、クラブに、レストランに、通りに、街に、パリに、国家に、これこそが、革命なのだとも、知らず、主人公すら判っていない、貴婦人の男と共に、部屋の中、水槽の熱帯魚を見詰める主人公、水槽の反対側から手前側から映される主人公の姿、熱帯魚と共に、飼われているのか、外に飛び出しているのか、己の意思なのか、結果なのか、判らない、新しい女の女将の在り方か、いや、彼女にそんな算段があるとは思えないのだが、まさに、これこそが、今日の現実、知らず権力にならなければ良いのだが、心引きつける腰つきで、世界を惑わすばかり、溜まらない私たち、だが、この欲望の外は無いのだ、

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

札幌国際芸術祭

 札幌市では、文化芸術が市民に親しまれ、心豊かな暮らしを支えるとともに、札幌の歴史・文化、自然環境、IT、デザインなど様々な資源をフルに活かした次代の新たな産業やライフスタイルを創出し、その魅力を世界へ強く発信していくために、「創造都市さっぽろ」の象徴的な事業として、2014年7月~9月に札幌国際芸術祭を開催いたします。 http://www.sapporo-internationalartfestival.jp/about-siaf