相模原事件の「闇」 関川宗英
植松聖と新自由主義①
2016年、19人の障害者を包丁で殺した植松聖は、犯行後心神喪失で無罪放免になることを願っていたらしい。そして、生涯の暮らしに必要な5億円のお金を要求している。
当時の衆議院議長大島理森に宛てて書かれたという彼の手紙を読むと、暗澹たる気持ちに襲われる。
「植松聖が衆議院議長に送った手紙」(2016年2月15日)
議院議長大島理森様
この手紙を手にとって頂き本当にありがとうございます。
私は障害者総勢470名を抹殺することができます。
常軌を逸する発言であることは重々理解しております。しかし、保護者の疲れきった表情、施設で働いている職員の生気の欠けた瞳、日本国と世界の為(ため)と思い、居ても立っても居られずに本日行動に移した次第であります。
理由は世界経済の活性化、本格的な第三次世界大戦を未然に防ぐことができるかもしれないと考えたからです。
私の目標は重複障害者の方が家庭内での生活、及び社会的活動が極めて困難な場合、保護者の同意を得て安楽死できる世界です。
重複障害者に対する命のあり方は未(いま)だに答えが見つかっていない所だと考えました。障害者は不幸を作ることしかできません。
今こそ革命を行い、全人類の為に必要不可欠である辛(つら)い決断をする時だと考えます。日本国が大きな第一歩を踏み出すのです。
世界を担う大島理森様のお力で世界をより良い方向に進めて頂けないでしょうか。是非、安倍晋三様のお耳に伝えて頂ければと思います。
私が人類の為にできることを真剣に考えた答えでございます。
衆議院議長大島理森様、どうか愛する日本国、全人類の為にお力添え頂けないでしょうか。何卒よろしくお願い致します。
文責 植松 聖
作戦内容
職員の少ない夜勤に決行致します。
重複障害者が多く在籍している2つの園を標的とします。
見守り職員は結束バンドで見動き、外部との連絡をとれなくします。
職員は絶体に傷つけず、速やかに作戦を実行します。
2つの園260名を抹殺した後は自首します。
作戦を実行するに私からはいくつかのご要望がございます。
逮捕後の監禁は最長で2年までとし、その後は自由な人生を送らせて下さい。心神喪失による無罪。
新しい名前(伊黒崇)本籍、運転免許証等の生活に必要な書類。
美容整形による一般社会への擬態。
金銭的支援5億円。
これらを確約して頂ければと考えております。
ご決断頂ければ、いつでも作戦を実行致します。
日本国と世界平和の為に、何卒(なにとぞ)よろしくお願い致します。
想像を絶する激務の中大変恐縮ではございますが、安倍晋三様にご相談頂けることを切に願っております。
植松聖
雨宮処凛は『相模原事件・裁判傍聴記』(太田出版 2020年)の中で、植松聖には心の闇などないように感じたと書いている。雨宮処凛は、相模原事件の16回の公判中、その半分を傍聴できたそうだが、植松聖が「正気」なのか、「狂気」の中にいるのか、傍聴をすれするほどわからなくなってきたとも書いている。
植松聖は、やまゆり園の入所者43人を刃物で刺し、19人を殺害した。それに要した時間はわずか1時間余り。
殺害後、コンビニで手を洗い、煙草、コーラ、エクレアを買った。車の中で、煙草を3本吸い、コーラを飲んだ。エクレアを半分食べたところで、津久井署に到着。「今、やまゆり園で起きた事件の犯人は私です」と自首する。そして、「世界平和のためにやりました」と言ったという。
公判で、「血の匂いはしなかった」と語った植松聖。被害者の遺族に謝罪の言葉は口にするものの、意思疎通のできない障害者は安楽死させるべきという主張を繰り返した。『相模原事件・裁判傍聴記』を読むと、彼の異常な言動に辟易するばかりだが、そんな彼を異常な男と切り捨てても、この事件の抱える「闇」は見えてこない。
困窮者を救うということ
江戸時代の百姓一揆には「作法」があったという。
百姓は蓑、笠をまとい、鋤、鍬を持って一揆に参加した。農民とはいえ、刀や鉄砲は持っていたが、そのような武器は持たない。あくまでも農民としての身分をわきまえ、領主に仕えていることを示しながら、領主に訴えを起こす。
一方領主は、支配者として権勢をふるうが、百姓の生活を維持することもその基本的な仕事の一つだった。だから領主たるもの、一揆の農民をすぐさま暴力的に排除することはなかった。
以上のような領主と百姓の支配と依存のバランスを、「仁政イデオロギー」という。
百姓一揆の作法は、「身分制度を基盤とする近世の支配関係と、それを支える仁政イデオロギーに基づいて形成されていた」と、藤野裕子・東京女子大学准教授は書いている。(『民衆暴力 ――一揆・暴動・虐殺の日本近代』藤野裕子 中公新書 2020年)
また、近世には、現在の金融制度とは違い、貧窮に陥った者に温情的な措置が図られてきたと、『民衆暴力』にはある。
例えば、土地を担保に借金をして、その借金を返済できず土地が貸主のものになったとしても、期限後でも返済できれば、土地が借主に戻る慣行があった。
あるいは、破産した農民の借金を村で処理したり、有力農民が借金の棒引きをした。
こうした温情的な慣行の根底には、「富者や治者には共同体内の人員の生活を保障する責務がある」という考え方があるという。
しかし、近代化が進むと、このような近世の為政者、富裕者に求められた規範とはかけ離れた負債整理が行われるようになったそうだ。つまり、現代のような、無慈悲な借金取り立て、差し押さえが横行するようになる。
1884年の秩父事件の民衆暴力は、近世の貧窮する者に対する温情的な慣行がなくなってしまったことが、その背景の一つだと藤野裕子は論じている。
富める者がいて、貧しい者がいる。富者は、土地を貸して、あるいは金を貸して、その富を増やす。しかし、貧しさに喘ぐ者を、徹底的に追い詰めない。近世には、そんな温情的な慣行があった。
人として生きていく、その最低限のところは奪わない。人を人として見ている、そんな情け、優しさを多くの人が持っていたということだろうか。
藤野裕子の論考を読んでいると、現代の息苦しい世の中、令和の日本がますます殺伐としたものに思えてくる。
フリーターなんてすぐ辞める
もう10年も前の話だが、コンピュータ関連会社に勤めていた娘を辞めさせたという友人がいた。正社員として採用されたものの、長時間労働がひどかったという。娘さんは友人の家から通勤していたが、朝家を出て、夜は毎日のように深夜、タクシーによる帰宅だった。体調を崩しても休むことはおろか、病院に行くこともままならない。結局、強引に辞めさせたということだった。
友人の娘さんのような勤務をさせるブラックな会社はかなりあるようだが、ネットをみれば、SNSにはさらに悲惨な話は溢れている。
「貧困」が当たり前のものとなったこの国では、「搾取」はより巧妙となっている。「好きな時間に働ける」がウリのウーバーイーツでは配達中に交通事故でけがをしても、個人事業主なので労災の対象外。8年には「ネットカフェ難民」の存在が衝撃をもって受け止められたが、18年の東京都の調査によると、住居がなくネットカフェに寝泊まりする層は都内だけで1日あたり4000人に上る。また、今やネットトカフェより安い月2、3万のトランクルームで寝泊まりする者もいる。冷暖房がないのでネットカフェより過酷だ。
そんな苦しい生活をしている者たちが、生活保護を受ける人たちを非難するのだから、日本の抱える闇は深い。植松聖も「支給されたお金で生活するのは良くありません」と裁判で言ったそうだ。
植松のこの言葉を受けて、雨宮処凛は『相模原事件・裁判傍聴記』のなかで次のように書いている。
敵を設定して「〇〇さえなくなれば全部良くなる」という短絡的な発想は、この10年くらいで随分定着してしまった感がある。その「〇〇」には、今まで「在日」や「公務員」「生活保護受給者」なんて言葉が入ってきた。
同時にある既視感も感じた。植松被告は事件前から「日本の財政問題」を憂えているが、国のトップでも財政大臣でも官僚でもない彼は、そもそも財政問題など考えなくてもいいのになぜそこまでこだわるのか。
しかし、そんな「権力者マインド」「経営者マインド」は、いつからかこの国の多くの若者たちの中に根付いているものでもある。例えば「時給を上げろ」というデモを見た彼らはそれに賛同するのではなく、「企業が潰れる」「それだけの時給に見合った働きをバイトがするのか」と、なぜか経営者目線で語る。自らが時給1000円程度で働いているのに、である。財政問題にしてもそうだ。自分の生活が苦しいのに、「日本の借金」が大変だからもっと締め付けるべき、と自分の首を絞めるような主張をする。
そのようなマインドの背景にあるのは、「常に上を目指していない奴はクズ」というようなメッセージを浴びるように受けて来たことではないだろうか。彼らが決して「労働者目線」で語らないのは、「一生自分が労働者だと思っているような人間はダメ」だと刷り込まれているからで、いつか成功して経営者になるのだから、時給1000円でバイトしているのは「仮の姿」なのだという理由かもしれない。だから、非正規労働者やフリーターの運動は、多くの若者たちにとって「主流」にならない。なぜなら、多くの若者が「自分はフリーターなんてすぐに辞める」と思っているからだ。(「1月24日 第8回公判」)
「自分はフリーターなんてすぐに辞める」と多くの若者が思っているのではないか、という雨宮処凛の分析を読むと、『働きたくないけどお金は欲しい』(遠藤洋 マネジメント社 2018年)という投資の本を思い出す。